第29話
ヒヅメ状に割れた足はずるりと地面を踏みしめ前かがみに立ち、犬に似た顔ながら体毛の類は生えておらず、両手には鋭く伸びたかぎ爪を備えている。
その姿は見る者に不潔で不愉快な印象を与え、人の正気を奪うような外観をしていると言えよう。
ほのかに漂う腐臭はその者の周囲から放たれている。
カオス世界における屍食鬼と呼ばれる種族であるとクリスは一目で見抜いたが、正気を失っているナコトと嘔吐を繰り返しているルルイエはそれどころではない。
またその背後からはぞろぞろと、肉や皮膚が溶けて所々から骨をのぞかせている人型の何かが歩み寄ってくるのも見えた。
屍食鬼と混同されがちな、ゾンビだ。
どちらも屍肉を漁る下賤で薄汚い危険な種族として有名だが、彼らの住処は此処からはるかに離れた墓場地区と呼ばれる一帯である。
法律上手続きを踏み、相応の格好をして、なおかつ問題行為を起こさないという審査を通り抜けることができれば一般的な町に住むこともできる。
それでもフィリップス・クラフトの管理するハワード地区には数が少ない種族だ。
「……なんで屍食鬼がここに?」
「げっげっげっげっげ」
クリスの呟きにも似た問いに屍食鬼は気味の悪い笑い声で返答する。
答える気は無い、と言わんばかりの様子だ。
一瞬の硬直状態、一触即発、使い物にならないルルイエを抱えながらどう立ち回るべきかと思考を巡らせようとクリスが身構えた瞬間だった。
巨大な何かが、屍食鬼の頭上に影を作り出した。
「お、ま、え、かああああああああああああああああああああ!」
いつの間にかクリスの作り出した水の箱から抜け出したナコトが、これまたいつの間にやら……察するに走行中だったであろうトラック、その証拠に未だに運転席には怯えた表情で座っている運転手の姿があった。
ハンドルを掴み後輪が回転し続けているそれを頭上に掲げ、日差しを遮るように跳躍していた。
そして、南無。
憐れ屍食鬼と大量のゾンビは投げつけられたトラックによって、屋敷の玄関もろとも木っ端みじんに押しつぶされた。
「すっきり!」
「うわぁ……」
突然にしてあまりの惨状に、さすがのクリスも冷や汗を流して一歩後ずさる。
よろよろとトラックの運転手がはい出してきている辺り、流石彼もカオスに住むだけの事はあると言えるだろう。
しかしその下敷きになってしまった屍食鬼たちはと言えば……。
「……うっげぇ」
トラックによって骨は砕かれ手足は千切られ、無残な状態で屋敷の壁に寄り掛かるようにして座り込んでいた。
原形をとどめているだけでも称賛に値する。
いかんせんその背後に立っていた大量のゾンビは例外なくひき肉になっている。
「ナコトさん……」
「あーまだこの臭い残ってる……なんかむかむかしてきたからもう一発……」
「やめておきましょう、それよりあれ」
「ん?」
クリスが指さした先には死にかけの屍食鬼。
それがなにやら口を動かしているのが見える。
「なに言っているんでしょう……」
「さぁ?」
「……近づきます?」
「やだ、臭い」
「ですよねぇ……となると、運転手さーん。それなんて言ってます?」
突如捕獲され、トラックもろともぶん投げられるという未知の経験をしたトラックの運転手。
身体の特徴から察するに魔族であろう彼は、魔族の中でも相当頑丈で屈強な部類だったのだろう。
それが幸いして大した傷も無さそうだが、さすがにこの状況、加えて突然の質問には目を白黒させていた。
しかしながら魔族特有の本能というべきか、強きに従うというそれがクリスやナコト、ついでに今後の処置に対する負担を感じ取ってしまった事で心をすり減らし、三度目の嘔吐をしていたルルイエには逆らってはいけないと気付いたのだろう。
すぐさま屍食鬼の隣に降り立ち、耳を傾けてクリス達に向かって叫んでいた。
「にゃるしゅたん、にゃるがしゃんなってずっと繰り返してます!」
「……あー」
その言葉を聞いた瞬間クリスは天を仰ぎ見る。
彼女の父の本当の意味での同僚、つまり邪神の中には他者がどうなろうと楽しければよいという、享楽的な者がいる。
この屍食鬼が口にしているのはその邪神に対する祝詞であった。
「黒幕、わかっちゃいました」
「私もわかった、けどこれ真犯人まだいるでしょ。屍食鬼って簡単な魔術は使えるけど、ルーちゃんがやっと気付けるような隠蔽魔術なんて使えないはずだし」
「ですよねぇ……なんか面倒くさくなってきました」
「うん、帰りたい」
二人がそんな会話を始めた瞬間だった。
「な、なんですかこれはぁ!」
新たな絶叫がその場に響いた。
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