『錯綜(四)』

 凰蘭オウラン凛明リンメイの姿がないと聞かされた龍珠リュウジュは信じられないといった表情でつぶやいた。

 

「……姉さんと凰蘭がいない……? どうして……⁉︎」

「…………」

 

 しかし、その問い掛けに答えるすべを持っていない正剛セイゴウは、無言で拳を握りしめることしか出来ない。

 

 その時、龍珠が何かに気付いたように自分の荷物に手を伸ばした。

 

「これは————」

 

 不思議に思った正剛が覗き込むと、龍珠の手には玄龍ゲンリュウだった時に着けていた龍面と小さな綿の袋が握られていた。

 

「その面は龍珠さまが『敖光洞ごうこうどう』に忘れて行かれたので、ランが持って来ていたのですが……」

「…………」

 

 正剛が説明したが、龍珠の関心はむしろ綿の小袋の方であった。龍面を置いて袋の口を開けた龍珠の眼が大きく見開かれる。

 

「————姉さん……、なんで……ッ⁉︎」

 

 再び正剛が覗き込むと、袋の中には赤黒い丸薬のような物が見えた。正剛は絶句している龍珠に問い掛ける。

 

「龍珠さま、その丸薬がどうかされましたか……?」

「……何故だ……、どうしてコレを置いて行くんだ…………」

 

 だが、龍珠は気が触れたかのようにブツブツと独りごちて答えようとしない。苛立った正剛は龍珠の肩を掴んで振り向かせた。

 

「————龍珠さま! 気をしっかり持って下さい! 状況から考えて、蘭と凛明は星河セイガに乗って行ってしまったのです!」

「……行ってしまった……? 何処どこへ……?」

「『氷鏡廊ひょうきょうろう』とやらに決まっているでしょう!」

「どうして、二人だけで氷鏡廊へ…………」

「…………ッ!」

 

 なおも惚けたようにつぶやく龍珠の頬を、正剛の大きなが打ちつけた。

 

「————しっかりしろ! コウ龍珠! 氷鏡廊の場所を知っているのは、お前だけなんだ! ここで、ああだこうだ考えていても始まらないだろう‼︎」

「————‼︎」

 

 正剛の平手打ちによって、ようやく眼の焦点が合った龍珠は立ち上がって頭を下げた。

 

「……リュウ兄さん、あなたの言う通りだ。こんな所で時間を潰している場合じゃない」

「龍珠さま、手を上げた罰は全て終わった時に如何様いかようにもお受け致します……!」

 

 正剛は膝を突いて頭を下げた。龍珠はまだるっこしいとばかりに正剛を立ち上がらせると、早口でまくし立てた。

 

「柳兄さん! 今後、俺に対して敬うようなことは一切しないでくれ! これからは『龍珠』と呼び捨てで良いし、敬語を使うことも許さない! 俺が間違っていると思ったら遠慮なく殴りつけてくれ!」

「で、ですが、それは————」

 

 突然の申し出に正剛が戸惑っていると、龍珠の鋭い眼光がその顔を睨め付けた。

 

「……分かり————いや、分かった。氷鏡廊へ急ごう。案内してくれ、龍珠!」

「ああ、行こう! 柳兄!」

 

 龍珠は凛明が残して行った『陽丹丸ようたんがん』を懐に収め、正剛と共に馬に飛び乗った。

 

 

 

 ————一方その頃、凰蘭と凛明は星河の背に相乗りして、崔玄舟サイゲンシュウが潜む氷鏡廊へと北上していた。

 

「凛明さん、この道は右で良いの?」

「ええ……、そこから当分は真っ直ぐで大丈夫よ」

「分かったわ」

 

 凛明の返事に凰蘭は手綱を握って星河を誘導した。

 

「……本当に良い馬ね。この分なら明日の昼頃には、氷鏡廊の手前まで行けるでしょう。もっとも、雪原地帯からは徒歩で行くしかないけれど……」

「ありがとう。さあ星河、あと一日だけ頑張ってちょうだい。龍珠のためよ」

 

 龍珠のためと聞いた星河はブルルといななき、さらに速度を上げた。後ろに腰掛ける凛明は探るような視線を前方の凰蘭へ向ける。

 

 昨夜、おのれの胸中を吐露し、心を通い合わせた乙女たちだったが、凰蘭が切り出した『あること』で様相が変わってしまったのである————。

 

 

 

『————凛明さん、龍珠のことだけど……』

『龍珠がどうかした……?』

『うん、上手く言えないんだけど、龍珠は私たちにまだ何かを隠しているような気がするの……』

『…………』

 

 先ほどまでなら、凰蘭に対して何もかも答えてしまいそうなほど心を許していた凛明だったが、この言葉で冷静さを取り戻した。

 

『龍珠と玄狼ゲンロウ玄貂ゲンチョウは青龍牌と玄武牌を集めていたわ。龍珠は青龍派の門人を倒した証で箔がつくからと言っていたけど、玄貂のあの喜び方からすると、とてもそれだけとは思えないの』

 

 ややを空けて、凛明が口を開く。

 

『…………そうよ。私たちは玄舟から牌を一人頭・百枚集めるよう命令されているのよ』

『どうして、そんな命令を……?』

『さあ……、玄武派には追われた逆恨みでしょうけど、もしかすると青龍派にも何か因縁があるのかも知れないわね』

『牌を集められなければ、どうなるの……⁉︎』

『…………』

 

 凛明が言い渋っていると、凰蘭が詰め寄った。

 

『お願い、凛明さん! もしかして、龍珠が玄貂に渡した赤い丸薬が何か関係あるんじゃないの⁉︎』

『————陽丹丸を見たの⁉︎』

 

 凛明が驚きの声を上げた。

 

『ええ、龍珠に助けられた時にね。いったい、あの丸薬はなんなの……? 龍珠は真氣を増幅させる霊薬って言っていたけど……』

『……それは嘘。私たちが教わった技は絶大な威力と引き換えに、己の心脈を傷つける諸刃の剣だったのよ』

『————そんな……っ』

『あの丸薬は陽丹丸と言って、傷ついた心脈を治す効果があるの。つまり、牌を百枚集める代わりに陽丹丸を貰える約束というわけ』

 

 凛明は真実の中に嘘を紛れ込ませた。全てが偽りだとかえって怪しまれるということを彼女は知っていたのである。

 

『そう……だったのね、それで玄貂はあんなに喜んで……。でも、龍珠はそんなに大事な薬を私のために……‼︎』

『…………!』

 

 凰蘭のこの言い方に、凛明の悋気りんきが再び鎌首をもたげる。

 

『……凰蘭さん、あなたにお願いしたいことがあるの』

『お願い……?』

『ええ……、今すぐに私と一緒に氷鏡廊へ行って欲しいのよ』

『えっ? どういうこと……?』

 

 凰蘭が問い返すと、凛明は懐から陽丹丸が入った袋を取り出した。

 

『私は教わった武功が浅いからそこまででもないけど、龍珠や玄狼師兄たちは常に想像を絶する激痛と闘っているはずよ』

『それで玄貂は私と闘った時に急に苦しみ出したのね……!』 

『そう……、元々そんな状態の龍珠を連れて氷鏡廊まで行くのは難しいと思っていたのよ。でも、あなたの白馬なら普通の馬よりも早く辿り着けるわ。それにあそこにはあなたのご両親も居る……!』

『でも、牌は集まったの?』

『そんなこと関係無いわ! 龍珠のためなら、力ずくでも陽丹丸を奪ってやる!』

 

 凛明のあまりの剣幕に、凰蘭も釣られるようにうなずいた。

 

『ええ、分かったわ! でも、その前に柳兄さまに知らせて————』

 

 男たちの元へと戻ろうとする凰蘭を、凛明が両腕を伸ばして遮った。

 

『————駄目よ! 教えたら柳もついて行くと言い出すに決まってるわ。龍珠を一人で残して行くわけにはいかないでしょう⁉︎』

『……分かったわ、二人で行きましょう。静かに星河を連れて来るわ』

『ええ、お願い……』

 

 凰蘭は物音を立てないよう慎重に星河の元へと行ってしまった。凛明の思惑など毛筋ほども疑うことなく————。


  ———— 第十九章に続く ————

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