『和解(二)』

 怒りに我を忘れていた玄豹ゲンヒョウは最愛の弟弟子おとうとでしの姿を眼にして、感激の涙を浮かべた。

 

「————玄龍ゲンリュウ……! まだ私を『姉さん』と呼んでくれるの……?」

「…………」

 

 背中越しに声を掛けられたが、龍珠リュウジュは返事をしない。

 

「————玄龍だと⁉︎ おい小僧、お前でも良い。玄冥氷掌げんめいひょうしょうの秘訣を吐いてもらおうか」

 

 龍珠はトウの言葉にやはり反応せず、絶命しているへと眼を向けた。

 

「……この男は、お前たちの兄弟子あにでしじゃないのか……? 共に汗水を流し、修行に励んだ仲間じゃないのか……⁉︎」

「ああ、仲間だったよ。だが、日頃からコイツの真面目腐った態度が気に入らなかったのさ。小僧、お前もコイツみたいになりたくなけりゃ、大人しく吐いた方が身のためだぜ……!」

「待て、湯弟。チン弟たちはこの小僧にやられたと聞く。ガキだからといって油断はするな」

 

 油断する弟弟子にデンが喝を入れた。しかし、湯はなおも人を食ったような笑みを貼り付けたまま、

 

「あれは陳たちがだらしなかっただけさ。それに見てみろよ、田兄。この小僧、腕が震えているぜ。内心ビビりまくっているに違いない」

 

 湯の指摘通り、龍珠の腕は小刻みに震えていた。しかし、それは恐怖によるものでは無く、別の感情によってだったのだが————。

 

「……そんなに氷漬けになりたいのか……!」

「どういう意————」

 

 湯は続く『』という言葉を発する前に倒れ込んだ。そのかたわらでは手刀を構えた龍珠が氷のような眼で湯を見下ろしている。

 

「————なっ、湯弟……!」

「…………!」

 

 この早業に田と玄豹が絶句する。二人は龍珠から一瞬も眼を離さなかったにも関わらず、気付いた時には湯が地面を舐めていたのである。

 

「…………」

 

 無言で龍珠が向き直ると、田は泡を食って両腕を前に突き出した。

 

「————ま、待てッ! こ、降参す————」

 

 今度は田の言葉が途切れ、代わりに鮮血がその口からゴボッと吐き出された。

 

 玄豹は田の身体を貫いた腕を引き抜くと、素早く跳躍して気絶している湯の首の骨を踏み折った。

 

「……姉さん……!」

 

 田と湯の言動に怒りを感じていたものの、命までは取る気は無かった龍珠が眉をひそめると、玄豹がゆっくりと振り返った。

 

 玄豹は今しがた二人の人間の命を奪ったとは思えぬ微笑を浮かべていたが、頬には返り血がベッタリと張り付いており、その対比に思わず龍珠は背筋に冷たいものを感じた。

 

「玄龍、助けてくれてありがとう……‼︎」

「……俺は玄龍じゃない。俺はコウ龍珠だ……!」

 

 突き放すように言った龍珠だったが、玄豹は笑顔のまま首を振った。

 

「どっちでもいいの。あなたが無事なら、玄龍でも龍珠でも……!」

「やめてくれ、俺は————」

 

 腕を振り払い否定しようとした時、心臓を掴まれるような激痛が龍珠を襲った。

 

「————かッ……、もう、時間が……ッ‼︎」

 

 龍珠は膝を突いて胸を押さえた。顔を上げれば、玄豹も同様に胸に手を当て悶絶している。

 

「玄————龍珠、何をしているの……、あなたも、早く『陽丹丸ようたんがん』を……!」

 

 玄豹は懐から血のように赤い丸薬を取り出し、口に含んだ。

 

「……持ってない……、陽丹丸は全部、玄貂ゲンチョウに渡してしまった……」

「————なんですって⁉︎」

 

 龍珠の返事に玄豹は血相を変えると、陽丹丸をもう一つ取り出した。

 

「————コレを飲みなさい! 早く‼︎」

「……あなたの、施しは受けない……!」

「何を言っているの! このままじゃ死んでしまうわよ⁉︎」

「…………ッ‼︎」

 

 仇の一人とも言える相手から命を救われるなど、本来ならあってはならないことだが、ここでおのれが果ててしまうと伯父おじ伯母おばも救えないと龍珠は考えた。

 

「…………くッ」

 

 龍珠は玄豹の手から陽丹丸を取り数回躊躇した後、飲み下した————。

 

 

 

 しばらくすると、胸を押さえつけていた耐え難い苦しみが和らいで、龍珠と玄豹は座禅を解いた。

 

「————龍珠、どうして玄貂に陽丹丸を渡してしまったの……⁉︎」

「……凰蘭オウランを助けるためには仕方なかった」

「凰蘭? あの青い服の小娘ね……⁉︎」

 

 この言葉に玄豹の表情が殺気を帯びた。失言を悟った龍珠は慌てて続ける。

 

「凰蘭は俺の従姉いとこなんだ————と言っても、子供の頃に数回会っただけで特別な感情は無い。でも、あの娘の両親には返せないほどの恩があるんだ」

「…………」

 

 龍珠の説明に一応の納得はしたようで、玄豹の殺気が幾分か薄れた。

 

「……あの娘の両親って、五年前に私たちと闘ったあの夫婦のこと……?」

「そうだ」

「そう……、もう全てを思い出したのね……」

「…………ああ」

「それじゃあ、私もあなたの憎い仇の一人だってことも思い出したんでしょう?」

「…………」

 

 龍珠は無言でゆっくりとうなずいた。玄豹は戦闘で乱れた衣服を整えると、穏やかな顔つきで龍珠の眼前にひざまずいた。

 

「————好きになさい。あなたの手に掛かれるなら本望だわ……」

「な、何を……ッ」

 

 玄豹は眼を閉じて、己の生死を龍珠に委ねた。その表情は全てを受け入れたようで一切の迷いも恐れも無い。

 

 神々しさすら感じさせる玄豹のそれとは対照的に、龍珠は腕を振り上げて苦悶の表情を浮かべていた。

 

(……確かに、姉さんもおじさんたちの仇の一人だ。でも————)

 

 いくら仇とは言っても、相手は今しがた己の命を救ってくれたばかりである。そんな者を手に掛けることなど、どうして出来ようか?

 

 龍珠が葛藤している時、玄豹が優しくつぶやいた。

 

「————龍珠、あなたは私の陽丹丸で命を繋いで、必ず崔玄舟サイゲンシュウから発作を抑える呼吸法を聞き出してね……!」

「————‼︎」

 

 玄豹はいくら待っても龍珠が手を下さないことを不思議に思い、そっと眼を開けた。すると、龍珠は背を向け肩を震わせていた。

 

「龍珠……?」

「…………せない」

「え……?」

「————俺には、あなたを殺せない……! たとえあなたが俺を騙していたとしても、あなたが俺に向けてくれていた優しさは偽物なんかじゃない!」

 

 絞り出すように龍珠が叫ぶと、玄豹の双眸から滂沱ぼうだの涙が溢れ出た。

 

「……龍珠…………ッ!」

 

 玄豹は顔を覆って、何度も何度も龍珠に叩頭した————。

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