『相席食堂(四)』

 命の綱とも言える玄武牌を要らぬと言う弟弟子おとうとでしに、玄狼ゲンロウは思わず訊き返した。

 

「要らないとはどういうことだ、玄龍ゲンリュウ?」

「…………」

「遠慮なんかしないでいいのよ。大体あなたが倒したんだから」

 

 玄豹ゲンヒョウが優しく声を掛けると、玄龍はようやく口を開いた。

 

「————師兄、姉さん、俺は青龍派の本拠へ行きます」

「乗り込むのは最終手段だと言っただろう」

「いえ、俺一人で行きます」

「あなたが行くなら私も行くわ、玄龍!」

 

 玄龍の返事に玄豹が血相を変えて詰め寄った。

 

「そうじゃないよ、姉さん。俺、あのお爺さんが言っていた事が気に掛かるんだ」

「……あなたが黄龍悟コウリュウゴにそっくりだって事……?」

「ああ。青龍派の掌門が俺の身内だとしたら、会えば俺の記憶も戻るかも知れない」

 

 決意を秘めた玄龍のそれとは対照的に、玄狼と玄豹は微妙な表情で顔を見合わせた。どうやら二人は弟弟子おとうとでしの記憶が戻る事を歓迎はしていないらしい。

 

「……玄龍、さっきも言ったが、あのジジイはただの物乞いだ。適当にそれらしい事を言っているだけだ、気にするな」

「そ、そうよ! あんな、戯言たわごとを真に受ける事はないわ!」

「そうでしょうか。俺たちの前から一瞬で姿を消した手並み、とても只者とは思えません。それに、咄嗟の出任せで青龍派の掌門の名が出るものでしょうか?」

「それは…………」

 

 玄狼が言い淀んだところに、玄龍は姿勢を正して包拳礼をった。

 

「玄狼師兄、玄豹姉さん。五年前、記憶を失って倒れていた俺を救って武芸まで授けてくれたこと感謝しています」

「と、突然なにを言うの、玄龍……」

 

 今生の別れの挨拶のような切り出しに、信じられないといった様子で玄豹が口を挟むが、玄龍は構わず言葉を続ける。

 

「正直に言うと、俺は青龍牌や玄武牌だとかはどうでもいいんです」

「正気か? 牌を百枚集めなければ、俺たちは死んでしまうんだぞ……⁉︎」

「……元々、玄冥派に拾われていなければ野垂れ死んでいたこの命、『玄冥氷掌げんめいひょうしょう』の代償を受けても構いません」

 

 そう話す玄龍の声からは一切の揺るぎは感じられず、虚勢を張っているようには到底思えない。

 

「————ただ、俺は自分が何者なのかも分からないまま凍りついて死ぬのは堪えられない。ほんの少しでも記憶が戻る手掛かりがあるなら俺は行きます」

 

 穏やかに、そして力強く言い切ると玄龍は二人に背を向けた。

 

「玄龍! 待ちなさい————」

 

 玄豹が呼び止めたその時、店の外から大きな馬蹄音が響いてきた。

 

 玄武派の新手かと思い三人が一斉に飛び出すと、街道の先から立派な体躯の白馬が一頭猛然と向かって来るのが見えた。

 しかし、奇妙なことにくらが乗ってはいるものの肝心の乗り手の姿が無い。三人は首を捻った。

 

「なんだ? こんな時刻に馬が一頭駆けとは……」

「あの白馬、どこかで…………」

 

 玄龍がボソリとつぶやいた時には白馬は目前まで迫っており、玄龍の姿を認めると突然急停止した。

 

「なんなの、この馬————あ! 師兄、この白馬、この前の青龍派と一緒にいた娘が乗っていた馬じゃないかしら?」

「ああ、言われてみればそうかも知れん。だが、乗り手の小娘はどうしたんだ?」

「さあ? 手綱の繋ぎが甘くて逃げられたんじゃない?」

 

 その間にも白馬は玄龍に鼻先を近づけ、しきりに匂いを嗅いでいる。玄龍が背を撫でると、白馬は嬉しそうに顔をすり寄せてきた。

 

「この馬、あなたが気に入ったみたいね。貰っちゃいなさいよ、玄龍」

「…………」

 

 無言で玄龍が白馬の背に飛び乗ったが、白馬は抵抗することもなく悠然としている。

 玄豹が間近でよくよく見てみれば脚も長く毛並みのツヤも良い、名馬の風格である。この白馬で駆け出されては、自分たちの馬では追いつけないかも知れない。

 

「玄龍、やっぱり他人ひとの馬に無断で乗るのは悪いわ。降り————」

「ヒヒーーーーンッ‼︎」

 

 失言に気付いた玄豹が慌てて声を掛けたその時、白馬が激しくいなないた。しかし、玄龍は動じずポンポンと白馬の首を叩いて話し掛ける。

 

「よしよし、怖くないぞ。悪かったよ、いま降りるからな」

 

 玄龍が降りようとすると突如、白馬のひづめから真紅の炎が吹き上がり、その馬体からだを宙へといざなった。

 

「————なッ!」

「玄龍‼︎」

 

 驚愕した玄狼と玄豹が手を伸ばした時には、白馬は玄龍を乗せたまま夜空の向こうへと消えて行ってしまった————。


  ———— 第十章に続く ————

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