第七章

『代償(一)』

 突然苦しみもだえ姿を消した玄貂ゲンチョウの様子に呆気に取られていた凰蘭オウランだったが、街道から聞こえてくる叫び声にハッとなった。

 

リュウ兄さま⁉︎」

 

 急いで凰蘭が声のする方へ戻ると、正剛セイゴウが地面にひざまずき必死に声を上げていた。

 

チョウ師兄! リン師姉! しっかりしてください‼︎」

 

 凰蘭が近づいてみると、上半身を氷漬けにされた迅雄ジンユウ秀芳シュウホウの姿が眼に入った。

 

「————張兄さま、林姉さま‼︎」

 

 迅雄と秀芳は息も絶え絶えで、正剛と凰蘭の呼び掛けに応じることが出来ない。その顔色は不気味なほどに白く、体温というものが全く感じられなかった。

 

「柳兄さま、いったい何があったのですか⁉︎」

「……玄冥派の奴らの仕業だ……、奴らは対手を、瞬時に凍らせる恐ろしい技を使う……!」

 

 状況を説明する正剛の声も途切れ途切れで、いつもの力強さはない。不思議に思った凰蘭が覗き込むと、正剛の胸元の一部も凍りついており、呼吸を遮っているようだった。

 

「その胸! 柳兄さまも奴らに————⁉︎」

 

 凰蘭は立ち上がって周囲を警戒したが、辺りには心配そうな眼差しを向けている星河セイガが一頭いるだけである。

 

「大丈夫だ……、奴ら、三人とも突然、胸を押さえて逃げるようにして姿を消した……。ラン、お前は平気か……⁉︎」

「え、ええ、私は平気です。私と闘っていた男も同じでした。それまでは何ともなかったのに突然苦しむようにして…………」

「————ごう……」

 

 その時、眼を閉じていた迅雄が何言かを発した。

 

「————師兄! 大丈夫ですか⁉︎」

「……正剛、一刻も早く『敖光洞ごうこうどう』に戻って師父に伝えろ……。奴らの口振りだと、青龍派の門人を見境いなく狙っている可能性がある……!」

「師兄と師姉を置いて行けませんよ!」

 

 正剛が声を荒げると、迅雄はゆっくりと首を振った。

 

「無駄だ……。俺たちはもう助からん……! 玄冥派……、奴らの技は恐ろしい……‼︎」

「師兄、そんな弱気なことを言わないでください!」

「正剛……、役に立たん兄弟子あにでしからの最期の助言だ。よく聞け……」

 

 ここまで話すと迅雄は言葉を区切って、

 

「……お前の腕は確かなものだが、惜しむらくは思慮が足りん……。技を鍛えることも大事だが、もっと考えを巡らすことも覚えろ…………」

「……そうよ…………」

 

 ここまで黙っていた秀芳が迅雄の言葉を引き取った。

 

「お前の叔父、柳怜震リュウレイシン師伯しはくは技は勿論、頭脳も一際切れていたわ。お前が師伯を目指すなら、今のままでは到底……、追いつけない……!」

「叔父上……!」

 

 二人の言葉が突き刺さったのか、正剛はより一層強く胸を押さえつけた。

 

「……蘭」

 

 迅雄は視線を凰蘭の元へ向けた。その顔色は白さを通り越して青みを帯びている。

 

「……お前には辛く接してしまい、すまないと思っていた」

「張兄さま、もういいです。これ以上しゃべらないでください……!」

 

 凰蘭は涙をこぼしながら首を振るが、迅雄は構わず続ける。

 

「俺たちはお前個人に思うところがある訳ではない。だが、俺たちは……、お前のち————…………」

 

 その時、迅雄と秀芳の身体を覆っていた氷塊にピシリと幾重にも亀裂が入り、次の瞬間には大きな音を立てて粉々に砕け散った。

 

 青龍派の高弟二人の魂魄は天地へ還り、跡に残ったものはバラバラになった氷塊と、生き生きとした龍が刻まれた青銅色の牌のみであった。

 

 闇夜の街道には凰蘭と正剛の慟哭の声だけが虚しく響いていた————。

 

 

 

 ————突如、青龍派との戦闘から離脱した玄冥派の三人はあらかじめ取り決めてあった廃屋で落ち合っていた。

 

「よし、けられてはいないな……」

 

 玄狼ゲンロウは周囲に視線を配りながら、苦しそうに声を発した。

 

「ええ……。ただ、玄貂ゲンチョウ師兄がまだ……」

「奴ならいずれ戻ってくるだろう。戻ってこないのなら、それはそれで————」

 

 玄豹ゲンヒョウの言葉に玄狼が答えた時、屋根の上から下卑た男の声が聞こえてきた。

 

「……それはそれで————なんですかい? 玄狼兄貴」

「続きが聞きたいか?」

 

 玄狼が冷たく言うと、音も無く着地した玄貂がジロリと睨みつけた。

 

めときますぜ。こう見えても傷つきやすい性分なモンでね」

 

 玄貂は皮肉めかして言ったが、その表情は他の三人と同じように苦悶に歪んでいる。

 

「……チッ、てめえも生き残ってやがったか。あの槍使いも案外だらしねえな」

「…………」

 

 玄龍ゲンリュウの姿を眼にした玄貂が毒づいたが、玄龍は仮面を着けたまま何も語らない。代わりに玄豹が口を開きかけたところ、玄狼の手に遮られた。

 

せ、まずはアレだ」

 

 玄狼が言うと四人は一斉に懐に手を伸ばし、小さな丸薬を取り出した。それは尋常な薬とは思えぬ不気味な赤黒い色をしていたが、全員躊躇なく口に放り込み、その場に座禅を組んだ。

 

 ほどなくして四人の頭から白い湯気が立ち上り始め、額に大粒の汗が浮かんできた————。

 

 

 線香が燃え尽きるほどの時が経った頃、ようやく四人の顔の険が取れ、青白かった顔色もいくらか赤みを帯びてきた。

 

「————ふう、危なかったぜ……!」

 

 額に浮かんだ汗を拭いながら、玄貂が立ち上がった。

 

「玄豹、玄龍、どうだ? 後遺症などはないか?」

「はい」

「……ありません」

 

 玄狼の質問に玄豹と玄龍が相次いで答える。

 

「しかし兄貴、どうします? これで『陽丹丸ようたんがん』が無くなっちまいましたぜ」

「……仕方ない。師父の元へ戻るぞ」

 

 そう話す玄狼の表情は暗く沈んでいた。

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