第四章

『虎の娘(一)』

 ————広間の中央に一人の男が空手で佇んでいる。

 

 

 歳の頃は三十代半ばといったところで、やや細身だが均整の取れた体格をしており、この肉体からいったいどのような技を繰り出すのだろうか?

 

 しかし、それ以上に眼を引くのは男の容貌である。

 

 切れ長の双眸と秀でた眉に高く通った鼻筋、細面の端正な顔立ちはこれまで幾人もの女たちを虜にしてきたことだろう。

 

 だが、その表情は憔悴したように暗く沈んでおり、眼には深い憂いが色濃く見えた。

 

 その時、広間に立ち並ぶ柱の陰から音も無く男たちが姿を現し、瞬く間に美貌の男を取り囲んだ。

 

 男たちの手には各々、剣や刀などの得物が握られており、どうやら話をしに来たのではなさそうであるが、この状況においても美貌の男は空手のまま構えを取ろうとすらしなかった。

 

 次の瞬間、賊たちが一斉に男に襲い掛かった。

 

 幾重もの賊の白刃が男の身体を斬り裂くと思われた刹那、男の手に光り輝く剣が出現した。

 

 男は四方八方から襲い来る敵を見向きもせず、手中の剣を縦横無尽に振るった。

 

 疾風よりも鋭く、迅雷よりも苛烈な剣閃が一人残らず賊を斬り伏せると、男の剣は煙のようにその手から消失してしまった。

 

「————さすがおじさまね、本当に賊を斬ってしまわれたかと思えたわ!」

 

 広間の入り口から拍手と共に、女のよく通る声が響いてきた。

 

 女は十四、五歳ほどの少女で、青い服を着て頭には鳳凰らしき髪飾りを刺している。小顔で整った顔立ちだが、少し吊り眼気味の勝気な瞳が印象的である。

 

「……凰蘭オウラン、鍛錬中は危ないから入ってはいけないと言っておいただろう?」

 

 少女をしかりながら男が振り返ったが、その足元には賊の姿どころか一滴の血すら落ちていない。

 

 凰蘭と呼ばれた少女は大袈裟にしおらしい表情を浮かべて頭を下げた。

 

「ごめんなさい。あまりにもおじさまの剣が綺麗だから、どうしても観たくなってしまったの」

「お世辞はそこまでにしておきなさい。何か私に言いたいことがあるのだろう?」

 

 ここで初めて男の顔に微笑がたたえられて、その様子を見た凰蘭はペロッと舌を出して片眼を閉じて見せた。

 

 

 ————この瀟酒しょうしゃな二枚目は青龍派の黄龍悟コウリュウゴである。

 

 

 数年前より亡き父の後を継いで青龍派の掌門を務めており、任務で本拠の外に出ることは無くなったことで、剣を振るうのはもっぱら鍛錬時のみであったが、その切れ味は落ちるどころか確実に往年の父に近づきつつあった。

 

 凰蘭は愛らしい笑顔を浮かべたまま龍悟の元へ歩み寄った。

 

「おじさま。確かに私、おじさまにお願いがあるのですけど、剣を観たい気持ちは本当ですよ? だって、おじさまの剣はまるで演舞みたいに型が綺麗なんですもの」

 

 眼を輝かせて凰蘭が腕前を褒め称えるが、龍悟の笑みは寂しげなものに変わった。

 

「演舞みたい、か……」

「おじさま?」

 

 龍悟の表情を不思議に思った凰蘭が首をかしげると、

 

「なんでもないよ。それで私にお願いとはなにかな?」

「はい、おじさま。私、明日が十五歳の誕生日なんです」

 

 凰蘭の言わんとしていることを察した龍悟は再び優しげな笑みを浮かべた。

 

「もちろん覚えているとも。贈り物なら用意してあるから楽しみにしていなさい」

「いえ、贈り物は要りません。その代わりに————」

 

 凰蘭はここでうつむいて言葉を区切ると、意を決したように顔を上げた。

 

「私も、父さまと母さまを捜しに行かせてください!」

 

 

 ————この明朗快活な少女の姓はリョウ、名は凰蘭。凌拓飛リョウタクヒ石凰華セキオウカのひとり娘である。

 

 

 ————七年前、あまりの奔放ぶりに拓飛と凰華夫妻の元から、弟夫婦である黄家に預けられた凰蘭は当初こそ馴染めなかったものの、叔母おばである李慶リケイの熱心な教育により言葉遣いや立ち居振る舞いを矯正され、さらに武芸や学芸、料理や裁縫までを一通り仕込まれていた。

 

 しかし、父親譲りの豪快な性格は治まるどころか、胸の内で熱く燃えていたのである。

 

 龍悟はこの怖いもの知らずな姪の言葉に眉根を寄せた。

 

「……駄目だ」

「どうしてですか! 十五歳になったら凌家に戻れる約束です!」

「姉さんたちが見つかるまで私たちの元にいなさい」

「————でも、父さまたちが消息を絶ってから五年も経っているじゃないですか⁉︎」

 

 凰蘭は声を張り上げて食い下がった。

 

「……では訊くが、いったい何処どこをどう捜すつもりなんだい? 大体お前は外の世界を歩き回ったこともないだろう? その費用はどこから捻出する?」

「う……」

 

 龍悟の正論に凰蘭はたじろいだ。その様子を見逃さず龍悟は畳みかける。

 

「姉さんたちは青龍派と白虎派の者が必ず見つけ出す。お前は二人が戻って来た時に優しく出迎えてあげなさい」

「で、でも————」

 

 凰蘭がなおも食い下がろうとした時、広間の入り口から澄んだ女の声が響いてきた。

 

「凰蘭、ここで何をしているの?」

 

 ビクリとした凰蘭が恐る恐る振り返ると、雪のように真っ白な肌の絶世の美女が背後に立っていた。先ほどの声は遠く離れた入り口から聞こえてきたというのに、一瞬にして音も無く背後まで移動したのである。恐るべき軽功の持ち主と言えよう。

 

「け、慶おばさま……!」

 

 凰蘭は冷や汗を流しながら、引きつった笑顔を見せた。

 

 父親すら恐れぬ怖いもの知らずな凰蘭だったが、唯一の恐怖の対象がこの叔母、李慶だった。

 

「答えなさい、凰蘭。今は何の時間なのかしら?」

「……詩歌の時間です」

 

 慶の質問に借りてきた猫のようになった凰蘭が小さく答えた。

 

「分かっているのなら油を売っていないで早く行きなさい」

「……はい」

 

 凰蘭は返事をしたものの、名残惜しそうな視線を龍悟に向けて広間を後にした。

 

 ガックリと肩を落とした姪の後ろ姿を見送り、龍悟が口を開いた。

 

「助かったよ、慶」

「あなたはあの子とよく話すのね……」

 

 龍悟は穏やかに話しかけたが、妻の返答は素っ気ない。

 

「姪と話をするのはいけないことかい?」

「あの子がやるべきことをしてくれたら、いくらでもお喋りしてくれて構わないわ」

「君はあの子に厳しいね」

「あなたが甘すぎるのよ」

 

 肩をすくめて苦笑した龍悟だったが、慶は表情を変えずに言う。

 

他人様ひとさまの子を預かった以上、私たちには凰蘭を立派な女性に育て上げる義務があるわ。例えあの子に恨まれたとしてもね」

「……そうだな……」

「————その後、状況は変わりない……?」

 

 不意に慶が話題を変えた。

 

「……ああ。外界に派遣した青龍派と白虎派の門人を任務の合間にそれとなく探らせているが、依然として姉さんたちの足取りは掴めない」

「そう…………」

 

 暗く沈んだ妻を励まそうと、龍悟は優しく声を掛けた。

 

「だが心配することはないさ。『凌雲飛虎りょううんひこ』が討たれたと一報が入らない限り、姉さんたちは無事だと言うことだ。万が一————」

 

 ここで龍悟はゴホンと一つ咳払いをした。

 

「に……義兄にいさんが誰かの手に掛かったとすると、下手人はそのことを神州中に触れ回るだろうからね。そもそも、あの二人が簡単に遅れを取るとは思えない」

「……義姉ねえさんも私以上に腕を上げていることだしね……、けれど相手が妖怪だったとしたら……?」

「それも大丈夫だろう。十年前と比べて強大な妖怪は減っているし、そんな妖怪が存在するならば噂になっているはずだ」

「…………そうね……」

 

 妻の様子がおかしいと思った龍悟は、慶の肩に手を掛けた。

 

「どうしたんだい、慶……?」

「本当に分からないの? それとも気付いていないふりをしているの……?」

「…………」

「もういいわ……」

 

 龍悟が口を閉ざすと、慶は夫の手を静かに払って広間を出て行ってしまった。

 

 ひとり残された龍悟は、無言で妻の後ろ姿を見送ることしか出来なかった。

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