『玄冥氷掌(三)』

 先ほどまでは凰華オウカに追い詰められていた玄狼ゲンロウであったが、玄舟ゲンシュウめいを請けたこともあり、くじかれかけていた心を持ち直していた。

 

 弟子でしにとって師父の命は絶対であり、それ以上に何より、しくじればどのような処罰が待ち受けているか知れたものではないのである。恐怖に支配された感情ではあるが、やるべきことが迷いなく一つに絞られれば技も内功も別人のように冴え出した。

 

 ひるがえって、凰華には焦りの色が見えていた。

 

 それは玄武派の第七世代筆頭だった男————玄舟の恐るべき魔技を眼にしたからに他ならない。瞬時に対手の身体を凍らせるなど、危険過ぎる技だ。

 

 夫である拓飛タクヒの腕に微塵も疑いは持っていないけれども、妻となり母となってからは心配が尽きることがなく、一刻も早く手助けに向かいたい。夫は手助けを望まないだろうが、せめて近くで見守ってやりたいと思えば思うほどに焦りは募っていく。

 

 そして、焦りの原因はもう一つ————。

 

「うう……っ」

 

 突如、凰華が呻き声と共に下腹部を押さえてよろめいた。

 

 この様子を見た玄狼はまたもや誘いの手かと思い、突き出しかけていた拳を宙で止めた。

 

 だが、凰華は額に玉のような汗を浮かべ、顔面蒼白なその表情は苦悶の一言で、とても演技には見えない。しかし、おのれは相手の下腹部には触れてすらおらず玄狼は心中で首を捻った。

 

 少し考えた後、玄狼ははたと何かに勘付いた様子で口を開いた。

 

「……まさか、貴女あなたは————」

「おばさん! どうしたの⁉︎」

 

 異常に気付いた龍珠も血相を変えて声を掛けた。

 

「……大丈夫、よ。危ないから退がっていなさい、龍珠……!」

「で、でも……!」

 

 言葉とは裏腹に凰華は遂に立っていられず、その場に膝を突いた。

 

「おばさん‼︎」

 

 龍珠がかがみ込んで声を掛けた時、その身体が突然宙に浮いた。

 

「ケケッ、俺様が気を失ってる間にずいぶん面白えことになってるじゃねえか」

 

 後頭部をさすりながら、空いた手で龍珠を吊り上げた玄貂ゲンチョウである。

 

「は、放せッ!」

 

 龍珠が脚をバタつかせて叫び声を上げるが、玄貂は一顧だにせず玄狼へ話し掛けた。

 

「玄狼兄貴、このアマどうするんで?」

「……始末する」

「そりゃあ勿体ねえ。歳はイッてるが、なにかそそられるモンがありますぜ」

「師父の命だ」

 

 玄狼の口から『師父』という言葉を聞いた玄貂はビクリとして、下卑た笑みを即座に引っ込めた。

 

「放せよ、放せったらッ‼︎」

 

 再び龍珠が叫ぶと、その身体は前方の地面に勢いよく叩きつけられてしまった。

 

「うるせえガキだ。順番が変わっちまうぜ」

「龍珠!」

 

 衝撃で気絶した様子の龍珠に凰華が手を伸ばしたが、その手は男の身体によって遮られてしまった。

 

「……貴女たちに恨みは無いが、覚悟してもらおうか……!」

 

 玄狼が腕に真氣を込めた時、背後から寒気を感じるほどの殺気が首筋を襲った。

 

 振り返れば、凄まじい形相の拓飛が右拳を繰り出して来るのが眼に飛び込んできた。両腕でなんとか受け止めた玄狼だったが、あまりの衝撃に眩暈めまいを覚えた。

 

「どきやがれぇッ‼︎」

 

 虎が咆哮を上げると、受け止めたはずの拳が振動し出し、熱を帯び始めた。

 

(まずい! このままでは玄豺ゲンサイ師兄のように————)

「よくやったぞ。玄狼、玄貂……!」

 

 氷のような声と共に『玄冥氷掌げんめいひょうしょう』が荒ぶる虎の背へと打ち込まれる。

 

 背後から骨まで凍るような冷気を感じた拓飛は瞬時に身体を捻り、左掌を突き出した。

 

 バシィィッという炸裂音と共に、極寒の右掌と焦熱の左掌が打ち合わされ、二つの腕は均衡を保ったまま動かなくなった。

 

「チイッ!」

 

 すんでのところで不意打ちが失敗に終わった玄舟は舌打ちをしたが、すぐに凶悪な笑みを浮かべた。

 

「クク……、ワシの掌打を受け止めたのは見事だが、二人の玄冥派に挟まれて、いつまで耐えられるものかな……?」

 

 拓飛は右手で玄狼を牽制しつつ、左手では玄舟の『玄冥氷掌』から流れ来る寒氷真氣を押し留めていたが、ほどなくして左の指先が徐々に凍り始めた。

 

 この様子を見た玄舟は嬉しそうに眼を見開き、さらに右腕に力を込めた。

 

「終わりだ、リョウ拓飛……!」

「…………!」

 

 腕に伝わる冷気が強まったのを感じた拓飛は眼を閉じ、呼吸を整え息を深く吐き出した。

 すると、拓飛の額から全力で内功を運用している証である白い煙が立ち昇り始め、続いて、拓飛の指先から蒸気が昇り出し氷が融け始めた。

 

「な……ん、だと……⁉︎」

 

 再び玄舟の眼が見開かれたが、それは驚愕によるものであった。

 

 拓飛はこの十年ほどで外功と共に内功に磨きをかけており、それは至高の境地へと到達していたのである。

 

 一方、玄舟の内功も拓飛に劣るものではなかったが、寒氷真氣はこのひと月ほど前にようやく全身に行き渡ったばかりで、惜しむらくは練度が足りない。純粋な力比べとなると、どちらが有利かは自明の理であった。

 

 そうこうしている間に拓飛の氷は完全に溶解し、次いで玄舟の掌から肉が焦げるような臭いと共に黒煙が昇り始めた。

 

「こ、この野郎! 女房とガキがどうなってもいいのか⁉︎」

 

 玄貂が凰華と龍珠を人質に取って凄むが、拓飛は微動だにしない。

 

 このような内功の力比べは、勢いが落ちた方に真氣が津波のように押し寄せてしまうのである。

 

(どっちにしろ、俺がやられちまったら龍珠と凰華を助けられねえ……!)

 

 人質の効果が無いと見るや玄貂は拓飛に攻撃を加えようとしたが、拓飛と眼が合うと、虎に睨まれたてんのように身体が縮こまってしまった。

 

「————玄貂! ワシの背に回り氣を送り込め!」

 

 手をこまねいている弟子に歯噛みした玄舟が、力を貸すように命令した。

 

「は、はい!」

「待て、玄貂! 玄豹を起こして二人で合力ごうりきしろ!」

 

 玄狼の指図通りに玄豹を起こすと、玄貂は玄舟の、玄豹は玄狼の援護に回り真氣を送り込んだ。

 

 四対一の様相になると、さしもの拓飛も分が悪くなり、一気に形勢逆転となってしまった。再び指先が凍りつき始め、その表情が曇りだした。

 

(くっ、このままじゃ————)

 

 その時、包み込むように誰かが自らの背に手を添えてきたのを拓飛は感じた。たちまち暖かな真氣が身体に流れ込んで来る。

 

「————凰華! なにやってやがる! 俺のことはどうでもいい、龍珠を連れて逃げろ‼︎」

「……ダメよ、今の私の状態じゃ龍珠を連れて逃げられないわ」

「だったら焔星エンセイたちを呼べ! 飛んで逃げろ!」

「それも無理よ。焔星たちに乗せている間に、きっと後ろの弟子たちが妨害して来る。こうするしかないの。あなたが敗れたら私たち四人もお仕舞い。だから、負けないで……‼︎」

「なに……⁉︎」

 

 驚きで眼を丸くした拓飛だったがすぐに何かを察すると、どこからか急に力が湧いて来て、焦りで曇っていた表情がいつもの不敵なそれに変わった。

 

「…………そんじゃあ、こんなタコどもにやられちまうワケにはいかねえなあッ‼︎」

 

 凰華の助力を得た拓飛は活力を取り戻し、再び力比べを盛り返し始めた。この状況に焦りを覚えた玄舟が怒号を上げる。

 

「ええいッ、なにをやっている貴様ら! もっと氣を寄越せ‼︎」

『————はっ‼︎』

 

 師父に叱責された弟子三人は一斉に声を上げ、さらに真氣の運用を強める。

 

『ウオォォォォ————————ッ‼︎』

 

 この場の全員の額から白い煙が凄まじい勢いで昇り出し、辺りは濃い霧に包まれたかのように何も見えなくなった————。

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