第18話「ターニングポイント」
「――とまあ、そんなことがあってな」
俺は回想を終わり、部下の表情を窺った。
彼は苦笑いしていた。
どう反応していいのか、困っている様子だ。
「マーカス殿。それはさすがに話を盛りすぎでは……?」
しばらく口をもごもごした後、出てきたのはそんな言葉だった。
どうやら場の空気を弛緩させるためにわざと話を大きくしたと思われたようだ。
「そんな聖女がいるはずないでしょう。グレゴリオ卿ならまだ分かりますが」
(そんな聖女がいるんだよなぁ、これが)
聖女クリスタを知らない者に彼女の武勇伝を語れば、十人中十人が彼のような反応をする。
まあ、無理もない。
俺も実際に見るまで信じなかったし、見ても夢だと錯覚しそうになったくらいだからな。
話の真偽に関してはいずれ実際に確認してもらうとして。
「ともあれ、今の状況は少し妙だ」
「そうですね。十分に警戒しておきましょう」
「ああ。しばらく無理をしてもらうことになるが、頼んだぞ」
「無茶はお互い様でしょう。少しは寝てください」
軽口を交わし、報告会を終えた。
▼
小休止を兼ねて外に出ると、わずかに熱を帯びた夜風が頬を撫でてきた。
じき、夏の季節がやってくるだろう。
煙草に火をつけ、夜空を見上げると、星々が俺を見下ろしていた。
「……そういえば、星は冬の方が見えやすい、とか言っていたな」
聖女クリスタと交わした雑談を思い出す。
理由は忘れたが、星は冬の方がくっきりと見えるらしい。
万物の事象には理由があり、法則がある――とは、彼女の弁だ。
炎も、風も、水も、何らかの理由を持ってそこに存在しており、それぞれが独自の法則の中にある。
しかし魔法はその理由や法則を捻じ曲げることができるという。
魔法という存在そのものの解明。
それが聖女クリスタの命題だ。
聖女というのは、彼女にとってはついでにしか過ぎないのだろう。
「万物の事象には理由……か。だったらこの平穏にも、何か理由があるのか?」
例えば、聖女クリスタがお忍びで来て陰ながら魔物を屠っている、とか。
「さすがにそれはないか」
浮かんできた仮説をすぐに振り払う。
危険な結界の穴に来ることのできる聖女は一人だけ。
エキドナがいるいま、クリスタが来られるはずがない。
頭のネジは確かに何本か外れていたが、理由もなく掟を破るような女性ではないはずだ。
「それとも、余程の理由がある……のか?」
例えば、神話で語り継がれているような魔物が大陸中央で生まれた、とか。
それほどの事態ならば時期外れの活動期も、聖女クリスタがお忍びでやって来ているのも納得がいく。
「……いや」
確かに話の筋は通っている。
が、掟を破ってまで聖女が出なければならない事態となっているのなら、先に俺に連絡が来るはずだ。
戦闘では役に立てないかもしれないが、それ以外では有用……な、はず。
俺に連絡がないまま聖女クリスタが来る。
他に考えられる理由は――。
「個人的な理由で掟を破って来た……?」
いやいや。
それはない。
聖女を束ねる女傑・マリアは掟に厳しい。
同じ聖女と言えど――いや、同じだからこそ、破ればタダでは済まないことは分かっているはずだ。
……いかん。
どんどんおかしな方向に考えがズレていく。
「考えすぎだな。あいつの言う通り、少し寝た方がいいのかもしれん」
俺は作戦室の長椅子で仮眠を取るべく、きびすを返した。
――まさか一笑に付した仮説が合っているとは知る
▼
<クリスタ視点>
「さて。今日も一日頑張りましょうか」
「……お前、眠くならないのか?」
三白眼を半分ほど開いた状態のエキドナが、目を擦りながら尋ねてくる。
「平気よ。もともと研究で徹夜とかしていたし」
三日徹夜くらいは割と日常茶飯事だ。
まだ聖女になる前、七日徹夜した時はさすがに幻覚が見えたけれど。
【疲労鈍化】がある今ならもっと長く起きていられるかもしれない。
「それに、ルビィの顔を見たら疲れなんて吹き飛ぶから」
「さすがシスコン」
あくびをしつつ、エキドナは猫の足跡の刺繍が施された寝間着を法衣に着替える。
「エキドナ。あなたこそ少し寝不足なんじゃない?」
両頬を強めに叩いて眠気を追い払うエキドナを見ながら、私は首を傾げる。
エキドナは朝があまり強い方ではないことは知っているけれど……それを加味しても、少しあくびの回数が多いように思える。
「お前のおかげでぐっすり寝れてるよ」
「そう? ならいいけど……」
本人がそう言うのなら、ちゃんと眠れているのだろう。
私もいそいそと鎧を着込み、兜を装着した。
「さて。まずはルビィの様子を見に行きましょうか」
「ホントにブレないな、お前……」
髪を掻きながら、エキドナは苦笑いしていた。
――このブレない行動が、後にこのルトンジェラを救うきっかけになる。
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