第4話「扶翼の聖女」

「ついたついた。おっちゃん、ありがとな」


 ここまで運んでくれた御者に礼を言いつつ、エキドナは馬車を降りた。

 伸びをする間もなく出迎えの姿があり、膝をついて平伏している。


「聖女エキドナ様。此度の遠征、この地を預かる代表として深く感謝を申し上げます」

「……マーカスのおっさん。アタシにそういう堅苦しい挨拶はやめてくれって言ってるだろ?」

「いやすまん。のっけからいつもの調子で接したら、いつかマリア殿が来たときにやらかしそうでな! はっはっは!」


 ひらひらと手を降るエキドナに、頭を垂れていた男は顔を上げて唇の端を持ち上げた。

 使い込まれた無骨な鎧に身を包むその姿は、まるで物語に出てくる歴戦の傭兵がそのまま出てきたかのようだ。


 彼の名前はマーカス。

 このルトンジェラを長きに渡って支えている傭兵ギルドの長だ。


「『扶翼ふよくの聖女』が来てくれるとはありがたい」

「その名前で呼ぶなっての」

「照れるな。ところで……そこのデカいのは何だ?」


 マーカスは訝しげに甲冑を着込んだ謎の人物(私だ)を見上げた。


「ああ。こいつはクリ……クリス。アタシの……護衛みたいなもんだ」


 喉に小骨が詰まったような説明をしながら、エキドナ。

 こつん、と甲冑の胸の部分を叩きながら付け加える。


「こう見えて頼りになるんだ。実力はアタシが保証する」

「そうか……あんたがそう言うなら」


 首を傾げながらも、マーカスは納得してくれた。


「長旅で疲れているだろう。今日はゆっくり休んでくれ」

「ありがと――と、その前にちょっと聞きたいんだけど。最近募集した人員の中にルビィって女の子がいると思うんだけど、配属先は決まってるか?」

「ルビィ……確かにいたな。調理区に回すつもりだが、その子がどうか――」

「ギルド長」


 会話を遮り、伝令が割り込んでくる。

 伝令はマーカスに素早く耳打ちをしたのち、こちらに会釈してすぐにその場を離れた。


「――すまない。今しがた休んでくれと言ったばかりだが、早速力を貸して貰いたい」

「もちろん。行くぞ、クリスたゴホンゴホン! く、クリス」

「……」


 わざとらしい咳払いをしながら、エキドナは再び胸の装甲を叩いた。



 ▼


 治療区。

 魔物との戦闘で怪我をした人々の治癒と介護を担当する区域だ。

 治療区の中でも、怪我の度合いによりさらに区分けされている。

 私たちが案内されたのは、最も重傷者が運び込まれる建物だ。

 中に入るなり、エキドナは顔をしかめた。


「ひでぇなこりゃ」


 ベッドに寝かされているのは、息も絶え絶えの傭兵達だ。

 武器が全員違う――それぞれ傍に剣、弓、盾、杖が掛けられている――ところを見るに、四人で一組のパーティなのだろう。


(……咬傷と皮膚の変色。何人かは締められたみたいに骨折しているわね。蛇系の魔物の仕業かしら)


 人を噛み、毒を吐き、締め上げる。

 これらの傷を負わせる魔物で該当する相手といえば、蛇だろう。

 全員、どうして生きているのか不思議なほどの状態だ。


「せ――聖女様! 皆、どんどん心音が弱くなっているんです! 私たちでは全員の解毒が間に合いません!」


 慌ただしく彼らを治療している治癒師が、泣きそうな声を上げる。

 解毒薬と魔法で毒を抑え込もうとしているが、変色した皮膚の面積はどんどん広がり続けている。


「……手伝いましょうか?」


 私は他の人に声が聞こえないよう、エキドナに耳打ちする。

 しかし彼女は首を横に振った。


「いやいい。任せろ」


 そのまま静かに目を閉じ、胸の前で両手を合わせる。

 小さく――祈りの言葉を口ずさむ。


「【清浄の凱歌がいか】」

「み、見て! 傷が……!」


 エキドナの身体から溢れる光が、傭兵達を包み込んだ瞬間――皮膚の変色がピタリと止まる。

 それどころか、変色した部分がみるみるうちに小さくなっていく。


 僅か五分にも満たない時間で、全員の肌は元の肌色に戻っていた。


「――完了だ。次は傷を治す」

「え、もう解毒を……!?」


 治癒師が驚く間もなく、エキドナはもう一度祈りの姿勢を取る。


「【快癒かいゆ賛歌さんか】」


 再び光が溢れ出し、今度は開いた傷や曲がった骨がゆっくりと――だが確実に元に戻っていく。


(……やっぱりすごいわね)


 治癒の様子を見ながら、私は胸中で舌を巻いていた。

 四人の同時治療など、私では逆立ちしても絶対にできないことだ。


 人間の魔力は、量の多さ以外にも様々な要素がある。

 離れた相手に効果をもたらす。

 同時に複数の対象に効果をもたらす――等。

 それらは魔力の多さとは無関係だ。


 私は魔力の多さが際立っているだけで、他の要素は無いに等しい。

 私が使う聖女の技に遠距離用のものが無いのはそのためだ。


 私とエキドナは、正反対の魔力性質を持っている。

 だから、彼女の緻密で繊細な魔力操作にはいつも驚きと尊敬――そして、多大な興味をそそられる。


「完了だ」


 ふぅ、と汗をひとぬぐいするエキドナ。

 ベッドの上には、ただ息を立てて眠っているだけにしか見えない男達が並んでいる。

 ほんの三十分前まで、彼らは生と死の狭間にいた。

 そう言って信じる者が、果たしてどれほどいるだろうか。


「お疲れ様。相変わらずすごいわね」

「お前に褒められても嫌味にしか聞こえねーよ」

「……本当にすごいから言っているのに」


 奇跡と評される力を振るいながら、エキドナはそれをおごることもない。


「アタシは単なる村人だからな」


 ただ小さく笑い、肩をすくめるだけだ。

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