第16話「内通者」

「そういえば、アンタに隠れてもう一人騒ぎを起こした奴がいたね」


 ひとしきり私への追求を終えたマリアは、次の話題に移った。


「ベティのことですか? あの子は――」

「分かってる。アンタと違って十分に酌量の余地がある。形式的な注意だけで済ませるつもりさ」


 『アンタと違って』の部分をことさらに強調しながら、杖の持ち手を撫でる。

 私も間接的に子供の救出に関わったんだから、酌量の余地は有り余っているはずなんだけど……。

 なんというか、マリアは私にだけ特に厳しい気がする。

 また要らぬお説教を受けそうなので、あえて言わないでおいた。


「説教されるとでも思っているのかねぇ。いくら念話紙を使っても出やしない。もし見かけたら早めに教会へ来いと言っておきな」

「わかりました」


 ソルベティストは私に次いでマリアに怒られる回数が多い聖女だ。

 マリアからの呼び出し=説教という図式が出来上がっていても不思議はない。


「それから。アンタからもユーフェアにもっと下に降りてこいと言っておきな」


 ユーフェアは山奥に引きこもっており、降りてくるのは年に一度の王国誕生祭のみだ。

 それ以外で降りてくることはほぼない。

 茶会に誘えば降りてくることもあるけれど、それも半々くらいの確率だ。


 いくら予見の力でファンが多いとはいえ、それでは示しがつかない――と、マリアは再三降りてくるように告げていた。


「あの子は人前に出るのが苦手ですし、過去のことも――」

「そんなことは関係ない」


 ぴしゃりとマリアは遮った。


「聖女に選ばれたからには滅私奉公だ。自分のことなんざ後回しにしてもらわけりゃならない」

「……」


 私はマリアに頭が上がらない。

 聖女の大先輩として、畏怖と同じくらい尊敬もしている。


「その考えはもう古いんじゃないですか?」


 とはいえ、自分の意見を引っ込めるようなことはしない。


「私たちは聖女である前に一人の人間です」

「そんなことは分かっているさ。けどそれを許容していたら組織ってモンは成り立たなくなる」

「だからと言って規則という縄で縛り続けていれば、いつか綻びが出ます」

「……ほう?」


 殴られるかと思いきや、マリアは面白そうに片眉を上げた。


「魔法や王国の体制は日進月歩で進化しています。けれど聖女だけは昔と変わらないまま。このままではいずれ形骸化してしまうとは思いませんか?」


 マリアは既得権益にあぐらをかく教会上層部とは違い、ある種の矜持を持って聖女を務めている。

 それは一緒に仕事をしていればすぐに分かる。


「アンタは何が言いたいんだい」

「聖女もそろそろ変化が必要なのではないかと」


 人々の生活が豊かになるにつれ、聖女の役割は次第に薄くなっている。

 私がウィルマの屋敷で税金泥棒と揶揄されたように、内陸部では既に聖女の威光は地に落ちている。

 いずれ『極大結界』の維持が必要なくなるほど魔物の対策が施されれば、完全に御役御免となる日もそう遠くないだろう。


 だからこそ聖女も変わらなければならないと私は考えている。

 活躍の場を広げ、オルグルント王国にとって無くてはならない存在で居続けるために。

 それはマリアも本当は分かっているはずだ。


 しかし。

 しかしマリアは……ゆっくりと首を横に振った。


「聖女は粛々と役目を全うする存在だ。存在意義を逸脱するような行動を取るんじゃないよ」

「……。了解しました」


 私の声は、彼女に届かない。



 ▼


「やっと終わった……」


 資料室の整理を終え、私はとぼとぼと帰路についた。

 王都で寝泊まりしている場所――魔法研究所へ。


「ただいまー」


 誰もいないことが分かっていながらも、口は勝手に言葉を発していた。

 久しぶりに帰ってきた部屋の主を歓迎したのは、妙な臭いだ。

 魔法の触媒を保管している瓶の蓋。そのどれかがしっかりと閉まっていなかったようだ。


「シルバークロイツに行くとき、慌てて準備したせいね」


 緩んだ蓋をしっかり閉め直してから本棚に並べ直す。

 瓶の横には帯が上下バラバラに入れられた乱雑な本たちが並んでいた。

 机の上には資料やメモ書きが竜の鱗のように折り重なっている。

 見る人が見ると発狂する部屋だけど――私はこの乱雑さをとても気に入っていた。


「聖女ボイル」


 飲料用に濾過された水路から汲んできた水を聖女の力で沸かし、珈琲を煎れる。

 独特の香りに刺激され、知らずに動きが鈍っていた頭が覚醒する。

 長年使いすぎてすっかり柔軟性の失われた椅子に腰を下ろし、淹れ立ての珈琲に口を付ける。


「はぁ。おいし」


 天井を向いて、ほぅ、と一息つく。


 頭の中に浮かぶのは、先程のマリアとの会話だ。

 私は聖女の使命とやらに積極的ではない。

 教会からも疎まれるような、ろくでなしの聖女だ。

 そんな私でも、今の聖女を取り巻く状況は危機感を覚える。


 敬虔なマリアがあの環境に疑問を抱かないはずがない。

 なのに……どうしてマリアは動こうとしないのだろう。



「――」


 この部屋には私しかいない。

 そのはずなのに、部屋に別の気配を感じて後ろを振り向いた。


 扉が開いてもいないのに、一人の聖女の姿がそこにあった。


「先輩。こっちにいたんスね」

「ベティ。マリアが探していたわよ」

「あはは……後でちゃんと怒られに行くッス」


 教会を毛嫌いするベティも、マリアには(ほどほどに)従順だ。

 彼女だけは他と違うと、ベティも認めているのだろう。


「それより。シルバークロイツ領での続報ッス」


 別れ際にジーノの招待を受けていたベティは、子供達を送り届けた後にシルバークロイツへと戻ったらしい。

 その際、捕らえたサンバスタの兵士たちからの情報をグレゴリオから聞いた、とのことだ。


「どうやらサンバスタにこの国の情報を横流ししている内通者がいたみたいッス」

「誰? そいつは」


 ベティは意味ありげな笑みを浮かべ、私に小声で耳打ちしてきた。


「またマリア婆に怒られる覚悟があるなら教えるッス」

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