仮題・不思議

剣道を習っていた頃、不思議な子がいたと思う。

おぼろげで確証はないけれども、とても静かで言われたことを熟し、かけ声も静かで、静寂の中を切り裂くようなものだった。

その佇まい――今なら所作と言える――を持つ不思議な子は稽古が始まる時も終わる時も一人、だったと思う。

思う思うばかりでつまらないけれど、その子が唯一、感情を表した所がある。

一人帰る姿の後ろで俺は友達に「またなー」と手を振っていた。前を向くと不思議は、なぜか、こっちを見て、俺に気づくと何事もなかったように帰って行った。

「思い出」の一部だ。


熱烈に焼き付いている。

不思議は何を思っていたんだろう。

こっちを見ていたんだろう。

表情をなんと表したらいいのか。

今なら言える。

少し悔しそうで泣きそうな、うらやましがっているような。

多分、一人はひとりすぎて寂しかったんじゃないかって今なら言える。

あの時、もし、一言「またな」て言えていたら、不思議と仲良くなれただろうか。

友達になって遊んでいたかもしれない。

視線が、顔が、今でも思い浮かぶのは、今ならと言うから。

今なら気づいてやれたのに。

俺は不思議と友達になりたかったんだって、今も後悔しながら寂しく思っている。

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