3.斜陽
その日は憎たらしいぐらいに晴れていた。
実戦に備えた訓練を今日も受けていると、「汐風!」と護岸から呼ばれた。そちらを見ると、出雲さんが手を振っているのが見えた。
「こうして呼びにくるの珍しいですね、なんかあったんでしょうか……」
持ち回りで一緒に訓練を受けていた松型の松が心配そうに言うけど、「それだったら放送で呼び出しがあるでしょうし、きっと大したことじゃないでしょう」と返す。ちらりと今日の担当艦の那智さんを見ると、「もうそろそろ終いの時間だしいいぞ」と頷いてくれた。
「お疲れ様でした」「お疲れ様です」
一礼して護岸の方に戻る。それほど遠くでやっていなかったとはいえ、ここまで声が届くなんて、どれだけの大声だったんだろう、とちょっと思う。
「すまないな、こんな形で呼び出して」
「いえ、大丈夫です。どうかされましたか?」
艤装を下ろしながら聞くと「あぁ」と一枚の紙を手渡してきた。目を通すと作戦要綱書だった。
「急で申し訳ないんだが、明日民間船の護衛任務についてくれないか? 元々別の船が就く予定だったんだが、急な作戦の応援で今朝出払ってしまってな……」
「あぁ、それなら――」
大丈夫です、と言いかけたところで、今回の編成を見て言葉が詰まってしまった。
「なんだ? もちろん無理にとは言わないが、何か気になるところがあったら言ってくれ」
「……いえ、大丈夫です。集合はこの時間で?」
「あぁ。よろしく頼む」
「分かりました」
足の艤装も外し終わって、護岸に上がる。出雲さんにも一礼をして、艤装を抱えながらもう一度目を通す。
――梅さんも一緒、かあ……。
作戦に私情を持ち込むのは良くないのは分かっている。でも、そう思う時は思ってしまうのが、この
まだ〝船〟だった頃は、乗組員の人たちの指示に従っていれば良かった。そこには自分の感情なんて関係なかったし、持ちようもなかった。
だけど今は違う。被弾すれば痛いし、誰かを喪くせば辛いし苦しい。楽しいと思うことも、ご飯が美味しいと思えることだったり良いこともあるけど、そればっかりじゃないのが気に食わない。そう思ってしまう私は、他の皆とずれているんだろうな、きっと。
悶々と艤装を抱えて工廠に入ると、そこには運悪く、今最も会いたくない人がいた。
「お、汐風さんじゃないっすか。作戦の話、聞きました?」
「あ、あぁ……うん」
頷くと「おぉ、そうっすか!!」と変わらない笑顔を浮かべた。
「寝坊しないでくださいよ? 朝早いんすから」
「あはは。分かってるよ、大丈夫。作戦の時は起きれるから」
「お、なら安心っすね」
整備が終わったのか、触っていた艤装をロッカーに戻して、「それじゃあ、あっしはこの辺で! また明日、お願いします!!」とちゃけて敬礼してすれ違った時――。
「……ねえ梅さんは、怖くないの」
そう言葉に出ていた。
「え?」
「私はいつか、あなたを沈めたのよ? この手で。そんな奴と出撃するなんて、怖くないの?」
私はこんなに、今でも苦しんでるっていうのに。どうして梅さんはそんな飄々としていられるの? 思いだしたら止まらなくなった。
そんな私に、梅さんは「うーん」と指を顎に当てた。
「まあ確かに、あっしの〝最期〟ってのは汐風さんに沈められましたけど……。でもあの時はそうするしかなかった、って思いますしねえ。それに、今は恨みっこなしの仲間じゃないっすか! あっしはそう思ってますんで」
――……。
「あんまり昔のことを考えたってしゃーないっすよ! それで時間が巻き戻る訳でもありゃしませんし! 汐風さんにはそんな表情、似合わないっすよ!」
「それじゃ!」と梅さんは工廠を出て行ってしまった。一人ぽつんと残される。
どうして皆、そうやって簡単に過去を割り切れるのだろう。確かに時間が巻き戻る訳ではないし、それで無かったことに出来る訳じゃないのは分かってる。それでも、自分が為したことをそう簡単に許せる訳じゃないだろうに。自分が受けた事を忘れられる訳じゃないだろうに。何で、あの人はああやって笑えるのだろう。分からない。
抱えている艤装をガチャンと自分のロッカーに置く。梅さんにもそうやって言われたら、いよいよ私がおかしいって言われてるようなものじゃない。
分からない、本当に分からない。その時だった。
「――ッ?!」
激痛が走った。身体の内側から何かにグッ、と締め付けられているような感覚に陥る。痛い。痛い痛い。痛い痛い痛いッ!!
視界が揺らぐ。倒れそうになるのを、ロッカーに手をついてなんとか耐える。
「はぁ……はぁ……っ」
しばらくしてやっと収まった。床に崩れ落ちる。
どうしたんだろう。今までこんな事はなかったのに。疲れてるのかな。夜はしっかり寝ているはずなんだけど。
息を整えて、なんとか立ち上がる。ちゃんと艤装も整備しておかないととか思ったけど、今日はもう休んだ方が良いかな。壁に手をつきながらよろよろと勝手口に向かう途中、
――ッ?!
窓に映った私の目が、一瞬得体の知れない何かだったような気がした。目を瞑ってもう一度開くと、疲れ果てた私の姿がそこにあった。今日はもうだめだ。明日のためにもう寝よう。そう思いながら、なんとか部屋まで歩を進めた。
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