███:私たちには必要が無いもの
1.消えない傷
「はーあ……」
カレンダーを見てため息をついた。
今年も残りわずか。と言っても、この十二月はクリスマスにお正月に……と、[[rb:船魂娘 > ふなだまむすめ]]になった今だからこそ楽しめるイベントが目白押しなのだけど、どうも私は乗り気になれなかった。
その理由はただ一つ、年明けには「あの日」がやってきてしまうから。
「まーたそんな辛気臭い顔して~。幸せ逃げるよ~」
「あつっ?!」
いきなり首筋に熱いものを押し付けられて、反射で手で押さえる。
「ちょっと何するのよ?!」
振り返ると、妹の野風が缶コーヒーを指先でぶらんぶらんさせながら、いたずらっ子のように笑っていた。
「こんな部屋冷えてんのに暖房もつけないし。そんな薄着してたら風邪ひくってば。ほら」
持っていた缶コーヒーを投げつけてきて、何とか受け取るけど熱い熱い熱い!!
「あ、ありがと……」
「どーせまた梅さんのことでも考えてんでしょ」
「そんなことない」
「ある。顔に書いてる」
言われて、そんなこと本当にないのに、と一人ごちる。
そう、「あの日」というのは私の後輩、松型駆逐級の梅さんが沈んだ日のことだった。と言っても、〝船〟だった頃の。
ただただ作戦中に敵に攻撃されて沈んだだけだったら、姉妹艦でもないし、そこまで落ち込むことはなかっただろう。けど、梅さんを沈めたのは、この私だった。
あの時、台湾の高雄からフィリピンのルソン島に向けかうよう指令を受けた私と梅さん、そして同じ松型の楓さんの三人で移動していた。その道中で敵の偵察機に見つかり、その対処に遅れた梅さんは沈みかけていた。
その有様はひどかった。直撃弾で船尾に積んでいた爆雷に誘爆して無くなってしまっていたし、ハチの巣にされてしまった梅さんにはもう手の施しようがなかった。だから、当時〝私〟に乗っていた指揮官は「梅を沈めろ」と命令して、それに私は従った。その時の一撃の重さは、[[rb:船魂娘 > ふなだまむすめ]]になった今でも忘れることが出来ない。
実際、船魂娘になってからその事を[[rb:峯姉 > みねねえ]]に話したら、「あれは攻撃されて沈んだようなものでしょ」って軽くあしらわれてしまったし、再会した梅さん本人にも「気にしないでくださいよ」と笑われてしまった。皆それぞれ、あの頃のことを「それはそれ」として生きているけれど、どうしても私はそう思えなかった。
「ほらー! また湿気た面してるー!!」
「んんっ?!」
今度は両頬つねられた。こいつは姉をなんだと思ってるんだ。
「ただいまー」
「あ、峯姉! おかえり~!」
「[[rb:ほふはへさはへふ > お疲れ様です]]」
そんな私たちを見て、一番姉艦の峯姉は「何やってんのさ」と呆れた。
「だってまた汐風姉が湿ったれてるんだもん」
「そんなの放っておきなって。毎年の病気みたいなもんなんだから」
「びょ、病気って……」
やっと野風に解放されて、痛む頬を撫でる。爪まで立てたのか少しへこんでいる。にゃろう。
「だって梅さんも気にしてなかったんでしょ? だったらもう気にすることなくない? もう何十年も前の話なんだしさ」
「だけど……! 進水して間もなかった梅さん沈めちゃったんだよ? それに対して私は〝最後〟まで生きてたって言うのにさ。そんなの、あんまりだよ」
「でもあの時の梅さんはどうにもならない状態だったわけでしょ? それに反応が遅れた梅さんのせいでもあるわけだし」
「そんな……ッ、言い方……」
「汐風は優しすぎるんだよ。優しいのは良い事だけど、場所間違えたらアンタも沈むよ」
卓袱台に置いてあったクッキーを頬張りながら峯姉に言われて口ごもる。何か言い返そうと必死に言葉を探すけど、何一つ言い返せなかった。遣る瀬無くなって乱暴に「少し出てくる」と、逃げるように部屋を出た。
+++
薄着のまま勢いで飛び出してきてしまった私に、すっかり冷え込んだ海の風が容赦なく吹き付けてくる。私の気持ちを代弁するかのように、陽も通さないぐらいに雲も厚くって余計に寒い。けど、それが今の私には心地良かった。
護岸を一人歩いて、寂れた倉庫裏に向かう。その茂みの中に転がるドラム缶の上に座って、大きくため息をついた。
――汐風は優しすぎるんだよ。優しいのは良い事だけど、場所間違えたらアンタも沈むよ。
私が沈むんならそれで良い。それで過去の罪と一緒に消せるのなら。だけどそうもいかないから、今でも私はこうして生き続けている。情けない話だ。
「あれ、そこにいるのは汐風さんっすか?」
そんな声がしてふと顔を上げると、そこには件の梅さんがいた。
「やっぱり! こんなところでなにやってんですか。風邪引いちまいますよ?」
「あぁ……うん、心配してくれてありがと。もう少ししたら戻るから」
とりあえず放っておいてもらおうと思って、愛想笑いを浮かべて手を振ってみるけど、梅さんは「そうっすか? にしたって、ここあんまり人通らないし心配っすよ」とこっちに来てしまった。こうなってはもうしょうがない。観念しよう。
「梅さんこそ、どうしてここに?」
「ああいや、ちっと食堂の連中に頼まれたもんを、あっちの倉庫に取りに行く所だったんす。何やら手が離せないってんで」
「それじゃあ早く戻ってあげた方が良いんじゃない?」
これ幸いに言ってみるけど、「特に急いでもなさそうなんで、大丈夫っすよ」と笑われてしまった。なかなか手強い。
「それにしても汐風さん、いつも「さん」付けはやめてくれ、って言ってるじゃ無いっすか。一つ二つ上ならまだしも、二十以上も歴長いんすから」
「それは艦歴上の話でしょう? 船魂娘としては、あなたの方が長いんだから」
「そうだとしても落ち着かないすよ。どうかこの通り!」
私の目の前で頭を下げて、パンと手を合わされてしまった。そう言われたら断りづらいけど…………うーん……。
「わ、分かった……努力はする、けど……」
「お願いします!! むず痒くてしゃーないんっすよね」
あはは、と梅さんは笑って、私の横に腰を下ろした。長居するつもりか。このままじゃ梅さんも風邪引いちゃうだろうに。
「しかしここ最近、めっきり寒くなりましたねえ。今年は夏も長かったのに、あっちゅうまでしたね」
「……そうね。気がついたら紅葉も終わってたし」
「本当っすねえ。毎年の楽しみだったのに」
つまらなそうに口を尖らせた梅さんに、私はなんとなしに「ねえ、梅さん」と声をかけた。
「? 何っすか?」
――私と居て、腹立たないの?
そんな言葉を飲み込んだ。まさか当人に向かって言えるわけもない。不思議そうに首を傾げている梅さんに「ううん、ごめん。何でもない」と言うと、「そうっすか? 別に気にしなくて良いっすよ?」と言ってくれた。
「本当に大丈夫。気にしないで」
「そう言われると余計に気になるのが、人間の心理ってやつですけど……まあ聞かないでおきますわ」
「あはは、ありがとう」
笑って立ち上がる。すっかり寒さで膝が硬くなっているのを感じながら、「私はそろそろ戻るね。話に付き合ってくれてありがとう」とお礼を言った。
「全然っすよ!! また今度ゆっくりお茶でも!」
相変わらず梅さんは笑ってそう言う。その笑顔に影はない。
「……うん、気をつけて倉庫行ってきてね」
「うい!」
手を振る梅さんに振り返して、私は本館の方に向かう。
戻るとは言ったものの、まだ部屋に戻りたくはない。色々考えた結果、一旦静かな図書室に引き篭もることにした。あの古本と古い作戦資料の埃臭さが、数少ない私の居場所だった。
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