気になる私と振り向かない君
32.あの子はずるい
「おっはよー!」
朝、信号待ちの通学路で突然背後から声をかけられた詩音はびくりと肩を震わせた。慌てて後ろを振り向くと、首を傾げた凛々果が不思議そうな顔をして自転車に跨っている。
「なに?そんなお化け見た時みたいな顔しちゃって」
「考え事しててビックリしただけだよ。わざと脅かすなよ」
先日、深夜に帰ってしまった乃慧琉の事を考えていたのだ。答えた詩音に、ぼーっとしてたら危ないよと返した凛々果は顔を覗き込む為に自転車のペダルを強めに踏んだ。
「いつもこの辺で鉢合わせるんだから、そろそろ声掛けられるなって準備しとかないと」
「準備してても急に話しかけられたらびっくりはするよ」
「私はその為に、朝練ない時はこの時間に家から出てきてるんだから」
信号が青になったのを確認しながら明るい口調で言った凛々果は隣に並ぶ。ヒュウと音を立てて拭いた風が、切り揃えられた短い髪とスカートを大きく揺らした。
「見たでしょ」
「…見てないし、体操着履いてるから見えても大丈夫だと思う」
「しっかり見てるじゃん」
言いつつも、大して気にもしてなさそうな反応をして微かにスピードを落とした凛々果はチラリと詩音を視界の中に入れて髪を耳にかけながら尋ねてくる。
「乃慧琉ちゃんと詩音って最近仲良いよね」
「ん?」
「ん、じゃなくてさ、仲良いよねって」
「いや、僕達は仲良いっていうより知り合い以上友達未満みたいな」
「家に泊めたって聞いたよ」
「え………!なんでしってんだよ!」
「葵ちゃんが教えてくれた。お兄ちゃんが家に可愛い子連れてきたってラインで」
「あいつ………」
余計なことしやがってと溜息を漏らす。葵と凛々果がそれなりに仲良くしてる事を忘れていた。お喋りな妹から何を聞いたのか、横目でこちらを見た凛々果は疑いの目を向けて唇を尖らせる。
「そういや、なんかこの間から妙に接点が増えてる気がする。もしかしてみんなに内緒で付き合ってる?」
「違う違う。葵に何聞いたか知らないけど、本当にそんな関係じゃない」
「あっ、そうですか。私だって泊まったことないのに」
「ないのにって…、別に競い合うことじゃないよ」
なんの前触れもなく、拗ねた子供のように振る舞う凛々果に詩音は訳が分からず首を傾げる。
「私も詩音パパのご飯食べたい」
「来たいならいつでも来たらいいよ。葵も喜ぶし、父さんは人にご飯振る舞うの好きだし…」
「そういうのじゃ無いんだよねー」
分かってないなぁとわざと聞こえるように言った凛々果の横顔はさっきよりも不機嫌になって詩音を抜かしていった。肩までのボブヘアも凛々果が自転車を漕ぐたびにバサバサと揺れて、心なしか苛立ってるように見える。
だがしかし、詩音にとっては分かってないもクソも無いような会話だった。なのに分かってないと言われてちょっとムッとしたから、よせばいいのに凛々果を呼び止めるように聞く。
「待って、なんか怒ってる?」
「怒ってないよ」
「え、でも」
「その質問嫌い」
返事だけでもうすでに怒気を含んでいる。大きくブレる凛々果の後頭部を見つめながら首を傾げた。
「…どう見ても怒ってる」
詩音がオマケに放ったその一言は、どうやら地雷を見事に踏みつける一歩だったらしい。風に吹かれる髪の毛を右の手で雑にかきあげた凛々果は眉を吊り上げて詩音を睨んだ。
「しつこい!怒ってないから!」
え?絶対怒ってる…と心情が顔にまで出たけれども、もう爆弾は踏みたくない。爆撃により大負傷して黙り込む詩音だったが、よほどさっきの一言が気に食わなかったのか凛々果は付け足すように叫んだ。
「ていうか乃慧琉ちゃんと話してる時だけ、詩音ってなんか変だしキモい!」
「は…!?」
いつもなら見逃すはずの凛々果の軽口にしては、心に引っかかるレベルのものが飛んできた。たまらず言い返そうとした詩音を無視して、フンと鼻を鳴らし
「…なんだあれ」
乃慧琉とはまだ距離感があって、いつもより緊張してるんだから話し方がちょっと固くなるのは普通のことじゃないか。それに比べて葵や凛々果に緊張しないのは当たり前のことだ。そもそも比べるところがおかしい。妹に緊張なんかしないし、それなりに長く一緒に居る学校のクラスメイトにだって緊張したりしない。だからといって雑に扱ったりとかしたことも無い。
なんて、我ながらウジウジとここまで分析して考えてる自分がキモい。だがしかしキモくて何が悪い。そう思うと勝手に一人で怒ってる凛々果に対してこっちも微妙に腹が立ってくる。スピードを出すためペダルに立ち上がった詩音は、さっきよりも足を回す勢いを強くして凛々果の背中を追いかけた。
「凛々果!お前だって今日は変だぞ!」
詩音が叫べば通勤で街中を歩くスーツ姿の歩行者が振り返り、同じように凛々果も詩音を振り返った。
「お前って言うな!」
怒鳴ったあと、変顔をしながらベーっと舌を出した凛々果が乗る自転車は電動式だ。ぴゅーんと愉快な音が聞こえてきそうなほど凄いスピードを出して、ママチャリの詩音との距離をぐんぐんと空けていった。凛々果の背中が遠くなっていく、だけど詩音も負けてはいない。競輪選手かのごとく姿勢を低くしてこれでもかってぐらい、もはやペダルを通り越して足だけが回ってるんじゃないかってレベルには全力で自転車を漕いだ。
「よぉ、詩音。さっき
同じ学校の生徒達が多くなってくる開けた道で龍心とすれ違う。何か言われたと思ったその瞬間にはもう追い越していた。
「諏訪と学校まで勝負してるのかー?」
大きな声で尋ねる龍心の声を背に、ハァハァと息を切らしながら必死でペダルを漕いで沢山の生徒達の間をすり抜けて行く。数人に変な目で見られても、同じ学年の子に「あいつら何だ」とか言われてももう止まれない。
凛々果の背中はもうずっと先にある。だって向こうは電動だし、おまけに運動部だ。詩音が所属しているのは週に一度だけの将棋部なので基礎体力が違う。そもそもなんで凛々果のことを追いかけているんだっけ。なんだったかな、と考える余裕がないぐらい脳ミソに酸素がないままスピードを緩めることなく、生徒を避けながら大通りを走った。
「あ、一ノ瀬詩音!危ないなぁっ!」
避けた生徒の中に
そしてそのまま学校の門を物凄いスピードでくぐり抜ける。少し先に凛々果が泊まっているのが見えたので、その場で急ブレーキをかけた。
「おーい、そんなに慌てなくてもまだ遅刻じゃないぞ。急ぐと危険だから安全運転で来なさい」
学校に入るなり生徒指導の先生に注意される。ごめんなさいと息を切らしながらも謝って顔を上げれば、一つとして呼吸を乱してなどいない凛々果が目の前に立っていた。
「…なんで学校まで追いかけてくんの。めちゃくちゃみんなに見られちゃったじゃん」
「僕もこの学校の、生徒なんだよ」
「屁理屈やめてよねっ」
呟きながらツンと唇を尖らせた凛々果は未だ不機嫌そうな顔をしていたが、もう怒っているようには見えなかった。詩音はというとマラソンを全速力で走った後みたいに心臓がバクバクしていて、かーっと熱を持った全身から汗が大量に吹き出してくる。
「凛々果はラクロスしてるから、全然息が上がってないね」
乱れる呼吸を整えながらそう言えば、一瞬間の抜けた顔をした凛々果は言葉を理解したあと「電動なんだから当たり前じゃん」と目を細めて笑う。いつもの凛々果らしい砕けた表情に安堵した詩音は額の汗を拭った。
「なら私が勝ったからジュース奢りね」
自転車を漕ぐことで怒りを発散したのか、スッキリした顔をした凛々果は首を微かに斜めにしてからかうように詩音のことを見た。動くたびにサラサラのボブヘアが揺れてその隙間から小さな耳たぶが覗く。
「そもそも不利な勝負だ…」
言いながらも、凛々果の機嫌が戻っていることに安心していた詩音は自転車から降りて駐輪場まで歩き出す。落ち着きを取り戻した凛々果も、いつものように詩音の隣をついて自転車を押して歩いた。そしてポツリと呟いた凛々果。
「さっきはごめん。私も詩音と友達なのに、あとから来た乃慧琉ちゃんの方が詩音と近く見えてちょっと寂しかっただけだから、深い意味はない」
そう言って凛々果は少し気まずそうに詩音のことを見上げた。凛々果のこういう素直な性格が詩音は羨ましいし好きだった。肯定的な返事を示すように詩音は深く頷く。するとパズルをはめた時みたいに自然に凛々果と視線が合った。だけどなんだかいつもと違う。
詩音と比べて20センチは低いであろう身長と、アーモンドの形をした綺麗な目が詩音を見つめる。体を動かしたあとだからか微かに頬を赤くさせた凛々果の、薄紅色の唇がそっと開くのが見えた。
「…あのね詩音、本当は私さぁ」
「りりー、おはよ!」
後ろから走ってくる足音と、叶音の甘ったるい声が何かを言いかけた凛々果の声を掻き消す。かと思えば自転車を押す凛々果に叶音が勢いよく飛びついた。すると凛々果はスゥと表情を変えて詩音から目を逸らす。
「おはよう、叶音。と乃慧琉ちゃん」
何を言いかけたんだろう。それも気になるけど凛々果がそう言ったって事は乃慧琉が後ろにいる…なんてこった。とりあえず変に思われたくないから挨拶をしようか。頭と体をかちこちにさせた詩音は乃慧琉の方を振り返った。
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