27.二人でお風呂に入ろ

 先制攻撃を喰らった詩音と、どこか楽しそうな乃慧琉は特に大した話をするわけでもなくグラタンを食べ終えた。それから30分ほどして、少しばかりテンションが落ち着いた葵がリビングに戻ってくる。


「お待たせ〜、お風呂もう入れるよ」


 言いながら部屋に入ってきた葵の手には自分の部屋着と乃慧琉の物らしき服が抱えられていた。どうやら詩音達が待っている間にお風呂を洗って溜めるまでを終えたらしい。そして躊躇ためらうことなく乃慧琉の手を取って「一緒に入ろう」と連れて行く。困り眉の乃慧琉は戸惑いながらも抵抗はしない。


「乃慧琉ちゃんには私の良い匂いのシャンプー貸してあげるね」


 ニコニコしながらどうでもいいことを言ってる葵へ、流石にといった感じで立ち上がった詩音は声を掛ける。


「わざわざ初対面の高岡さんと入らなくてもいいだろ。なんで一緒に入る必要があるんだよ」


 予想外にも、葵は素直に足を止めた。そして詩音の方を振り向くが今まで見たことないぐらい皺を顔の中心に寄せて、不味いものを食べた時みたいに渋い顔をしてる。


「…葵、お兄ちゃんじゃなくてお姉ちゃんが欲しかったんだよね」


 なんて、心底残念そうに言われた。後ろで乃慧琉が何とも言えない表情をしているのが見える。実の妹にそんな寂しいことを言われてはもうグウの音も出ない。小学校低学年までは一緒に入っていた気がするけど、先に「お兄ちゃんと入るのやめる」と言ったのは葵なのに。そこまで考えていれば、詩音の心を読んだのか葵があははと表情を明るくさせて顔を綻ばせた。


「うそうそ、冗談だよ。葵がお兄ちゃんのこと大好きなの知ってるでしょ?葵は一人で入るし、シャンプーの種類とかを教えるだけだから」


 そう言い残して、葵と乃慧琉はリビングを後にする。


「大好きなんだ……」


 ぽつりと先ほどの葵の言葉を反芻はんすうした詩音は、ならいいや…みたいな感じで満足気に皿を片し始めた。スポンジに洗剤を落として泡を作り、鼻歌混じりに皿を洗っていると廊下の方で葵がキャーキャーと騒ぐ声が聞こえてくる。詩音は先程の大好き発言もあり、うるさくも可愛げのある妹だなんてホクホクとした気持ちで皿を洗っていれば。


「なら一緒に入ろうよ!葵が背中洗ってあげる!」


 その声に思わず腰から崩れ落ちそうになった。一緒に入る?さっきの今でなんでそうなるんだ。理由は分からないけど、二人で入る事になったのを喜ぶ黄色い声は風呂場の方に消えて行く。

 しばらくして父さんが戻ってきて、ママは忙しそうだとだけ言ってもう一つグラタンを焼き始めた。おそらく自分の分だろう。そして食器を洗い終え、リビングのソファーに座った詩音の隣に父さんも腰掛けた。


「ノエルちゃん泊まるって?」


「…どうだろう。葵の勢いに断れないんだよ、きっと」


「どちらにしても、もし泊まるなら親御さんに連絡を入れないといけないね。あとで電話番号を聞かないと」


「あ、そのことなんだけど…」


 少し迷ったが、嘘をついたところで結局あとから辻褄が合わなくなることを不安に思った詩音は乃慧琉が広い家に一人で居ることや自分が感じた不自然さを話した。


「多分、親があんまり帰ってきていないのかもしれない」


 口に出して詩音は初めて、自分がここまで乃慧琉を気にかけていたのかと改めて実感した。きっかけは些細なことだったとしても、それなりに乃慧琉へ感情移入をし始めている証拠だった。

 ソファーに深く腰掛けていた父さんは詩音の話に黙って耳を傾けた後、顎に生えた短い髭を指でなぞりながら難しい顔をして口を開く。


「冷たいことを言うようだけど、パパや詩音が出来ることはとても限られてるよ」


「………」


「ご飯を一緒に食べるのも泊めるのも別に構わないけど、ノエルちゃんの家庭の問題まではきっと僕達には解決出来ない」


「そんなこと、分かってるけど…」


「…まぁ、人に優しくするのは良いことだもんな。ノエルちゃんが困っていたらいつでも話を聞いてあげなさい」


「うん…」


 頭では理解しているけど、心がどうにかしてやりたいと思ってる。思ってるけど、どうすれば良いのかは分からない。助けてやりたいと思うことはいけないことなのだろうか。

 自分の考えの浅さに気付かされたことに深い溜息を吐いた時、風呂場の呼び出しボタンが押されたのかリビングに陽気な効果音が部屋に流れた。


「お兄ちゃーん!ちょっと来てー!」


 呼び出し音の後に葵の大きな声が続く。さっきまで真剣な顔をしていたはずの父さんはいつもの笑顔で「呼んでいるよ」と言った。その様子に少しホッとして頷いた詩音はソファーから立ち上がり洗面所へ向かう。

 一体何の用だろう。ちょっと気まずくてリビングから出たかったからタイミングは良かったけど、そもそも自分が行ってもいいのか。ドキドキしながらも洗面所を控え目にノックする。


「あおい…」


 言いかけた声を掻き消す程の声量で、中から返事が返ってくる。


「あのさー!乃慧琉ちゃんのおっぱいが大きくて葵のパジャマがきっつきつなの!」


「わ、言っちゃダメだよ葵ちゃん…!」


 葵の馬鹿みたいにデカい声の報告と珍しく焦る乃慧琉の声を聞き終え、詩音は自分がここまで来るのを選んだことを目一杯後悔した。

 そして葵の言葉通り、風呂場で自分の体のサイズに合わないキツめな服を着て困る乃慧琉。そんな姿を想像しそうになって口元が緩みかけたが妙な罪悪感に襲われて、ぴちぴちの服を着るおじさんにイメージをすり替える。咳払いして洗面所の向こうに尋ねた。


「…それはなんの報告?」


「いや、報告とかじゃなくて着れないからお兄ちゃんの服を何着か持ってきて」


「え?」


「ぴちぴちのままじゃ可哀想だよ。てか風邪ひくから早く!」


 見えないのに葵がどんな顔をしているのか想像が出来る。急かされた詩音は歩いてきた廊下を走って戻り、自分の部屋から乃慧琉に合いそうな服を探す。別にどれも似合うと思う。だけど自分の服を渡すのなんて普通に恥ずかしい、でも急がなければ。適当な上下をクローゼットから鷲掴み、また洗面所に戻る。


「持ってきたよ」


 扉をノックすると微かに開いた引き戸からにゅうと腕が伸びて出てきて、ギョッとして体を後ろに引いた詩音の手から服をかっぱらっていった。


「ありがとー、お兄ちゃん」


 葵のスッキリしたような声のあとに、二人のわちゃわちゃと盛り上がる会話が聞こえてくる。


「葵ちゃん、これどうやって脱ぐの?服が破れちゃう…」


「ちょっと触ってもいい?」


「あ、待って、そこはくすぐったいよ…!」


「うわ、めちゃくちゃ柔らかい!」


「葵ちゃん…っ」


洗面所の扉の前で、詩音は二人の怪しい会話を聞きながらその場に立ち尽くす。二人のいる洗面所では一体何が行われているんだろう。服の感想が気になるけど盗み聞きするのもなんだか悪いし、と詩音は静かに風呂場を後にした。

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