おかしなモノを拾いまして。
藍依青糸
1拾い
職場のパン屋からの帰り道。
少し早足に、我が物顔で煙草をふかす隣国の兵士の横を、通り過ぎた。
自分のブーツから目線を外し、ちらりと盗み見た軍人達は、全員が肩に小銃をかけていた。
そりゃあ、こんな下っ端らしき軍人達でさえ銃を持たされていたら、まだほとんどが剣を握っているウチの国は戦争に負けるでしょうね、と、どこか他人事のように思った。
私のアパートは街の中心からは離れたところにあるので、だんだんと道が寂しくなってくる。ひと気のない道を曲がったところで、ふと、何かが視界の端で動いた気がした。気のせいだろうと思いつつも、薄暗く細い路地裏に目線を移せば。
「犬?」
山積みになったゴミ袋の奥で、ボロボロの捨て犬が横たわっていた。
「あはは……触らない方がいいよ、お嬢さん。捨て犬より汚いから」
捨て犬が喋った、のではなく、路地裏で小さくうずくまっていたのは、捨て人間だったのだ。
あまりにぐったりしていて生きているかどうかすら怪しかったので、間違えてしまった。確かに捨て犬の方がもう少し綺麗かもしれない。
薄暗い路地裏で、なんとか一人で体を起こした捨て人間(オス)が着ていたのは、白い所がないほど泥と血で汚れたシャツに、血で色が変わっているズボン。靴は履いていなくて、素足は泥と血まみれだった。
これまた血と泥で固まってしまっている髪も、元の色は分からない。顔の半分は殴られたのか、酷く腫れて血が滲んでいた。
それでも、緩く笑う澄んだ深い青の瞳だけは、血に塗れていなかった。
その青色から目が離せなくて、スカートが汚れるのもかまわずに男の前に膝をついた。近くで見れば見るほど、澄んだ青い目に胸がざわめく。こんなにボロボロなのに、傷つけられたのに、その目が濁っていないことに、泣きたいような怒りたいような気になった。
「あなた……ひとりなの? お母さんは一緒じゃないの?」
「うぅーん。もう、母と一緒って歳でも、ないかなぁ」
見るからに死にかけなのに、ヘラヘラと笑っている男。親と離れたと言う声音は驚くほど穏やかなのに、顔がぶっくり腫れているので、なんだか痛々しかった。
「あなた、どこから来たの? 家は? この怪我は……軍人にやられたのね?」
「……」
困ったように、死にかけの男は腫れた顔を歪めて口角を上げた。それを見て、思わず唇を噛んだ。
2ヶ月前、長い戦争が終わった。
隣国と3年も争っていた我が国は、多くの犠牲を出しても続けていた戦争に負けた。なんの理由で争っていたのかも忘れてしまうような、長い3年だった。
軍人でなくとも殺されるようになったのは、女子供も銃を向けられるようになったのは、街に畑に火をつけるようになったのは。今から、半年ほど前だった。
戦争が終わってからも、この国を統治している隣国に反抗的な態度を取れば銃を向けられ、痛めつけられた。見せしめに殺される人もいた。噂では、イラついていた隣国の軍人がいいががりをつけて、ただの市民を袋叩きにすることもあったらしい。
だから、ボロボロの人間は、私達国民にとって、もうさほど珍しい物でもない。
ただ、最近になって変わったことといえば、隣国から食べ物や医者がたくさんやって来て、私にもそのボロボロの捨て人間を拾う余裕ができたことだ。
「おいで、手当してあげる。ちょうど薬があるの」
「……え」
美しい青い瞳を丸くして、端の切れた口をぽかんとあけて。捨て人間は、私の顔と差し出した手を何度も見比べていた。ほら、ともう一度手を差し出す。
「はやく、夜ご飯の支度が出来なくなっちゃう」
「……あ、はは。やめといた方がいいよ、お嬢さん。僕に何かするより、自分のために取っておいた方がいい。生活も大変だろうし」
「そんなの私の勝手でしょ。ほら、はやく」
「……やめなさい、お嬢さん。こんな時に、助かる見込みのない、見知らぬ男に、薬なんて分けてはいけない」
優しく、諭すように言ったボロボロの男は、ゆっくりとその青い瞳を閉じた。このまま死んでしまうのではないか、と思うほど、穏やかな表情だった。
「ちょっと、目を開けて! しっかりしなさい!」
「……ありがとう。1日でも早く……君が、不自由ない生活を送れるよう、祈ってる」
「不自由なんてしてないわ」
ぱちん、と軽く男の頬を叩いた。うっすらとまた、澄んだ青い瞳が覗く。
「子供が変な気つかってるんじゃないわよ。それに、勘違いしないでね。私だって、余裕があるから拾うの。やっと、拾えるようになったの。……もう、捨てたく、ないの」
そう言ってしまえば、胸が押しつぶされたように苦しくなった。何故か目が熱くなって、喉がしまる。こぼれ落ちそうになった涙を、歯を食いしばって堪えた。
さっきまで死にかけだった男が、私の顔を見ていきなりぎょっと目を開く。
「え、嘘……お、お嬢さん? 大丈夫?」
「……なんでもない」
4人と2匹。
私が戦争中に、路地裏で見捨てた数だ。
助かる怪我だったり、助からない怪我だったり、ただ1食恵んでくれと言われただけだったり、様々だったが。私は、全て捨てた。
自分が食べるのにも困っているから、昨日隣の街が焼かれたから。理由を並べたらキリがないが、私は見捨てた。路地裏で彼らを抱き起こして、事情を聞いて。そして、捨てた。
私は、拾ってもらったのに。
「……あなたは、私が拾う。私が拾うんだから!」
ぐっ、とボロボロの男の腕を引っ張った。
「……お嬢さん……ゴミは……拾わない、方が……」
いきなり、がくん、と男の体から力が抜けた。それを支えきれずに、私も地面に尻をついた。
ボロボロで小さく見えていた男は、思っていたより2回りは体が大きく、思っていたより2倍はずっしりと重かった。どうやっても私1人では運べそうにない。もっと鍛えておけばよかった。
「アリッサー? 何してるんだ、こんなところで。夜は危ないから早く帰れよー」
「大家さん!」
私の養父でもある、アパートの大家さんが通りがかった。中年男性にしては異常に筋肉質で、常に私に筋トレを勧めてくる。正直普段はうんざりしている。
だが、今はこれ以上ないぐらい頼もしい。ありがとう大家さんの筋肉。
「大家さん、助けて! お願い!」
「どうした? ……なんだコイツ!?」
大家さんに急いで私の部屋にボロボロ男を運んでもらって、ベッドに寝かせる。私がボロボロ男の服を替えたり体を拭いている間に、大家さんが医者まで呼んでくれた。
ボロボロの男を診た医者が言うには、怪我も酷いが衰弱も酷い、なんで生きているのか分からない、奇跡だとのこと。
一方筋肉質な大家さんいわく、この男は中々の筋肉の持ち主であるから、これぐらいでは死なないとのこと。私は大家さんの説を支持する。
医者は、もしかしたら明日まで持たないかもしれないし、回復するかもしれない、とハッキリしないことを言って、傷を縫ってから少しの薬をくれた。大家さんの友達の医者は、お金はいらないから、と代わりに私の部屋にあった余り物のパンを持って帰った。
「アリッサ、また拾いぐせが出てきたな」
大家さんが、ベッドに眠る包帯だらけの男を見ながら言った。ベッドの横にある窓には、落ちてしまった鳥の巣や、汚れて捨てられたぬいぐるみ、縁が欠けたマグカップなどが並べられている。
「……だって」
「いや、いいんだ。その方がアリッサらしくていいって事よ。……まあ、戦争が終わって一発目が人間とは驚いたがな!」
大家さんは、ぐしゃりと私の頭を撫でて部屋を出ていった。いつも良くしてくれて、私は大家さんが大好きだ。それなのにいつも筋トレ断ってごめんなさい。
拾った男は、ベッドの上ですうすうと静かに息をしていた。
綺麗に汚れを拭いた男の髪は灰色がかった金髪で、きっと太陽の下では、あの澄んだ青い瞳に良く似合うのだろうと思った。可哀想なほど腫れた顔が、早く良くなればいい。
しかし、それから丸一日、男の青い瞳が開くことは無かった。
「起きて、ご飯作ったから」
声をかけても、軽く揺すっても起きる気配が無い。
このまま、名前も知らないままこの男が死んでしまったらどうしよう。助けられなかったらどうしよう。せっかく拾えたのに、死なせてしまったらどうしよう。
そう思うと、全身から血が落ちていくような心地がした。
「……起きて、ご飯を食べて。元気になって」
何度ゆすっても、あの澄んだ青は見られなかった。
それから1度大家さんがやって来て、男物の服や食材を分けてくれた。本当に優しい筋肉……いや大家さんだ。
少しおしゃべりをしていった大家さんが帰っても、男は目を覚まさない。もう一度声をかけようと、ベッドに近づいた時。
ぱぁんっ、と。窓の外で、銃声がした。
特段珍しくもないその音に、意識を向ける前に。
「っ!!」
飛び起きたボロボロの男に、手首と首を押さえつけられ、ベッドに押し倒された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます