6-4. 特定
「あの道の……真ん中あたり……」
息も絶え絶えの相見麗良が、私とコンさんに連れられ、チャブの散歩道へと連れていかれる運びとなった。チャブはご主人様を心配しているのか、しきりに鼻を鳴らしてすり寄っていた。
市と市の境にあるあの道へとやってきた。図書館裏の道だ。今にも卒倒しそうな相見麗良にはコンさんが肩を貸して、チャブのリードは私が持って歩いて行った。そして例の祠の前に来た。
「このあたり……です」
相見麗良がつぶやく。コンさんが返す。
「祠のあたりか?」
「祠……? 分かりませんけど、この辺でリードと髪紐とが切れて……」
「リードも切れたのか?」
「はい。頑丈なやつだったんですけど」
コンさんはしばし祠の方を見つめると、徐に相見麗良をそっと座り込ませ、祠の方へと近づいていった。私はその様子を黙って見つめていた……黙って見つめるより他なかった。
ぶつり。
コンさんのネクタイとベルトが切れる。そりゃあ、まぁ、そうだろうな。そういう呪いをかけておいた。あの場にある紐の類は全て切れる。
ネクタイの切れ端が地面に落ちる。コンさんはそれを拾い上げると、同じく腰からだらしなくぶら下がっているベルトの残骸もシュッと抜き、畳んでポケットにしまった。腕を組んで考えるような顔になると、すたすたと私がいるところにやってきた。
これはおそらく、だが。
コンさんはこの一件を解決した。
ほら、その証拠に。
「ウー。ちょっとその犬いいか?」
「いいとは?」
「貸してくれ。祠の前に連れていく」
私はリードをコンさんに渡した。しかしコンさんはリードを受け取るのではなく、チャブをひょいと抱きかかえてそのまま祠の前へと行った。一歩、二歩、三歩。
コンさんが呪いを解くまで、後数歩。
ぶつり。
チャブを繋いでいたリードと、チャブの首輪とが切れた。
途端に私の近くにいた相見麗良がぴくりと体を震わせた。
「痛くない……」
相見麗良が立ち上がる。
「痛くない……!」
それはそうだろうな。呪いが、解けたのだから。
コンさんがニヤリと笑ってこちらを見る。それからリードと首輪が取れたチャブを連れて相見麗良のところへ行くと、チャブを相見麗良に預け、状況の説明を始めた。
「呪われていたのは首輪だった」
コンさんが続ける。
「誰が術者か知らないが、あの祠の周辺に『紐が切れる』呪いを張っていたんだ。元気なチャブのことだ。リードが切れれば走り回ってどこかへ行く。そこを捕まえたんだろうな。そしてこの呪いのかかった首輪をチャブに巻き付け、もう一度放す。リードが切れてチャブを捕まえるのに精一杯だった君は、チャブに新しい首輪がついていても違和感なく抱きあげてしまう」
そう言えば……と、相見麗良がつぶやいた。
「確かにリードと一緒に首輪が切れてました。でもチャブの首にぶら下がったまま走り出しちゃったから、そのままどこかに行っちゃったものかと……」
推理が当たってご満悦のコンさんは、ニヤリと笑うと祠の方を振り返った。
「首輪には『家の敷地に入った途端に発動する』呪いがかけられていたんだ。君が犬を連れてあの一族の家に入った途端、呪いが作動して『条件に合致した人間』を苦しめ始めた……条件っていうのは、多分『犬と親密か否か?』だな。犬好きの人間が呪われていたわけだし、おそらく間違いないだろう」
コンさんはほう、と息をつくと、それから小さくつぶやいた。
「呪いを呪いで解いた……! 誰が術者か知らないが、ざまあみろ。お前の手段でお前を封じた!」
私は静かに拳を握る。コンさんにバレないように、静かに、そっと。
……さすがだな。口先とハッタリだけで除霊をして来ただけはある。
「家に戻るぞ」
コンさんが私と相見麗良に告げる。
「今頃みんな元通りだ」
果たしてコンさんの言う通り、あの一族を苦しめていた呪いは綺麗になくなっていた。次代当主の嘉穂さんも、息子の緑逸くんも家政婦二人も何事もなかったかのようにケロッとしていた。一族の長である爺さんは度重なる救済に泣いて感謝していた。コンさんがあの一族に法外な報酬を要求したのは言うまでもない。
*
今度も失敗した。
確かに失敗した。
無残にも失敗した。
だが、まぁいい。私はあの家の詳細を知ることが出来た。これは大きな収穫だ。あの家には呪いの依り代になるものがたくさんある。たくさんあるし、中には外部からのアプローチが可能なものもあった。呪物をまた仕込むことくらい容易だろう。
いいのだ。別に、何度失敗しようとも。
狐眼の材料は、山ほどある。
私はいつでも、あの一族を呪える。
あの一族を苦しめられる。
七尺四方の箱の中に獰猛な犬と弱った狐とを閉じ込め、七日七晩置く。犬は狐を苛め抜き、やがて飢え、狐を食う。八日目の朝に犬を殺し、残った狐の死骸を見て、頭が残っていればよしとする。この頭から目玉をくりぬき、塩、竹炭、殺した犬のはらわたの一部、狐の尾の毛の先とを合わせ、眼窩の窪みを擂鉢の代わりにして目玉を潰す。右回りに四十、左回りに三十擂り、混ざった粘液を用いる。
さて。今朝も。
清々しい朝。朝日が差し込み、鳥たちはさえずり、爽やかな風が窓の外を吹き抜けていき、コーヒーとトーストの匂いがわずかにする室内で、私は七尺四方の箱を見つめる。昨夜まではガタガタとうるさかったあの箱も、今朝は静かだ。犬が眠っているか、飢えて弱っているか。どちらにせよ手早く済ませてしまわねば。私は獣を捌くために購入した大振りの包丁を持って箱の方へ向かった。犬や狐は都度新しいものにしないといけないが、この箱は何度でも使えるので血がつこうが爪や牙で傷つけられようがずっと同じ箱を使っている。いい加減傷んできているが同じ寸法の箱を作るのも大変なのだ。
さぁ、そういうわけで。
私は使い慣れた箱を、薄っすらと開ける。まず見えたのは丸くなった犬。獰猛な犬でも丸一日動き回っているわけにはいかない。人間と同じように眠るのだ。
片腕だけを突っ込んで犬の後頭部に包丁を突き立てる。憐れな鳴き声が聞こえて刃物の先が柔らかくなるのを感じる。そのまま手首を捻って傷口を開く。さぁ、これで犬の方は死んだ。狐の方は……。
箱を大きく開ける。血の匂いが広がる。私は愛しさを込めた目で箱の中を見つめた。
はらわたを食いちぎられ。
喉笛を掻き切られた。
耳や鼻の欠損し。
ところどころ毛皮の剥がれた。
かわいそうな狐がそこにはいた。じっと様子を見る。しかし、何と。何と。
狐は生きながらえていた。その証拠に僅かにだが体が脈動している。呼吸をしているのだ。これはよい。これはよい。
より残虐な殺し方をすればするほど呪いの効果は強くなる。まだ息のある狐の目玉を潰して犬のはらわたと混ぜたらどんなに強力な呪いが完成するだろう。考えただけでぞくぞくした。これは楽しみだ。これは楽しみだ。
すりこぎ棒を取り出す。狐の眼窩を抉れるくらいの細くて小さなものだ。末期の抵抗で噛みつかれては困るので、厚手の革製手袋で武装してから箱の中に手を突っ込む。ちょいちょい、と狐を突いてみる。反応はない。ほとんど延髄の機能だけで生きているのだ。ふふふ。じゃあ目玉を潰したら死んじゃうね。
私の父はあの一族に殺された。
苛め抜かれ、虐げられ、殺された。
きっと私だけじゃない。多くの人間があの一族に虐げられている。
きっと多くの人間があの一族を恨んでいる。
やられたことをやり返す。因果応報。自業自得。
やられたことをやり返す。因果応報。自業自得。
やられたことをやり返す。因果応報。自業自得。
呪文のように唱えた。不思議なのだ。これを唱えると頭がすっと綺麗になる。ゴミが掃除される。
さて、と私がすりこぎ棒を使おうとした時だった。
あってはならないことが起きた。
玄関のチャイムが鳴ったのだ。
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