6-2. 再び

 短期間で何度もあの一族を呪えるようになったのには理由がある。

 呪いの原材料になる狐の入手ルートが安定したからだ。犬はペットショップをいくつか回って強そうなのを買えばいいが、狐はそうもいかない。家政婦の藤を使ってかけた酒の呪いの時から、次の天邪写の呪いの時まで時間が空いたのはそれが理由だ。狐が手に入らなかった。

 日本からタイに狐やトビネズミを売り飛ばす密輸グループがいるのだが、私はそこと関係を結ぶことにした。もちろん秘密裏に。金はかかったが、向こうとしてもタイに持っていって売るのより高額な値段で買ってくれる顧客がいれば売りはするようだ。最初は捜査当局の人間なんじゃないかと疑われて信頼を買うのになかなか時間がかかったが、関係を結んでしまえば大したことはない。奴らは北海道や本州の様々な場所で野性の狐を捕まえてはタイに売りさばく。その商品の一部を流してもらう。


 こうして安定的に狐が手に入るようになった私は狐眼の呪いを何回もかけられるようになった。天邪写、扇、それから犬の首輪。まだまだ狐はいるからまだまだ呪いをかけられる。そして私の家は狐仙と関係のある人間以外には認知されないから呪いの場所が分かることもない。私があの一族を呪い殺せる日は近い。


「また触凶?」

 慌てるコンさん。目に見えて顔色が悪い受川さん。

「あの一族か?」

 さすがに学習するか。ああ、そうだよ、あの一族だよ。

「……気配が、そこまで、強くない。隣町の可能性はある。つまり、あの一族の可能性もある」

「こっちから連絡を取るぞ」

 コンさんがスマホを取り出す。

「あの一族の連絡先は?」

「知ってる」

 受川さんもスマホを取り出す。

「私がかける。その方が先方も安心するだろう」

 そうして受川さんがあの一族に連絡をつけている間、私はゆっくりお茶を飲んでいた。今度の呪いは犬だ。厳密に言うと犬の首輪だ。どう解くのか、見物だな。


「ウー、狐眼の呪いには詳しいよな」

 コンさんが私に訊いてくる。ああ、詳しいさ。詳しいとも。

「知ってる範囲でならお答えできますが」

「こう何度も呪いをかけられちゃ呪いに対処するだけじゃ駄目だ。術者を特定する」

 そんなこと、できるものならやってみろ。

 すると受川さんが電話を終え戻ってきた。短く告げる。

「やはりあの一族のようだ。親族他、数名の関係者が呪われているらしい」

 コンさんが歯噛みする。

「何だ? あの一族に何がある?」

「とにかく、狐井、行ってみてくれるか?」

 受川さん。呼吸をするのも苦しそうだ。

「私だと感じ入ってしまって……とても近づけなさそうだ」

「分かった。対応する」

 コンさんがジャケットを羽織る。

「ウー。君も来てくれるか」

 私は少し、迷う。

 でも、でも。

 あの一族が、私の呪いで苦しんでいる様を、この目で見ることができるのなら。

 それは堪らない、快感だろうな。

 ぞくりと、身震い。それから告げる。

「行きましょう」

 運転はコンさんがしてくれた。私たちは一路隣町へと駆けていった。



 出迎えがあった。隣町の小高い丘の上。港町を見下ろすことができる一番高い場所に、あの一族の屋敷は建っていた。私たちはカーナビを頼りに何度か道を間違えそうになりながらも到着した。門のところには既に人がいた。

 中年の女性。藤だった。

「お待ちしておりました」

 一礼してくる。私は彼女には目を向けず、コンさんが運転するのに任せて敷地内へと入っていった。

 ポーチに車を停めるとすぐにあの一族の長が姿を現した。禿頭の和服姿。外国人をいじめて巻き上げた金で私腹を肥やしている最低の人間。

「ああ、ああ、来てくれたか。来てくれたか」

 爺さんがコンさんに駆け寄る。コンさんは車から出ると、私に目線を飛ばしてから爺さんを睨みつけた。

「いいか、おたくが何をしているのか、この呪いを解くついでに明らかにする」

 コンさんはどうやら、怒り心頭のようだ。まぁそれもそうか。

「こう何度も呪われるからには間違いなく後ろ暗いことがあるはずだ」

「そんな、我が家は何も……」

「いいから早く呪いを見せろ」

 コンさんの一言で爺さんはよろよろと玄関の扉を開けた。私も後について家の中に入った。


 目に留まったのは悶絶する高校生くらいの女の子だった。相見麗良だ。一目で分かった。

「いたああい……いたああい……」

 すぐ傍には嘔吐した後。痛みのあまり吐いたのだろう。かわいそうに。もう痛みを叫ぶ力さえなくなりつつある。彼女の命ももうすぐ消える。もうすぐ。直に。

「天邪写の時と同じか?」

 コンさんの声に長が答える。

「そのようだ……この家に着くなり急に痛がり出して……」

「他に被害は?」

 コンさんの言葉に、爺さんはすっと顎をしゃくってみせた。するとそれを合図にしたように、一人の中年男性が子供を連れてきた。

「孫の緑逸だ。同じく麗良ちゃんが家に来た途端苦しみ始めた」

 かわいそうに。この幼い子供はもう息をするのがやっとという状態だ。きっと痛みのあまりショック状態に陥っているんだろうな。

「他にも家の手伝いが何人か。それぞれ別室に寝かしてあるが……」

「この家にいる全員が呪われているわけじゃないんだな?」

 コンさんが眼鏡をぐいと上げながら訊ねる。爺さんが頷く。

「平気な者もいる。間違いなく先日の呪いだと思うのだが、条件が分からん。触っても問題はないようだが、しかし移らないから孫から痛みをとってやることもできん。誰が呪われて、誰が呪われないのかも分からん。これから増えるのか、減るのかも……」

 コンさんは中年男性に連れてこられた幼い子供の顔を見た。それから深刻そうな目つきをすると、靴を脱いで家へ上がった。

「ウー、ついて来い」

 私にそう告げる。しかし長が難色を示す。

「その方は……」

「僕一人で対処できる事態じゃないかもしれない」

 コンさんがうんざりしたように首を振る。

「帰ってほしいなら帰るが?」


 仕方ない、という風に爺さんが首を縦に振る。愚かだな。そういうところが呪いを呼ぶんだ。

 一応、私は見た目上はコンさんの手伝いをするつもりだった。実際のところはこの家の中の構造や、内情を知ることで今後呪いに使えそうな場所や物を見つけてやろうという、実地調査的な意味合いの方が強かった。

 呪いに使えそうなものは色々あった。鷲の剥製、古い絵の描かれた屏風、装飾の凝った椅子、床の間に飾られた刀……。どれも呪いの依り代とするにはうってつけの物ばかりだった。

 コンさんと共に呪われた人間がいる部屋それぞれを見て回った。住み込みの家政婦が数人いることは、以前に藤を使って呪いをかけた時から知っていた。コンさんと共に家政婦たちの部屋、それから呪われた家族たちの部屋を見て回る。

 被害者は、住み込みの家政婦が二人、爺さんの娘で次代当主である嘉穂さん、その息子緑逸くん、そして緑逸君の従姉妹に当たる相見麗良さんの計五人だった。私は内心舌打ちした。犬め。もっと多くの人間を家族と認識していればよいものを。


 問題の犬は広い庭の中でぴょんぴょん跳ねていた。どうやらご主人様の異変に気付いているらしく、しきりに吠え、呪われず生き残った家政婦たちの手を焼いていた。おやつやおもちゃを与えても見向きもせずにひたすら母屋の方を睨んで吠え続ける。くくりつけられた紐を引きちぎらんばかりの勢いで動いているが意味はない。無駄だ。どうやら私が呪いの主であることには気づいているらしい。私の方を見てしきりに吠える。だが犬はしゃべれない。犬は私を訴えられない。憐れな犬っころにぎゃんぎゃん鳴かれようと私は痛くもないし痒くもない。かわいそうな犬。紐に繋がれて私のところに飛び掛かれもしない。笑いそうになるのを堪えながら、庭に面した廊下を歩く。鹿威しのついた池。あの向こうに見える苔むした岩も、呪いの依り代として使えるだろうか。


 とにかく。

 犬の呪いが解けるまでの間、私はコンさんに連れられてこの屋敷に来ることが何度かあるだろう。

 その間に狐眼の呪いで出来たあの目玉汁を、至るところに擦り付けるのだ。そうすれば犬の呪いが解けたところでまた次の呪いが発動するし、そうやって何度も何度も何度も呪うことで、やがてこの一族が滅びれば、私の悲願もついに達成す……。


「なぁ」

 コンさんが私に声をかけてくる。真剣なまなざし。強い目つき。

「何か分かったこと、ないか?」

 私は笑顔を見せる。

「いや、何も」

「そうか」

 コンさんの表情が沈む。難問を前にした学生のような顔。ふふふ。君の奥さんが命懸けで解いた呪いは、まだまだ用意できるんだよ。

 しかし直後に、彼は驚くべきことを口にした。

「僕にはいくつか、分かったんだがな」

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