『望んだ結末』
6-1. 呪いの法則
「もうよした方がいいと思うがのう」
狐仙がしっぽをくねらせる。私は口を開く。
「まだです。あの一族を殺すまでは」
「『死に至るほどの激痛を、なるべく長い時間与える』」
其方の願じゃな。狐仙が小さく笑う。
「それほど憎いか」
「憎いです」
父の仇だ。ひいては、あの町で虐げられた外国人全ての仇だ。
「これは呪いじゃな」
そうだ。これは呪いだ。
狐眼はいじめられて死んだ憐れな狐の魂を対価に狐仙に邪な願いを叶えてもらう、そんな呪いだ。狐仙の立場からすれば、対価を払った上での心願成就なので良いも悪いもない。ただ、この「呪い」という分野にはある法則がある。
「呪っている其方と、呪いの内容とが第三者に知られると、其方の呪いが其方に返ってくる。恨みの全てが其方に返る。呪われた人間の苦しみも、呪いに使った生き物の苦しみも……」
簡単な法則だ。呪いをかけた当人と呪いの内容とが他人にバレると呪った当人が呪われる。私の場合、私が「呪いの術者である」ことがバレ、「あの一族に死にたくなるほどの激痛を」という呪いの内容がバレると、あの一族を苦しめた激痛が私自身に返ってくる。きっとのたうち回って死ぬのだろう。呪いの儀式の贄となった生き物の苦しみも返ってくるから、今まで殺した狐や犬の苦しみも返ってくるに違いない。つまり、この呪いがバレれば、私は激痛に苦しみ、体をちぎられ、苦しんで、もがいて、死ぬ。もっとも、この「バレる」というリスクはあまり気にしなくていい。その理由はふたつ。
まずひとつ。私の存在がバレる可能性は低い。呪いとは言え狐仙と交わした契約の内容は私と狐仙との間でしか共有されない。第三者が契約の内容を知ることはない。つまり狐仙が「誰と契約した結果、呪いの効果が出ているのか」を漏洩するリスクは皆無だ。狐仙から私に辿られることはない。そしてもちろん、私の方から狐仙と契約した事実を口にすることはない。双方の関係で、その双方から辿られる心配がない。つまり私は誰にも知られない。
ふたつ。私は都度「呪いの内容」を微妙に変えている。一回目、あの一族の蔵に呪いの酒を送り込んだ時は、「狐眼の酒を口にした人間に死ぬほどの激痛を」と願った。天邪写の時は「天邪写に触れた人間に死ぬほどの激痛を」。春風堂を殺した時は「狐眼で描かれた絵を見た人間に死ぬほどの激痛を」。「激痛を」の部分は変えていないが、そこに至るプロセスを変えている。このプロセスを複雑化すればするほど、呪いの契約内容が第三者に知られるリスクが減る。ちょっと複雑な過程を経て呪われる、そんな願いをかければいい。
「して、此度の願いは何じゃ」
憐れな犬と狐を殺し、その命を代償に私は願いをかける。あの一族を呪いたい。あの一族を滅ぼしたい、と。
私は犬の首輪を出す。
「この首輪から半径十町以内の、『家族』に死ぬほどの激痛を」
狐仙は怪訝そうな顔を見せる。
「十町。三千六百尺ほどか。また契約内容が入り組んでおるのう。『家族』を定義せよ」
「この首輪をつけた犬が『家族』だと認識している人物全てです」
誰を呪うかは犬に判断させる。第三者(コンさんとかね)が辿り着くのは犬だ。私にまで来ることはない。
「おおよそ分かった。ではその首輪を犬につけるんじゃな」
「ええ。……もうひとつ、条件を付け加えてもよろしいでしょうか」
「申してみよ」
「呪いの発動は、私が指定した範囲内に犬が入った時にしてください」
そうして私は告げる。
あの一族の、家の住所を。
*
手順は簡単。至って。実に。
まず使うのは簡単な呪いだ。狐仙に願う必要もない簡単な呪い。
紐が切れる。ただそれだけの呪い。
元は縁切りの術だが程度を低くし、簡易版にし、ただ単純に「指定の範囲内に入った紐類を切断する」呪いにした。この呪いを任意の「場」に施す。実はこの「場」が大事で、術者に認識できる場所じゃないとこの呪いは上手くかかってくれない。適当にその辺の道端にかけておいて、ということはできない。自分が認識できる「目印」のある場所じゃないとできないのだ。
場所は……あそこがいいだろう、というのは既に決まっていた。コンさんたちがいる神社からかなり離れた地点。市立図書館が市と市の境界線近くにある。何でも、施設を建設するに当たって近隣住民からの反対運動にあい、仕方なく場所を移していく内にこんな辺鄙なところに建てざるを得なくなったらしい。
市と市の境には小高い丘が連なっている。木々に覆われた土地で、誰が所有している森林なのか全く分からないが、おそらく誰も手入れをしていないのだろう、草も枝も生えっぱなし。木々がちょっとした結界のようになっている。市立図書館はそんな丘の麓に建っている。
図書館の裏手。平坦な地が終わりちょうど丘の斜面に差し掛かろうとしているところ。斜面が小さく抉られた場所があって、そこにちょっとした祠がある。何を祀っているのかは分からない。そもそもこの界隈に神社の類はない。特異点。そこだけまるで、小さな聖域があるかのような。私はこの祠を「目印」にしようと思った。ここに「紐切りの呪い」をかけておこうと思った。この祠の前を通過した「紐」の類は全部切れるように仕組んだ。
図書館の裏手は小さな道になっていて、丘の縁をなぞるように歩くことができる。祠はその道中、少し奥まったところにある。この道を相見麗良が通ることは既に知っている。
相見麗良は月に一度、愛犬を連れて隣の市、海に面した貿易港のある町へと、親戚に会いに行くことが分かっている。そう、相見麗良は「あの一族」の一人だ。それも「あの一族」と濃厚に接触する人間だ。
愛犬の名前はチャブ。柴犬と何かのミックスであることは分かっている。やんちゃな性格で、リードがなければそこら中を走り回るような元気な犬。いつも相見麗良を引きずるような勢いで散歩をしているらしい。ここまではまぁ、SNSの情報を元に調べ上げた。
相見麗良の生活パターンもおおよそ把握している。いつもオートミールの朝食を食べ、母の作った弁当を持ち近所の高校に通い、部活もせず友達とカラオケに行ったり公園をぶらついたりしてから家路につき、夕方六時頃にチャブの散歩に出かけ、ぴったり九時には風呂に入り十時には寝る支度を済ませ、だらだらベッドで過ごしてから十一時頃寝る。ファッションには疎く、ヘアスタイルはいつも長い髪を後ろで一本に結んだもの。お気に入りのファッションブランドはないがユニクロやGUばかりの服に何となく劣等感を抱いている。……と、これらはさすがに何日間か彼女に張り付いて調べた。
さて、ここで最初の呪いだ。
紐を切る。紐を切る呪い。これでしたいことはひとつ。
チャブのコントロール権を奪う。チャブはやんちゃな性格で、リードがなければ駆けずり回る。そこでもうひと手間。
特殊な香を焚く。獣を呼び寄せる香で、これを嗅ぐと大抵の動物は気持ちが昂ってこの匂いのする場所へ一目散に駆けつけてくる。麻薬のようなもので、近くで匂いを嗅いでいる内はトリップしたようになる。
「小学校裏の神社にお祓いの人? 何それ本当?」
相見麗良がチャブを連れてやってきた。歩きながら通話している。私は祠の陰に隠れる。じっと待つ。ただ、じっと。
「だいたいさぁ、幽霊とか心霊現象とか、そんなのあるわけ……きゃっ」
ぶつり。
祠の前を通った途端、チャブを繋いでいたリードが切れた。同時にチャブについていた首輪と、相見麗良の髪を縛っていたゴム、相見麗良のしていたベルトも綺麗に切れた。チャブが大はしゃぎで駆け出す。相見麗良は大声を上げてチャブを引き留めようとする。
香は既に焚いていた。チャブのテンションが高かったのはこれが原因だ。匂いにつられてこっちに来るよう仕向ける。祠の裏、木々の間。私は誘い込まれてやってきたチャブの鼻先に香を突きつけると、トリップしているチャブの首に、例の首輪を手早く巻き付けた。足元に用意していたバケツに香を落とし、匂いを発生させないようにすると、チャブの首の辺りを叩いて、追い払った。祠の裏からチャブが出てきたところで、相見麗良がチャブを見つける。
「チャブ! ほら、おいで!」
チャブはぴょんぴょんと飼い主の元へ行く。ここまでは、計画通り。
さぁ、その相見麗良が隣町のあの一族の家に行ってからがお楽しみだ。狐仙との契約で、チャブの首輪にかけた呪いは一族の家に入った途端、発動するようになっている。チャブが「家族」だと認識している人間に呪いがふりかかるので、まずは相見麗良が被害に遭うことだろう。その後、犬の気分によって、ランダムに「家族」だと思われている人が苦しめられる。犬は社会的な生き物だ。群れに所属すれば帰属意識が生まれ、ひいてはその帰属意識が「家族」の意識に繋がる。チャブが月に一度しか行かないあの一族のことをどう思っているのかは知らないが、少なくともあの一族の前で親戚の子を苦しめるだけでも目的は半ば達成したようなものだ。その後チャブの認識で呪いが飛び火するかはおまけだ。
我ながら回りくどい。これほど回りくどくしたのは天邪写の失敗があったからだ。単純な判定では法則性が見破られ、呪いが解かれる可能性がある。確実に呪うには、仕組みを複雑化し、簡単に呪いの解き方を見破られない工夫をする必要がある。
今回チャブを使った呪いにはメリットがいくつかある。
一、家の外でかけた呪いが家の中で発動する。家の中に呪物があるように見せかけて、実は家の外から持ち込まれたもの(今回の場合はチャブだ)が呪いの根源という寸法だ。呪いを解こうにもそもそも見る場所が違えば解けるものも解けない。家の中に向いた意識を家の外の持って行くのはなかなか難しいだろう。
二、呪いの判定がシンプルじゃない。天邪写の時は絵の中の特定の点に触れた、特殊な手相を持つ人間を呪うように仕向けたが、これではあの一族以外の人間も呪えてしまうし、コンさんがやったように手形を作って呪いを転嫁するなんて真似ができる。だがチャブを使った今回はそうもいかない。犬にとっての「家族」の定義など誤魔化しようがない。
つまりこの呪いは実質的に解く方法がないのだ。呪物はチャブの首輪。これが破壊されればまぁ、呪いの効果はなくなるだろうが、果たしてそこに気づける人間がいるものか。そもそもチャブが原因で呪われていることに気づく人間がいるかどうかさえ怪しいのだ。見ものだな、実に。
*
「触凶?」
小学校裏の神社で。
私とコンさんが本殿の中でのんびりとお茶を飲んでいたら、受川さんが驚いたような顔をした。私は心の中で微笑む。
チャブが仕事をしてくれたか、と。
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