4-3. ストーカー

 親友の美咲が亡くなったのは五年前のことだ。

 聞いた話によると、代々霊媒的な能力のある家系だったそうだ。四国に実家があって、家は神社とまではいかないけど、村にある御神木を管理する家系のひとつだったらしい。兄が一人。その兄が家の仕事を継ぐことになり、美咲は自由の身だった。大学進学と同時に上京したが、でも自らに備わった力を人の役に立てたくて、神社で巫女をやっていた。それがあの白い鳥居の稲荷神社だった。

 稲荷神社、というのは名ばかりで、本当は唐人たちが自身の故郷の神様を祀るために作ったものらしい。日本の様式に合わせる形で鳥居や本殿を作ったが、日本に古来から伝わるお稲荷さんとは少し違っているので鳥居は赤くないし、いくつも連なっているわけでもない。ただ明治政府が神道を推し進めるに当たり無理矢理「稲荷」の名をつけただけで、本質的には中国の神様に由来する神社、だそうだ。今はもちろん日本の人たちを支える神様だし、きっと八百万の神様も受け入れてくれているだろう、とのことだが……。


 久しぶりに行った美咲の神社はやっぱり小さかった。小学生が庭代わりに遊ぶにしても少し手狭だろう。幼稚園の園庭より一回り小さいくらいか。


「おや」

 神主の受川さんが、いつものように大きな銀杏の木の下で箒を持っていた。彼はすっと本殿の方に目を向け、「来ましたよ」と小さく告げた。

「コンさん」

 私の声に彼はむすっと反応した。賽銭箱の手前にある段差に腰かけ、じとっとした目をこちらに向けている。

「久しぶりだな」

「うん。最後に会ったのいつだろ」

「忘れたな」

 ピシッとしたスーツ。賢そうな細渕眼鏡。頭はきっちり分けられていて、襟足の散った髪の毛が少しだけ遊び心を見せている。


「で、相談って?」

 私はゆっくり彼の元に近づくと、詳細を話した。不思議なもので、自宅だとあんなに不気味だった現象も、彼に話すとどこか滑稽に思えた。

「つけっぱなしの幽霊」

 彼がぼそっとそう言うと、何だかあのお化けもかわいらしく思えてくるから不思議である。

「つけっぱなしに意義を感じている幽霊なんだろうな」

「そうかもね」

「つけっぱなしの意義……。男の声と言ったな?」

「うん。男の声で『おい』って」

 それから少し考えるような顔になるコンさん。

「……引っ越し初日にお隣さんから妙なこと言われたって?」

「うん。『今度は何日持つかな』って」

「何か関係してそうだな」

 と、コンさんは立ち上がった。

「僕を不動産屋に紹介してくれ」

 姿勢を正すコンさん。カフスを弄り、腕時計を見る。

「なるべく早く対処する」



 霊媒師を名乗る人間がピシッとしたスーツを着てきたのはやや胡散臭く見えたのだろう。いつも通りの調子でやってきたコンさんに、三橋さんも仙田さんも、ちょっと警戒した顔を見せた。

「いくつかお伺いしたことがあって」

 しかしコンさんは構わずカウンターに肘を乗せる。

「砂越から聞いた話だと、前回と前々回の入居者が短期間で引っ越ししてると?」

「ええ。具体的な期間まではお教えできませんが……」

「お隣は?」

「どっちの隣でしょう」

「二〇一号室。男性が住んでいる方です」

 私の言葉に、三橋さんがカタカタとカウンターのキーボードを叩く。

「具体的なご入居期間まではお教えできませんが、長く住まわれてる方です」

「問題の部屋の前回と前々回の入居者を足した期間よりも長く?」

「ええ、具体的な期間については……」

 それは分かった、とコンさんは片手をあげる。


「問題のアパート、他に幽霊騒ぎなんかはないんですよね?」

「私共の方で把握している限りだと今回が初めてです」

「おたくが管理し始めてどれくらいですか?」

「アパート建設時から関与していますので、もう二十年ほどは……」

「建設前の土地に何か曰くがあったりは?」

「してないはずです。こちらの把握する限りは、ですけど」

「なるほどな」

 コンさんが表情を引き締めた。

「狙いどころが分かった気がする」


 不動産屋を出てすぐ。

「今の話で何か分かったの?」

「結構たくさん話を聞けたと思うが?」

「何か対策思いついたの?」

 私の問いにコンさんは笑う。

「第二の結婚生活も悪くないかもな」



「こんにちはー」

 私のアパートに帰ってすぐ。

 コンさんの手にはちょっといいお菓子。私は身なりをきちっとさせて、コンさんはいつものスーツ姿。

 二〇一号室に挨拶に行った。私が引っ越してきた時に、坊主頭のタンクトップという少し柄の悪い恰好で出てきた男性の部屋だ。

「はい……」

 眩しそうな顔をして坊主頭の男性が出てきた。すぐさまコンさんがにこやかな顔を作る。

「ご挨拶遅れて申し訳ありません。先日隣に越して来ました砂越と申します……」

 私とコンさんの左手薬指には指輪。もちろん、これは偽物。

「引っ越しのご挨拶です。これ、よろしければ」

 と、お菓子を差し出すコンさん。お隣の男性……矢川さんはむすっとした顔で受け取る。

「甘いもの、お嫌いじゃないですか」にこやかに、コンさん。

「ええ、まぁ」

「荷ほどきなんかでうるさくすると思うんですが、ご容赦いただければ」

「ええ、はい」

「子供もいますので、何かと騒がしくなるかと思うんですけど……」

「ああ、はい」

「ご迷惑おかけしないように努めますので」

「ああ、ども」

「それでは、よろしくお願いします」

 一礼。矢川さんがドアを閉める。私たちはその場を去る。

 私の部屋に戻ってから。


「子持ち夫婦の引っ越し挨拶みたいなことして何か意味あるの?」

「おおありだ」

 と、コンさんはいきなり煙草を一カートン寄越してきた。

「煙草は?」

「吸わない」

「女性の一人暮らしだから洗濯物は室内干しだよな」

「うん」

「じゃあ臭い移りの問題もないな。ベランダで煙草焚け」

「ベランダで?」

「火は気をつけろよ。それと、君芝居の経験は?」

「あるよ。高校の時演劇部だった」

「そんなこと美咲が言ってた気がした」

「それがどうしたの」

「家にいる時、時々大声で罵れ」

「罵る? 誰を?」

「子供がいる設定にしたから子供の躾をやりすぎているような雰囲気でやれ」

「……目的が見えてこないんだけど?」

 首を傾げる私にコンさんがニヤッと笑ってきた。

「多分『つけっぱなし』の霊はあいつだ」

 あいつ、とコンさんが視線を流した先。

 壁があった。でもおそらくコンさんはその壁の向こうのことを示しているのだと分かった。二〇一号室。矢川さんの部屋。



「てめーがハンバーグがいいっつったからハンバーグにしたんだろうがっ!」

「こぼしてんじゃねーぞボケっ! 自分で拭け!」

「ティッシュ使い切ったら次のに替えろって言ってんだろうがっ!」


 それから。

 連日、私は怒鳴っていた。怒鳴ると言っても、日常で感じた些細なこと、例えば「ハンバーグ食べたいなー、と思って買って帰ったけど家に着くとやっぱりグラタン食べたい気分になった」ことへのツッコミを過剰にしたりとか、「あっ、やべっ、飲み物零しちゃった」を過激につぶやいてみたりとか、「鼻かみたいのにティッシュないじゃーん」を強めに言ってみたりとか、まぁ要するにちょっとデスメタルな感じで生活してみたのだが、これが不思議と面白く、大声を出すのでストレス発散にもなり、楽しかった。問題点と言えば喉が多少疲れることくらいだが、ノルマがあってその分叫ばなければならないわけではないので、自分の調子を見ながら適度に怒鳴り散らした。結構楽しかった。


 言われた通りに煙草もベランダで焚いた。季節的に外で一休みするのにちょうどよかったので、線香か何か焚いてるつもりで煙草に火をつけて放置、後は燃え尽きるまでベランダでリラクゼーション音楽を聴いてお茶を一杯、なんてことをした。これもマインドフルネス的効果があって、日頃のストレス緩和に持ってこいだった。そしてそんな生活を二週間も続けた頃。


 初日。つけっぱなしの霊は相変わらずそこかしこの部屋の電気をつけるので少し困った。またリビングの電気もつけっぱなしにするのだろう、ということで私はアイマスクをして寝ることにした。これで部屋を暗くしたのと同じ状況で寝ることができる。私が観測している限り、つけっぱなしの霊は電気さえつけておけば他に悪いことはしてこない。だからさせるがままにしておいた。ただ一応、家を出る時は電気を消していった。


 二日、三日、四日。

 電気を消した部屋はきちっと電気が消えたままになっていることが増えた。もちろん、たまに「あれ? 消したのにな?」ということはあったが頻度は少なかった。この頃、「もしかして解決してきた?」という実感がわいてきた。


 五日、一週間。

 家に帰った時に「どこかの部屋に電気がついている」という状況がなくなった。消せば消えている。唯一、リビングを除いて。


 十日。

 帰宅時チェック。リビングの電気も消えるようになった。つけっぱなしが気にならなくなったのはこの頃。


 そして二週間目。試しに寝る前に、リビングの電気を消してみた。

 声はしなかった。

 あれ? うまくいった? 少しの間、暗闇の中で声を待ってから、私はコンさんにメッセージを送った。


「声がしない」

 少しして、返事。

「上手くいったか」

 私は返す。

「何したの?」

 コンさんもすぐに返してきた。

「ストーカー対策」

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