『つけっぱなし』

4-1. あれ?

 職場の異動に伴って引っ越しをした。高級住宅街の外れにある、ちょっと古いアパートに。私の収入的にこの街で暮らすにはそこが限界だったということと、職場が近かったからこのアパートにした。アイボリーというか、くすんだ白い外壁の、おそらく二〇〇〇年代に作られたアパート。名前も何だか読めないフランス語みたいな感じだったので、間違いなく私が生まれたちょっと後くらいに建てられたものだろう。

 異動は月初からだったので、前月の末には引っ越しを済ませる必要があった。かなり慌ただしい引っ越しだった。


 引っ越しの挨拶……なんてのも、今時はしないらしい。私が子供の頃は両親が両隣の家に挨拶に行っていたものだけど、女の一人暮らしだとバラしにいくのも何だかな、と思ったので挨拶はなし、最低限廊下で出くわせば会釈程度に、と割り切ることにした。急ピッチの引っ越しだったけれど、荷物が少ないおかげもあって想定よりも早く済んだ。


 業者さんが最後の確認を済ませて、玄関口で手続きを済ませ、それじゃこれで、となったところで、不意にお隣に住んでいる男性が部屋から出てきた。坊主頭にタンクトップ。何だかちょっと柄の悪そうな男性で、私は少し身構えた。でも一応、目が合ったから。


「こんにちは、今日隣に越して来ました。砂越です」

「あ。ああ」

 男性は面倒くさそうに応じた。それから自分の部屋に鍵をかけ、それをポケットに入れると、煙草の吸殻でも捨てるみたいにぼそっと、つぶやいた。

「……今度は何日持つかな」

「えっ?」

 私の声に、男性はやっぱり面倒くさそうに振り返った。

「いや、別に」

 鼻で笑うような感じ。

 印象悪……。

 そんな感じで、私の引っ越し初日はちょっと嫌な雰囲気で終わった。

 そしてここから、どんどん転がっていった。



 あれ? 

 夜。寝る前にトイレに行った時。

 お風呂場の電気がついてる。

 消し忘れたかな? そう思って、消す。さっきまで体を温めてくれていた湯舟と、もうもうとした湯気で曇った鏡とが闇の中に沈む。湿った空気。私は浴室のドアを閉める。

 そしてベッドが置いてあるリビングに行き、タブレットで雑誌を読み、よし寝るぞ、とリモコンで部屋の電気を消した時だった。


 あれ? 

 廊下が明るい。体を起こして見てみると、どうやらトイレの電気がついているようである。

 おかしいな、さっき消さなかったっけ。

 そう思いながら、トイレの電気を消す。廊下が一気に闇に飲まれて、私はそそくさとベッドに行く。

 引っ越しで疲れてるんだな。些細なミスが多い。

 明日から新しい職場だ。しっかりしないと。

 目覚まし時計を確認して、目を閉じた。眠りの底に沈むのは、いつもよりスムーズだった。



 あれ?

 仕事が終わって帰宅した時。

 玄関の明かりがついていた。おかしいな。家を出る時に消してなかったか。靴を脱ぎ、廊下の明かりをつけると、すぐに玄関の明かりを消した。勿体ないことしたなぁ。電気代だって馬鹿にならないのに。そう思いながら部屋に行き、荷物を下ろす。

 部屋着に着替えて簡単に化粧を落とし、のんびりYouTubeで動画を漁った。私は美容系のチャンネルが好きで、「同じ系統のメイクでもプチプラとデパコスでこれくらい違いますよー」みたいな動画とか、「これはほぼデパコス級! でもお値段お手頃なメイクグッズ10選!」みたいな動画を見るのが好きだった。この日は何となく、タイムラインに表示された「GUのおすすめアイテム7選」という動画を見ていて、私も服買いたいなぁ、でも引っ越し直後で今月ちょっと厳しいしなぁ、なんて思っていた。

 異変に気付いたのは、その時。


 あれ? 

 廊下の電気がついてる。

 これでも私は、実家で「つけたら消す!」を叩きこまれた娘だ。電気のつけっぱなしにはうるさい。必要のない場所に電力を割いて電気代がかかることの如何に無駄かを小学生の頃から教えこまれている。つけっぱなしにはうるさいどころか、友達の家に行った時でさえ、いや、友達の家に行った時だからこそ、余計な電気代をかけまいと常にその場所を去る時には電気の消し忘れがないかチェックしているくらいなのに……。


 立ち上がって廊下の電気を消す。嫌だなぁ。疲れているんだろうか。まぁ、確かに昔から環境の変化には弱かったけどさ。大人になって多少コントロールできるようになったとは思ったけれど、やっぱり三つ子の魂百までなのかな。

 そんなことを考えながらお風呂へ行った。のんびりお湯に浸かって、最近話題のCICA配合のボディクリームで保湿をしてから浴室を出る。タオルで体を丁寧に拭いて、パジャマに着替えドライヤーで髪を乾かしていた時だった。


 あれ? 

 背後の浴室の電気がついている。また消し忘れ? もう、いい加減にしてほしいなぁ。駄目だ私、疲れてる。もう駄目。そう思いながら電気を消す。ため息をつきながら再びドライヤーで髪を乾かす。洗面台のミラーライトで顔を照らしながらまた保湿クリームを塗る。引っ越しのストレスでニキビとかできそうだけど……今のところはよし。できてない。何ならちょっと色艶いい。

 さて、とミラーライトを消して、歯ブラシを咥えリビングへ。またYouTubeを見ながら最近のトレンドファッションを知り、女子高生YouTuberのアップしている流行りのJKファッションを見て、「うわー、ルーズソックスまた流行ってるんだー。流行は巡るものだなぁ」なんて驚嘆し、うがいをしに再び洗面所に行って、驚く。


 あれ?

 ミラーライトがついてる。さっき消さなかった? 消したよね? 

 しばしフリーズして記憶をたどる。うん、うん、消した。絶対消した。なのについてる。え、何で。

 怖……。さっさとうがいを済ませ、少しミラーライトの様子を見る。スイッチが壊れてるとか、電球の状態が悪いとか……? 

 パチパチ。スイッチを入れたり切ったり。問題なくつく。スイッチを優しく入れたり切ったり。うん。スイッチ自体も問題はなさそう。

 電球? カバーを外し、電球も外してみる。でもこんなの外側から見たところで、素人の私には状態が分かるはずもなく……。仕方なく、戻す。

 変だなぁ。

 そう思いながらその日は寝た。疲れてる。疲れてるんだ。そう思うことにした。



 仕事が終わって家へ。この日は玄関の電気はついていなかった。

 なーんだ、やっぱり疲れてたんだ。早くも私、環境に慣れてきた? 少し嬉しくなりながら靴を脱ぎ、部屋へ。鞄を置いてササッとメイクを落とし、キッチンで料理をする。普段はお惣菜で済ませることがほとんどだけど、この日は何となく料理がしたかった。

 コンロの上のライトって、つけると妙にご飯が美味しそうに見えていいよね。なんて思いながら生姜焼きを作る。

 いただきます。

 生姜焼きの横には千切りのキャベツを添えて。昔、とんかつ屋さんでアルバイトをしていた時、店長さんがキャベツを刻むところをよく見ていたから、自分でも何となく綺麗に千切りすることができる。私の隠し芸のひとつ。

 もりもりご飯を食べて、流し台に食器を置きに行って、気づく。


 あれ? 

 コンロの上のライトがついてる。暖色系の明かりが、生姜焼きのたれがこびりついたフライパンを静かに照らしている。

 消し忘れ? あれ? でもさっきテーブルでご飯を食べてた時は……。

 作った料理をすぐにテーブルに運べるよう、コンロとテーブルは隣接するよう配置している。言ってしまえば、テーブルに座っている時はコンロが背中に、コンロで料理をしている時はテーブルが背中に来るようにしているのだが、さっきご飯を食べていた時、背後から明かりなんて……? 


 パチッとライトを消す。何となく、悪寒。


 いや、気のせいだ、気のせい。

 さっさと食器洗いを済ませ、お風呂に行き、スキンケアをして、歯磨き。ちょっとタブレットを弄ってから、ベッドへ。目覚ましをかけ、リモコンでリビングの明かりを消し、目を閉じる。おやすみなさい。良い夢を。



 目が覚めた。

 明るい。

 妙に明るい。

 朝……? と思って枕元の目覚まし時計を見る。夜中の二時。全然朝じゃない。じゃあ何でこんな明るい……? と目を上げて気づく。

 リビングの電気がついてる。


 嘘、消し忘れ? でもこんなことってある? 

 そりゃまぁ、飲み会とかでヘロヘロになって帰ってきたとしたら電気つけっぱなしどころかメイクもつけっぱなしで寝ることはあるけど、でも今日って……? 

 何だかぞくっとして、慌てて布団にくるまる。リモコンを手に取り、今度こそ、と思って明かりを消す。

 暗闇に飲まれる。そしてその時。

 頭上から。


「おい」

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