3-2. 楽しめよ 

 おふくろは結局生きていた。危うく死にそうだったと医者からは言われたが、俺の頭じゃ難しい病気のことは分からず、ただ大雑把に心臓が一時停止したという理解しかできなかった。かなりの事態だったらしいが、幸い大きな障害なんかも残らずに済んだ。ただそれだけじゃなかった。


 リスキーゲーム。

 最初の二、三回は偶然だと思った。たまたまだと思った。おふくろが死にかけた次は俺の勤め先が倒産し、俺はいきなり路頭に迷った。その時もリスキーゲームを解いてsecond gateまで進んだ。次は俺が車に撥ねられた。幸い怪我は大したことなかったが、保険証もない状態での病院は痛かった。その時もリスキーゲームを解いてthird gateに進んでいた。


 だんだんと分かってきた。このゲームを一段解くと不幸に見舞われるんだ。そう理解した。ただその時にはもう、遅かった。


 リスキーゲームはたまらなく面白いのだ。もう寝るのも食うのも忘れて没頭する。一段解く度に幸福感と満足感でいっぱいになる。ああ、俺はこれを解いた。こんなパズルを解いた。難しかった。でも解けた。最高だ。最高だ。


 不幸はどんどん重なっていった。泥棒に入られた。貴重品の類は根こそぎ持っていかれた。街でガラの悪い奴にぶつかって難癖つけられ、一方的にボコボコにされた。就職活動で街中を歩いている最中、ビルの上から看板が落ちてきて目の前で砕け、破片で怪我をした。リスキーゲームが不幸を呼んでいることは間違いなかった。でもやめられなかった。


 快感なのだ。パズルを解くことが。

 まずいことは分かっていた。そう、分かっていた。

 けどあのパネルを動かす時の感覚。

 パチリパチリとハマっていって、最後に達成する喜び。

 いや、そもそも触れるだけで気持ちいい。滑らかな木の表面が女の肌みたいなんだ。

 たまらないんだ。どうしようもなく愛おしい。快感なんだ。酒やたばこや女やギャンブル、男の道楽なんてことは一通りやった経験があるが、そのどれよりも夢中になれるし、気持ちよかった。うまい飯や旅行なんて比べ物にならないくらい楽しい。それに経済的なんだ。リスキーゲームをやっている間は食事もしないから必然食費が浮く。tiqueで買い物もしなくなったから節約にもなる。理にかなってるんだ。そう、リスキーゲームは完璧なんだ……。


 不幸の度合いはどんどんひどくなった。電車に乗ろうと駅のホームに並んでいたらいきなり誰かに突き飛ばされて線路に落ちた。居眠り運転のトラックが減速せずに突っ込んできた。駅で突然刃物を振り回し始めた奴に最初のターゲットにされた。命の危険がある不幸が増えた。しかし最後のが俺を救った。


 刃物男は俺の腹を刺していった。危うく出血多量で死ぬところだったが、腹を刺されたせいで内臓が傷ついた。少しの間入院を余儀なくされたのだ。必然リスキーゲームからは離れざるを得ない。軽いとは言えそこそこ大きい箱だ。病院には持って行けないしそもそも持ってくる人がいない。

 俺はリスキーゲームのない生活を一週間ほど強いられた。そして、少し冷静になった。

 あのゲームはやばい。このまま遊び続けたら間違いなく死ぬ。冗談じゃなく死んでしまう。

 病院で過ごし、日が経つごとに冷静になっていった俺は、まるで麻薬が抜けていくかのように、リスキーゲームのリスクについて考えるようになった。そして、退院する頃には、あれを捨てようという気になっていた……。


 退院日。あれをどうやって捨てようか悩んでいる時に、俺の友達の一也が快気祝いだ、と遊びに来てくれた。内臓が傷ついた関係で俺は酒を飲むこともできないし食事も制限の範囲でしかできなかったが、一也は飲むぞ、と結構な量の酒と、どこかでデリバリーした美味そうなプレート料理と、いくつかの果物を(病院と言ったら果物というイメージがあったらしい)持ってきた。リスキーゲームは部屋の片隅で、ものすごい引力で(引力、としか言いようがない。同じ部屋にいるだけであれで遊びたくて仕方なくなってしまうのだ)俺を誘惑してきたが、ただ一也がいる手前、何とか理性を保ち続けることができた。


 しかし駄目だった。

 リスキーゲームの誘惑には勝てなかったのだ。

 思えば最初、tiqueであれを面白そう、と思った時からゲームは始まっていたんだ。

 一応言っておくが、俺が誘惑にやられたんじゃない。

 一也が駄目だった。あれは人を誘惑するんだ。

「何だあれ」

 一也がリスキーゲームを指差す。

「面白そうじゃん」

「ああ、あれは……」

 言葉に困っていると一也がリスキーゲームに触れた。

「へぇ、箱?」

 と、あいつが持ち上げたリスキーゲームを見て、俺は驚いた。

 元の状態に戻っている……?

 それは、そう、俺がリスキーゲームを買って最初に遊んだ、あの寄木細工を黒と白とに分けるあの段階に、綺麗な箱型のあの状態に、戻っていたのだ。

 一瞬で色々なことを考える。誰かが触った? 妹か親父かが俺を心配してこの部屋の掃除をしに来た可能性はある。でもあれは結構複雑なパズルだ。ちょっと触ったくらいで元に戻せるはずが……それにそもそも、俺以外にあれの最初の状態を知っている人間なんて……。


「おっ、何だこれ。引っ込んだ」

 一也の一言に思わず声が出る。

「えっ、引っ込んだ?」

「ほら、ここのタイルが一枚」

 一也がリスキーゲームを示してくる。するとあいつの言う通り、すっかり元の状態に戻っていたリスキーゲームのタイルが一枚、パチッと凹んでいたのだ。それは俺が二時間かけて探し出したタイルの一枚だった。一也はそれを一発で当てたのだ。


「ははぁ、これタイルを組み替えながら特定の模様を作るゲームなのか」

 俺が驚いていると、一也の奴はいつの間にかリスキーゲームの説明書を手に取っていた。

 そしてこの時だった。俺の中の、防衛本能とでも言うべきものが目覚めたのは。

「これさぁ、思ったより簡単で」

 口をついて嘘が出た。

「確かに面白かったけど、もう解いちゃったんだよね。一也、ルービックキューブとか好きじゃん?」

 実際、一也と俺はルービックキューブの速さを競い合うような仲だった。

「やってみたら? 見た目の割に軽いし、持って帰れるよ」

「お、マジ? じゃあ持って帰ろうかな」

 冷静になれば、この段階でおかしいのだ。軽いとは言え結構なサイズの箱だ。車でもないのに持って帰ろうなんて判断をする方がどうかしている。

「早速遊んでみるわ」

「おう、楽しめよ」

 悪魔のような言葉だった。不幸を呼ぶゲームを友達に。しかも楽しめよ、なんて……。

 しかし一也はそんな俺のことなど気にもかけないで告げてきた。

「じゃあな。お大事に」

 そそくさと帰り支度をする一也。テーブルの上の料理はほとんど手を付けられていない、何なら酒だってほとんど残っているのに、一也はさっさと帰ってしまった。


 あの、リスキーゲームを持って……。

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