第16話 こわくない


「私は女としても魔物としても負けたのですね」


 砂浜に横たわる令嬢が無念さを口にする。


 相性をものともせず、ぶつかってきたフェイリスに及ばなかったのだ。悔しいのだろう。


「もう終わりだわ、何もかも」


「そんなことないさ」


 俺は忍からもらった記録水晶を、彼女の顔の脇に置いた。わずかな時間だが映像を記録できる代物だ。


 テーブルの上に腰掛けた女の足が映し出された。ストッキングに包まれた足とパンプスがぶらぶらと弧を描く。真上から撮っているので顔はわからない。


『胸の痛みを消すのは簡単。あの男を殺せばいいわ』


 足の持ち主が軽い調子で殺人を提案した。


『そんなことできるわけないじゃないですか!』


 強く反発したのは令嬢だ。全身が映った。


『なんとかしたいと言ったのは貴女よ、お嬢様。このまま力が暴走したら社長にも気づかれるわね。嫌でしょう? それに』


 女は含み笑いをしながら背中を押す。崖から突き落とすような残酷な一手を。


『人間の振りも大変ねぇ。どうせまともな恋愛なんかできっこないんだから、諦めたら? 自分に正直になれば楽になれるわよ』


 これが令嬢を追いつめた者の正体だ。令嬢は顔を押さえ、くずおれた。俺は映像を消した。


「ごめん、撮らせてもらった。君は脅されていたんだね」


「違います。わたしは自分の意志であなたを殺そうとしたんです。楽になりたい一心で。自分の生活を守りたかった。それだけです」


 この娘が魔物だった瞬間が、これまであったのだろうか。もし俺と出会わなかったら、何も知らず幸せになれたんじゃないか。


「俺は君を人殺しにしないために来た。何度もチャンスはあったのに、君は今日まで動かなかった。今日だってずっと迷っていた。だから夜まで待ったんじゃないのか」


「やめて! 人間の振りがうまいって言いたいんですか」


「違うよ。君の心が人間なんだ。体は魔物かもしれないけど、帰る場所があるじゃないか。だから勝手に終わらせないでくれ」


 俺と違って、令嬢には帰る場所がある。やさしいロイ氏と温かな家。俺は駄目だったから、この娘だけは守りたい。


 自己満足かもしれないが、今の俺にできるのはそれだけだ。


「あらあら格好いいわね、色男」


 月を背に、メディナが立っていた。ロイ氏の秘書が何故ここにいるか俺は知っている。


「もうネタは割れてんだ。タダで済むと思うな、蛇女」


 映像に映っていた足の主はこの女だ。俺は女の靴のサイズを瞬時に把握できる。靴屋で働いた経験が生きた。


「なあに、その犯人を追いつめた探偵みたいな顔。それで勝ったつもり?」


「追いつめられた自覚はあるんだな。どうして令嬢を傷つける真似をした。お前は何者だ」


「別に深い意味なんてないけど。そうね、幸せそうなこの娘の顔が我慢ならなくて、滅茶苦茶にしてやりたかったのよ。もうそれは果たせたから満足。あとはそう、人間と魔物は絶対に理解し合えないと教えてたくてね」


 フェイリスが俺の隣に立つ。うなり声を上げ、今にも飛びかかりそうだ。


 蛇女は嫌みたらしく目を細める。


「だってそうでしょ、スミス。あなたはその虎娘の力を半分も引き出せていない。全く、あの方の気まぐれにも困ったものね。不相応な玩具を与えるからつけあがるのよ」


 体の力が抜けそうになる。指摘が事実だったからだ。本来のフェイリスなら、殴打に頼るだけの戦いはしない。是非はどうあれ直接的な殲滅戦を展開しているはずだ。


 俺の魔力量は最低クラス。こいつの力を引き出せない。獣王の証で縛れても、魔力回路を必要とする魔物とは相性が悪過ぎるのだ。


「そんなことないですよ」


 フェイリスが俺に身を寄せる。優しい表情で見上げてくる。


「スミスと出会って、以前より強くなった気がします。あなたのためならどこまでも飛べる。こんな気持ち、初めて知りました」


 慰めでも、同情でもない。こいつの心はいつも真っ直ぐだ。自信を失いかけた俺の心に力が戻ってくる。


「ハッ! 錯覚だって何度言えばわかるのよ。これだから下等生物は」


 はき捨てるようにフェイリスを罵倒してくる。だが、俺はもうメディナに動揺しなくなっていた。頼れる相棒が隣にいるんだから。


「スミス、あの女八つ裂きにしていいですか?」


「ああ、頼む!」


 フェイリスの体から青白い炎が立ち上る。こんなに魔力回路を開くのは初めてだ。あっと言う間に体力が奪われる。


「なによ、やる気? そっちから誘ったんだから簡単に果てないでよね!」


 メディナの頭上に魔法陣が三つ展開された。色が全部違う。一つ一つが大魔法級。通常、大魔法は一つ極めるだけで数年かかるという。しかも同時展開。すさまじい魔力を有していることがわかる。


 フェイリスは力を抜いて静かに息を吐いた。


「グリフィンタイガーにはこんな格言があります」


 彼女は無理なく姿勢を低くし、爪を砂地へとつける。筋力と魔力が混然となり、一気に圧縮された。


 目にも止まらぬ速さでフェイリスは懐に飛び込み、数発の乱打を加える。炎をまとった一撃一撃が、魔法壁を喰い破る必殺の打撃。


 何が起こったかわからない表情のメディナの体が浮き、視界から弾きとばされる。衝撃で海が割れた。


「魔法なんて、当たらなければこわくない」

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