Ⅲ「佐幕開国」と「尊王攘夷」の捻じれ構造への応援コメント
全く無知な身だったので、本当に大学浪人にしてみれば異様ですよ、ほんとに。日本はWW2を通じて自由を勝ち取ったなんていうのは。
良きか悪いかは修正主義者ではないので放置しますが、戦後日本はアメリカによる一層の文化、思想の侵入を受けて来たのは間違いないですし。そこで侵入したものがたまたまよろしかっただけでしょうし。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
歴史修"正"主義には、私も疑問を持つところです。
歴史はその時代に生きた多くの人々の営みの総体であり、多様な見方・解釈があるのが当然かと思います。
一つの戦争にしたところで、「勝った」「負けた」という両極の解釈が同時に存在し、各々の正しさは同等かと思います。確実なのは、戦争があった、という事実ですね。
私自身、正しさについて論じるつもりはなく、ただ「正しさ」に捉われるあまり、歴史の流れの中に置いて行かれてしまった「記憶」や「記録」を拾い集めて行きたいと思っております。
終戦後にアメリカの思想の侵入が強烈だったこと、その侵入に対して別の思想が反発したこと。東西冷戦時の最前線にあった極東アジアで、他人の褌で相撲を取り合った結果、自国の主張が有耶無耶になった「歴史」が、今も各所で問題になっているのかな、と思います。
おそらく今の歴史教科書とは少々違う解釈になっております本作を、読んで頂いてありがとうございました!
Ⅱ 戦後の時代・歴史小説隆盛の背景への応援コメント
宇宙戦艦ヤマトは、自虐史観への対抗馬でもあったそうですね。日教組、つまり自分のセンセイへの反骨ですね。
作者からの返信
宇宙戦艦ヤマトは概要を知るだけなのですが、そのような見方もあるのですね。日教組問題もなかなかに根が深いことかと思います。
コメント頂き、ありがとうございました!
Ⅰ「日本封建制の分析」と自虐的歴史観についてへの応援コメント
なんか、高校歴史の洗礼を受けた身なのですが、歴史って、どこで区切りをつけるのか分からないんですよね。薩長同盟ができて幕府が滅びたとはいうものの、なぜ薩長がそんな権力があったのか→雄藩だから→なぜ雄藩になったのか→村田清風や調所広郷といった優秀な政治家が生まれたから→なぜ彼らは生まれたのか……と僕は思い悩んでしまいます。
なぜだか日本はマルクス歴史観にそぐう形になってしまいましたし……。GHQ統治によってブルジョア民主主義から、プロレタリア民主主義へと。まあここは、それこそ微妙でしょうがね。男子普通選挙は戦前にも実施されましたし、そして現実的にプロレタリア含む国民世論が国政を明らかに動かした民本主義はあったでしょう。農山漁村経済更生運動や社会大衆党、翼賛体制への傾倒。明らかに封建制ではないです。むしろ国民らはプロレタリア革命を起こさずとも、平和裏にプロレタリア民主主義への以降を果たしたように思えます。帰着点は間違えましたが。
作者からの返信
こちらの作品も読んで頂き、ありがとうございます。
明治維新は切り口がいくつもあり、なかなか一筋縄ではいかない問題なのです。問題をややこしくしている理由の一つに1960年代の思想によるバイアスが掛けられた歴史認識があるのでは、と私は考えて、じゃあそのバイアスを取り払ったらどんな明治維新史が現れるのだろうと、そんな思考実験をしております。
薩摩が雄藩になれたのは、不平等な琉球貿易による利益の増大が背景にあったことも一つの理由です。植民地支配と同等に、なかなかに悪政を布いていたとの記録があります。
この幕府の財源を上回る潤沢な富で、海外から最新鋭の兵器や工学技術を得ていたことが薩摩の強さかと思います。長州に関しては、維新後、長州出身の官僚が多く出たことから長州の存在を美化する風潮が当時からあり、幕末時の長州の評価はかなり差っ引く必要があるようです。
この歴史観で「冬青木坂の追憶」(https://kakuyomu.jp/works/16816700426898590355)を、そして私のメインの創作シリーズである「千鳥シリーズ」(https://kakuyomu.jp/users/gonnozui0123/collections/16816452219400763149)を書いております。……宣伝です!(゚ω゚)
趣味で楽しく書いておりますので、ジャンルがBLとなっております笑
この国でプロレタリアートの階級が明確になったのは、高度経済成長の時からかと思い、良くも悪くもその爆発的なエネルギーがそれまでの歴史と、現在、脱却すべき社会構造の礎になったのではないかと考えています。
天文学者は夜空の星を見て宇宙の成り立ちを解析しますが、同じように、過去の歴史を顧みてこの世の成り立ちに思いをはせることはとても興味深いことだと思います。
一盃口様も歴史についていろいろと考え、思われることがおありかと存じます。なかなか理解されずらいジャンルではありますが、自分の考えをカクヨムで表現できるということを、是非いっしょに、楽しんでまいりましょう!
コメントありがとうございました!
Ⅰ「日本封建制の分析」と自虐的歴史観についてへの応援コメント
私は歴史の難しいことはわからんのですが、たとえば自分という人間ひとりが生きてきた過程を歴史とするなら、そこには有象無象の「歴史観」がありますね。
自分という舟を自分で引っ張るにあたり、正しくないだろうけど「〇〇のために頑張るんだ!」と絞りだした言葉もある。この「正しくないだろうけど」という部分は、認識していればまだしも、認識していない時もある。
近視眼的にはそれが最も有効かな…と思う策でも、長期的に見ればマズったなということもある。今を生き延びることと、長期にわたり安定して幸せで居るという二つの行動原理は両立せず、しかしどちらが正解ということもない。
そしてホチキスのくだりは、「今、その場に生きている人間の有様」という、歴史認識や概念論とはまた違う「舟自体のプライスレス具合」を称えているようにも思いました。
何か、思ったままの感想ですので、よくわからんですみません。
(しかし、どうも、トコトコ歩く例の獏がいるような気がしますねえ)
作者からの返信
コメントありがとうございます。
そうなんですよね、その時、その状況ではそれしか正解はなかった、としても、その正解が後世までも正解であり続けられるかどうかはまた別問題で。
でも人間が懸命に考え抜いた思考の一つの到達点ではあるわけなので、全否定はできないんですよね。先人が何故その思考に至ったのか十分に理解した上で、「でもね」、と今の時代に即した考え方を構築していく必要があるんじゃないかなあと。
…実はこれ、「千鳥シリーズ」のテーマでもあるんですよ。『風浪』の最終章(https://kakuyomu.jp/works/1177354054934987728/episodes/16816410413984016885)は、今後のストーリー展開の象徴でもあるのです。
どうしようもなく変化していく流れに、それでも変わろうとしない何かに、どちらにも「でもね」とひとこと、弘紀と修之輔に言わせたいのです。
「千鳥シリーズ」は昭和初期にエンドポイントを設定しているのですが、戦後のこの国の在り方を考えているうちに戦後から高度経済成長期までを舞台にした「千鳥シリーズ第2部」も書きたくなってきています。
…構造は同じで、やっぱBLかな!(゚ω゚)←ブレない
そして今回出現した獏はPV付けずに☆を投げるという謎のスキルをお持ちの様です。どうしたらそれができるのかとちょっと考えています。はて。
読んでいただいてありがとうございました!
第3話 薩摩藩邸焼き討ちから庄内藩の松ヶ丘開墾事業までへの応援コメント
葛西さま。
おはようございます。
近代日本史、全くといっていいほど忘れていました。
いや、こちらで初めて知る事ばかりでした。
「翠雨の水紋」拝読前に知識として念頭に置いてから伺えば良かったと思いました。
現役学生さん、関心ある方には貴重な作品ですね。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
近代史は小学校・中学校・高校とやっているはずなんですが、影が薄いですよね。
私自身、「千鳥シリーズ」を書きつつ勉強しなおしています。
新撰組と対をなす存在だった新徴組が、完全に歴史の中に埋もれてしまっているのを疑問に思って追跡していったところ、こんな構造が見えてきた、というお話です。
新撰組はあれだけ二次創作が盛んなのに、新徴組の影の薄さよ……
会津藩のような壊滅的な敗北しなかった庄内藩はもっと評価されてしかるべきなのに……!などと、先日の庄内取材旅行でもぶつぶつ呟いておりました。
私の思想の主義主張、しかも執筆準備中な部分まであるこちらの作品に、☆評価もいただき、ありがとうございます!また、烏目浩輔さまに私をご紹介くださいましたことも併せてお礼申し上げます。
……真面目過ぎるのを書くと、その次はエロに振り切れる行ったり来たりを繰り返しております。読んでいただいて、ありがとうございました!