第10話 誰かの痛み、お売りします

 かくして、自分はこの店で働くこととなった。とはいえ、基本的には食事の支度と掃除、二人が外出する際の店番程度であったが。


 店番といってもほとんど客は来ず、たまに置いてある雑貨や古本の類を買いに来る客が訪れる程度で、基本カウンターで売り物の古書を読むか、ふらりと顔を出す近所の老人と世間話をしているうちに一日が終わる。


「お疲れ様。夕飯の支度もあるし、店番変わりますね」

 カウンターで古書を読んでいると、コハクに声をかけられた。

「あ、おかえりなさいコハクさん。お願いします」

 言いながらコハクと店番を交代する。ヒスイと違い、相手と会話の際はお互い敬語のため、コハクとの会話は基本的に敬語で、ふとしたはずみで時々ため口が混ざる感じであった。


「どう?何日か経ったけど、慣れました?」

「そうですね。ただ、この客数でやっていけるんですか?」

 基本、店番以外は食事の支度と共有スペースの掃除ぐらいのもので、時間をもてあまし気味になる日も多く、姉妹二人が生活できる収入があるとは考えにくい。ましてやそこに自分が加わり、経営的に大丈夫なのかという疑問があった。


「まあ、うちはムラがあるんで。あ、大和さんには決められた賃金は払うので心配しなくて大丈夫ですよ」

 自分の心情を見抜いたかのようにコハクに言われる。

「古本や雑貨はオマケみたいなもんで、実際は『痛み』の売買がメインだから」

「……『痛み』を売買、ですか?」

 そう言うとコハクはうなずき、会話を続ける。

「そう。ヒスイが『買って』、私が『売る』の。意外とね、人の痛みって需要があるみたい。私はあまり理解したくないけどね」


 そう言ってコハクはカウンターから出ると、店の隅にあるカーテンで仕切られた一角に向かい、カーテンを開いた。

 そこには、コルクで蓋がされた小瓶がずらりと並んでいた。中にはお香のような形のものが一つずつ入っている。


「これが全部『痛み』。老若男女の様々な痛みがあります」

「……この瓶の一つ一つが、人の痛みってことなんですか」

 その言葉にコハクがうなずく。にわかには信じられないが、ヒスイに実際に救われた身としては信じざるを得ない。だが、それをどうやって売ると言うのだろう。


「やっぱり、気になりますよね?」

 自分の表情から悟られたのだろう。コハクが言う。

「おススメは出来ないですが……お望みなら試せますよ」

 そう言ってコハクは小瓶の棚を見て、その中から一つの小瓶を取り出した。中にはやはりお香のように見える塊が一つ入っている。


「……はい。これからここで働かせていただく訳ですし、どんなものかは知っておきたいです」

 不安半分、好奇心半分の気持ちで言った。

「分かりました。では、目を閉じてこの瓶に鼻を近づけてください。ああ、でも吸う時に勢いよく吸いすぎないでくださいね。軽く鼻で息を一瞬吸うくらいにしておいてください。でないと、本当にその『痛み』が続いてしまうので」


 そう言われて少し身構えてしまう。そんな自分にコハクが言う。

「大丈夫です。比較的軽い痛みなので。一瞬しか吸わなければ痛みもすぐに消えます」

 コハクの言葉にうなずき、意を決し目を閉じて瓶に顔を近づける。

「それでは、いきますね。一瞬息を吸ったら目を閉じたまま瓶から顔を離してください」

 そうコハクが言うと、真っ暗な視界の中でコルクの蓋が外れる音がする。

「では、吸ってください。目は閉じたままでお願いします」

 その声に鼻で息を吸う。やはりお香のような香りがしたのを確認し、慌てて目を閉じたまま顔を後ろに離す。真っ暗なままの視界に、コハクの声が聞こえた。


『――誰かの痛み、お売りします――』


 その瞬間、自分の意識は暗転した。

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