第3話 <北>
3-1 小学校教諭・佐藤涼子
<南>こと
<大日本帝国>
が、夏の暑さの中にあった時、<北>こと
<日本人民共和国>
も又、夏の暑さの中にあった。
暑い中、自身の勤務する小学校での今日の仕事を終えた佐藤(旧姓・江口)涼子は、市内の市電乗り場にて、同じく退勤者であろう市電を待つ多くの人々が居る市電乗り場の行列の中にいた。
「今日も、暑かったね」
暑くとも、学校の教室の中に冷房はない。逆に冬になれば、金属製のダルマストーブにコークスやら灯油やらが入れられ、室内は暖かくなるものの、ここ仙台は、
<東北>
であり、その地方名に
<北>
という文字が入っていることからして、自然に対する対策は、自然と
<暑さ>
よりも、
<寒さ>
が優先される傾向にあるようであった。
1961年、国立宮城師範大学に秋の編入生として入学した涼子は、その師範大学を2年前の1965年に卒業し、昨年から、仙台市内の市立小学校にて、教師の職に就いていた。漸く、ここ
<日本人民共和国>
でに生活が軌道に乗って来たと言って良いかもしれない。
<南>
を捨て、自らの人生を切り開かん、とこの国に入った涼子ではあった。しかし、他の学生と年齢的にズレが有ることや、
<北>
の訛りにも慣れられないことがあった。
<北>
という文字、あるいは、語句は、やはり、
<南>
にいた時同様、単に方角を示す言葉ではなかった。生活に根ざした、<言葉>という生活そのものの違いでもあった。正式に、
<日本人民共和国>
というこの国の
<人民>
となってなお、それは涼子に違和感を感じさせるもの等があった。
大学時代、年齢のズレに加えて、言葉の違いから、周囲から何かしら距離を置かれていた涼子ではあった。そして、その言葉遣いによって、結果として、
<南>
の出身であることがばれてしまった。
<南>
という言葉も又、単なる方角を示す語句ではない。この国にとっての異国、というよりも最早、敵国と化した
<大日本帝国>
を指す言葉である。異国、あるいは敵国への好奇心から、涼子に近づく学生も学生時代には、居るには居た。
「私、東京さ、行ったごとねえけど、東京ってどんなところ?」
「東京ね・・・・・」
と一言置くと、涼子は自身の東京時代を語った。
強制的勤労動員、未だに<「家」制度>が存続していること、-そして、その制度との関連とも言えるが-無理におかしな縁談話が舞い込み、不快な経験をしたこと、それ故に、岡山出身の女性と逃げ、北陸方面から南北の境界線を越え、この国に入ったこと等々。しかし、ここ
<日本人民共和国>
にも、<南>での抑圧装置たる
<特別高等警察>
に似た
<保衛警察>
が存在し、うかつな発言はこの国での生活そのものを崩壊させかねない。まさに命取りの可能性もあった。実際、涼子自身、秋田から仙台への列車の車中で、他の乗客から、
「保衛警察の関係者じゃねえのか?」
という意味での疑いの目で見られたことが有る。この国の体制による最初の洗礼であったも言えた。
それが、具体的にどのような内容かについては、その時点では、よくは分からなかった。しかし、周囲の乗客の
<不審の体現>
とでも言うべき、厳しい目付きと視線は、それが、場合によっては、かなりの
<危険>、<恐怖>
をもたらすものであろうことは、半ば、その時点で理解できてもいた。
その後、大学に入って、下宿に済むようになり、1人の時間が持てた涼子であった。そこは、文字通り、自身の
<世界>
であり、素の自身になれるという
<城>
であったと言っても良かった。<城>の城主は勿論、涼子自身であり、少くとも、そこでは、彼女は自身に素直になれると言えた。
脱南前に、勤労奉仕の現場で与えられた切符で見た映画に出て来た殿様のように、家来が居るわけではない。ただ、1人のみの世界である。それでも、自分自身が
<素>
になれる自身の城は、落ち着くものである。ゆえに、周囲に何かを聞かれて、密告ということにならない限り、いかなる言動も、そこでは安全であった。
しかし、不特定多数が混じり合う場所での発言は、注意を要する。うっかり発言したことが、
<人民共和国>
という<人民>のための<共和国>にいながら、
<危険>、<恐怖>
という、<矛盾>を止揚したはずのこの国で、―少くとも、旧体制の矛盾を克服し、新地平を切り開いたのがこの国であると、教わっていた―それこそ<矛盾>の契機になりかねないのである。
事実、涼子は自身の下宿の近くで、松本という老人が、突然に行方不明になったことがあった。涼子は特に親しかったわけではなかったものの、路上で会えば、互いに挨拶もしたし、不快感を覚えるような人物ではなかったことから、松本老人の行方不明事件が気にはなっていた。
そして、ある日、下宿の管理人夫婦に、この件について問うたことがあった。
「松本さん、最近、見かけませんね。どうされたんですかね?」
涼子がこのことを口にしたのは、下宿のなかの1階の管理人夫婦の部屋近くであった。
しかし、管理人の妻は、右手人差し指を口に当て、
「しっ!」
と小声を出し、視線を左右させつつ、厳しい表情になった。
急な表情の変化に戸惑っている涼子に対し、彼女は言ったのである。
「あの松本さんね、もう、この国では天皇制なんて、なくなっているのに、自分が若い頃、天皇陛下に忠誠を尽くしたとかで、いつも得意になっていた」
妻氏は厳しい表情を保ちつつ、続けた。
「でも、それって、今の私達の
<日本人民共和国>
を否定して、<南>の方が良かったとも解釈できる発言だべ?んだから、多分、保衛警察に目をつけられて、連れて行かれたんだっちゃ」
その<南>においても、庶民の間での所謂
<流言蜚語>
があった。<南>、<北>の体制の違いがあっても、いずれにせよ、同じく人間が作った
<社会>
或いは、
<体制>
であり、それ以外の何物でもない。
昔から、この日本においては、
「壁に耳あり、障子に目あり」
という言葉もある。それを思うと、自身の城の中以外は文字通り、
<油断大敵>
である。場合によっては、自身の<城>の城内においてさえ、油断すれば、どのような結果になるか、分からない。
その意味では、涼子は引き続き、自らの自衛のために、権力に対して
<防諜>
-この言葉は、<南>では、体制に変化がない以上、1967年の今日迄、一貫して続いているであろう-
を心がけねばならない状況にあった。
あるいは、だからこそ、
<自身の世界>
にこもりたくなることも少なくない。誰かに聞かれなければ、自身を主人公として、どのようにでも楽しめるからである。
「とりあえず、食料が<南>よりも充実しているのは良いのだけど」
市電乗り場で、それこそ、
<自身の世界>
にこもっていた涼子は、現状を一旦、総括するかのように、心中にて呟いた。無論、言葉には出していない。
「とりあえず、食料が<南>よりも充実しているのは良いのだけど」
という台詞は、解釈次第では、
「この国も、食料以外は何も取り柄がない。<南>に優越してなどいない」
という体制批判でもあった。自身の発言を、
<自身の世界>
から、外の世界へ表出しないことによって、この場でも、彼女なりの自身の生活のための
<自衛>
を為しているに他ならなかった。
暫く、待っていたところに、通りの向こうに、市電がすがたを見せた。その姿は段々と、大きくなり、金属音を立てて、ゆっくりと市電乗り場の前に停車した。市電の戸が開き、乗車口から、人々が車内に乗り込み始めた。
<南>
と同様、車掌に切符を渡し、乗り込んでゆく。涼子も行列の一員として、乗車口のデッキに足をかけ、女性車掌に切符を渡し、車体の壁に沿ったロングシートの一部に空席を見つけ、腰を下ろした。
今、涼子が乗った市電は、ソ連、東欧諸国から輸入された車両とは形状が異なっていた。戦前から存在していたと思われる旧式車両である。日ソ両軍が仙台市内で激戦を展開した中でも、生き残ったものなのであろう。
そうした車両に乗ると、かつて、自身が居た<南>を思い出さされることもある。
しかし、涼子は文字通り、
<自身の世界>
を得るために、自発的意志によって、かつての祖国たる<南>こと、
<大日本帝国>
を棄てたのである。そうである以上、何かしらの矛盾等があっても、自身の責任で、自身の現況を納得させなければならなかった。
故に、自身の立場を正当化せんとして、
「とりあえず、食料が<南>よりも充実しているのは良いのだけど」
という台詞を心中にて、呟いたのかもしれない。
涼子が乗った市電は、先程までの行列を一定数、収容すると、女性車掌の
「はい、発車」
の声を合図として、走り出した。車内にモーター音が響き始めた。徐々に速度が上がり始めた。
走り出した市電の車内から、背後を振り返って、車外を見てみると、退勤時にあたっているからであろう、多くの人々が自転車に乗って、移動していく姿が見える。
小学校教諭の涼子は、給与の他、市電の電車賃を毎月の給与日に受け取っている。それによって、市電を利用しているのである。。その点は、公務員故に、恵まれていると言えるかもしれない。他の各企業でも、通勤手当は出ているようではあるものの、人々はやはり、生活を
<自衛>
せんと、自転車に乗ることも少なくないようである。自転車なら燃料も不要で、平均的体力さえあれば、なんとかなる便利な交通手段である。
外が少しずつ、暗くなって来た。車内の天井灯が点き始めた。とりあえず、
<南>
において、涼子自身が経験したような、停電による中途停車、暗闇車内化は今までのところなかった。
<日本人民共和国>
は、ソ連の極東における重要同盟国として、ソ連邦から電力源となる資源の援助が為されていることによるものである、と党機関紙等によって説明されていた。
涼子は、とりあえず、走っている市電によって、自宅に戻りつつあった。但し、最初に入居した下宿にではない。
夫・佐藤寛一と暮らす公営アパートに、である。
3-2 回想
走り出した市電の中で、車内灯によって、乗客等は可視的存在である。見ようと思わずとも、様々な乗客が見える。皆、知らない者同士であり、謂わば、
<社会>
の縮図、というものであろう。知らない者同士、普段は、特に言葉をかわすことがないのが常態であり、こうした車内は静かである。そんな中で、涼子が自身の心中にて、
<自身の世界>
にふけっていても、誰にも気づかれない。その意味では、交通機関は、建前は、
<公>
的な場所でありながら、自身の世界にふけることができる
<私>
的場所であった。
こんなところにも<矛盾>があり、だからこそ、それこそ、この国の矛盾を悪く言おうと、批判しようと、好き勝手ができるのであった。
涼子は現在、6年生を担任している。今年29歳になる涼子には、未だ、子供は居ない。正直、仙台市内での小学校での6年生の担任を言われた時には、どのように担当してよいか、分からなかった。子供が居ないので、どのように担任したらよいか、分からなかったのであろう。
しかし、何かしら緊張しながらも、自身で今日まで頑張っては来たつもりである。しかし、児童達の成績が芳しくないと、親から苦情を言われる時もあり、自身として、教師としての自信をなくすこともあった。
なぜ、6年生を担任するように言われたのだろうか。初めての現場ということで、一定程度、教育を受けている子供たちのほうが、担任しやすいという配慮からかもしれない。しかし、前任者が上手く、基礎教育をしてくれていないと、6年生の担任も上手くは行かない。これもきっと、
<南北共通>
であろう。
しかし、やはり、自信を失った彼女は、師範大卒業の後も暫く、住み続けていた下宿屋にて、1人、涙がこぼれそうになったこともあった。師範大学にて、4年間、教職のために勉強して来たことは何だったのか、と虚しくなることさえあった。真面目に勉強してきたのに、いざ、実践、となると、心中、あるいは、脳裏にて思っていたようにはいかないわけである。
そんなわけで、涼子の教師生活は、1年目は失敗だったと言える。しかし、昨年、そして今年、1967年は、最初の時よりは、子供達に上手く接することができているかもしれない。
「そうだと、良いのだけど」
涼子は、やはり、心中にて呟いた。
涼子が、子供達への接し方が上手くなったかもしれない要因として大きいのは、宮城県警・人民警察の巡査部長・佐藤寛一、つまり、現在の夫の存在が大きいと言えるかもしれなかった。
実は、現在の夫・寛一と知り合ったのも、こうした市電のなかにおいて、であった。
その日、涼子が乗った市電は、今日と同じく、戦前からの生き残りと思われる旧型市電であった。そして、これ又、今日と同じく、職場の小学校からの帰りのことであった。その日は当時住んでいた下宿の管理人夫婦に、出勤前に、自由市場での野菜の購入等を頼まれていたので、仕事用の鞄の他、2つの買い物用の袋も持参していた。
ソ連式の計画経済が主流となっているこの国では、しかし、政府に立てた経済計画と<社会>の実際の需給が噛み合わないこともある。之がこの国の最大の
<矛盾>
であった。故に、<自衛>策として、
<自由市場>
は生活の需給を満たす不可欠な生活の手段であった。この点も、
<南北共通>
ということが言えた。
どこへ行っても、矛盾はつきもの、と相変わらず目に見えない巨大な歯車の下にいることに気付かされた涼子ではあったものの、管理人夫婦によれば、
「新鮮な果物がたくさん来ている」
とのことであった。ぜひ、仕事の帰りにでも購入してきてくれないか、とのことだった。
それが矛盾を体現するものであろうとも、涼子も食い意地には勝てない。かつて、秋田→仙台の列車内で、青森出身という老婆から与えられたりんごの味が忘れられない涼子としても、再び、その味を味わってみたかった。
そういう次第で、小学校から退勤した後、仙台市内の自由市場に行ってみると、果物のコーナーには、多くの人々が詰めかけていた。
「このりんごは◯円!」
「この果物なら、☓円!」
そのように威勢良く言う男性は、
「さあ、買った!買った!」
と、その威勢の良さで以って、周囲の人々に盛んに購入を促した。
威勢の良い声の活気につられて、涼子も、果物のコーナーに行ってみた。涼子は、果物以前に、声そのものに、何か、心中を掻き立てられるものがあったようである。
<南>
から来た彼女にとって、未だ、この国に慣れられないものがあった当時である。さらに、当時、良き友人ができなかったことも、彼女の心中を暗くしていた。当時なおまだ、彼女はこの国の社会にとって、
<敵国出身の異端者>
とだったのかもしれない。それ故に、何かしら、明るさを求めていたのかもしれなかった。
その日の自由市場では実際、様々な光沢とでも言いうるかのような新鮮な果物があった。その新鮮さからか、その周囲にて集まり、果物を見ている人々の表情をも何かしら、明るくしているかのようにも思えた。
涼子は持参の2つの買い物袋を見せ、
「りんご、ください!」
と仕切っている男性に、元気よく、申し出た。果物達の新鮮さに、涼子の表情も明るくなっていたのかもしれない。
「ああ、姉ちゃん、じゃあ、持っていきな」
そう言うと、涼子が示した買い物袋2つに、りんごを一杯に詰めてくれた。
「お代は?」
「400円」
新人教師の彼女には、痛い出費かもしれないものの、こうした新鮮なものが手に入る機会はあまりない。涼子は、100円札4枚を出し、新鮮なりんごを入手できた。
市場の男性が、涼子にたくさんのりんごを売ってくれたのは、涼子の明るい表情につられてのことかもしれない。同時に、彼にとっては、計画経済の隙きをぬって、たくさんの現金収入を得られる良い機会だったからなのであろう。そこには国営経済にはない
<自由>
がもたらす、各自の
<自信の世界>
つまりは、所謂、
<本音>
あるいは、各自の
<素>
が自然と出されていると言って良かった。
その後、涼子は、今日現在、この帰路にて乗車しているのとほぼ同じ、旧型市電にのり、同じくその日の帰路に就いていたのであった。
その日も、車内は帰宅せんとする人々なのであろう、今日と同じく、混み合っていた。座席を数人部も占領しては申し訳ない、と、涼子はりんごの入った2つの買い物かごを膝の上に乗せる形で、市電に乗っていた。
そして、車掌の
「次は▲前、次は▲前」
という声を聞くと、
「すみません、私、降ります」
と言って、涼子は彼女にとって、壁のようになっている人々をかき分けるようにして、で降車口から下車しようとした。
しかし、次の瞬間、涼子は前のめりになる形で転んでしまった。
<南>
に居る時から、この種の市電には乗り慣れているせいか、デッキから下車する際に、りんごの入った重い袋を2つ抱えているにもかかわらず、油断していたのかもしれない。
2つの袋からは、りんごをぶちまけてしまった。
「痛たた・・・・・」
そう、思わず口にしたものの、次の瞬間、
「あ、りんごたち!なんて馬鹿な私!」
と自身を責め立てつつ、慌てて回収作業に入ろうとした涼子であった。
「早く、かき集めなきゃ」
そう焦っているところに、背後から声がかかった。
「大丈夫?」
「え?」
転んだところから、半ばまだ、上半身を起こしたばかりのところにかかった声であった。
「ええ、まあ」
突然に声をかけられえて、何と返事してよいか分からぬ涼子に、
「俺もここで降りる客なんでね」
そのように、ある種の自己紹介をした彼は、
「手伝うよ」
と言って、涼子が散乱させてしまったりんごを回収し、涼子の買い物袋な中に戻してくれた。
「有難うございました」
突然のピンチを救ってくれた彼に、涼子は礼を言った。
「大変だったね」
「ええ、まあ」
涼子の返答はまたしても同じものであったものの、その声色は明るくなったようであった。
「そこまで、歩きます?」
彼の提案に涼子は同意し、暫く、2人は同じ方向に向かって歩き出した。
「この近くにお住まいなのですか?」
涼子の問いに彼は答えた。
「ええ、両親とともに一緒に暮らしてましてね、まだ独身なんです」
独身という点は、偶然にも涼子と同じ立場であった。
「貴女も、この近くにお住まいなんですか?」
彼から、同じ質問が発せられた。
「ええ、この近くなんです。私もまだ、独身なんですけど、学生時代に下宿していた部屋に1人でくらしているんです」
「そうか」
彼はやや、嘆息混じりに言った。
この国の体制は、ソ連軍上陸、さらに侵攻時の激戦によって破壊された地区の住宅再建をソ連式公営アパート、マンションをモデルとして急いではいた。しかし、
<大日本帝国>
との対峙が、何時終わるともしれない中、軍事予算が、国家予算として大きな負担となっていた。コンクリートや鋼材も、それこそ
<南北共通>
の最前線たる要塞化に不可欠な分、民生に廻す分は、当然、削られていた。
故に、涼子が暮らす下宿屋のような商売が成り立つとも言えた。涼子はなぜ、彼が嘆息したのかはよくわからないものの、民生が厳しい状況に嘆息すべき何らかの理由があったのかもしれない。
彼が引き続き、聞いて来た。
「お仕事は?」
「仙台市内の小学校の教師なんです」
「そうですか、私は宮城県警・人民警察の巡査部長、警察官だったんです」
彼はさらに続けた。
「私は、佐藤寛一と言います。寛大の寛に、漢数字の一です。貴女は?」
「私は、江口涼子と言います」
涼子は自身でも、またしても、表情が明るくなったのが分かった。
「我々は、よく、市電の中で一緒になっていましたよね」
「え?」
思いがけない言葉に涼子は少し、戸惑った。寛一は警察官という職業柄、人を見る目が鋭いのかもしれない。
地区内の路上を一緒に歩いていた2人であった。しかし、ある十字路で、涼子は右に、寛一は左に行かねばならない、ということで、
「佐藤さん、じゃあ、ここで」
と挨拶し、逆方向に進まねばならない寛一と別れた。
その後、帰宅時の市電内にて、寛一が言った通り、よく同乗していた2人は、初めての出会いから約半年後、結婚したのであった。
故に、今、涼子が帰る場所は、かつての下宿屋ではなく、寛一と結婚後に入居した公営アパートである。結婚後、仙台市に申請し、与えられたものである。
公営アパートは、未だ不足しているのが現実であった。にもかかわらず、ほぼ即入居が可能になったのは、夫の寛一が警察官という、謂わば、
<上部構造>(政治権力)
の側の一員であることからかもしれない。
心中では、<上部構造>(政治権力)に批判的に考えることも少なくない涼子ではあるものの、その
<上部構造>(政治権力)
に助けられているという矛盾の中にある涼子であった。
「次は□□前、□□前」
女性車掌の声が車内に響いた。
涼子はシートから立ち上がり、下車の準備をした。
3-3 自宅へ
涼子は、下車予定の停車場で市電が停まると、予定通り、そこで下車した。今日は大きな荷物もなく、乗降に慣れたデッキから無事に下車した。
空は既に夕方から夜になり、天は暗く、というか、黒色になっていた。
しかし、余り、危険は感じられない。街路灯は一部を除けば、とりあえず、明るく灯っていた。この点は、食料とならんで、肯定すべき
<北>
の生活の現状である。涼子も既に慣れ、特に気にかけるものでもなくなっていた。これが、
<南>
だったら、どうであろう。しょっちゅう、所謂
<不時停電>
である。涼子自身も、<南>からの脱出前、停電で市内電車内に半ば、閉じ込められたことがあった。しかし、この国では殆ど、そういったことはなかった。
党の機関紙『勤労報』においては、こうした生活の改善についての
「党の努力、そして友好国・ソ連邦からの様々な援助によって、我が国の経済再建は順調に進んでいる」
あるいは、
「人民は党の指導の下、反動体制の抑圧の下にある<南>の人民を解放し、祖国統一を達成することを忘れてはならない」
といった記事や社説を見ることが多い。
涼子にとって、こうした『勤労報』の記事は、<南>にて、度々、というより、全くの日常生活の中で、それこそ、何ら意識することなくただ、存在しているのみで、気をつけられることもない
<大東亜共栄圏死守!>
<皇国・日本・・・・・>
等のそれと、あまり変わるものでもないように思われた。
しかし、
<あまり変わるものでもない>
という微妙な表現に、涼子の現在の立場がある、と言えるかもしれない。
少くともこの国では、<南>こと、
<大日本帝国>
よりは、
「経済再建は順調に進んでいる」
のは、生活上の具体的な実感であった。
<南>から亡命し、この国に入った時、当時、自身が一員とはなっておらず、なお、ある意味、対峙的存在でもあった
<北>
の軍の施設で米飯が食べられて以降、米飯が食べられるという状況は、とりあえず、今日、この日まで、ほとんど途切れることなく継続できていた。所謂、標語が
<あまり変わるものでもない>
存在であっても、内実は、大きく変化した部分があったと言っても良いかもしれない。
涼子には、今はまだ、寛一との間に子供は出来ていない。しかし、子供が出来ても、少くとも
<食>
の面で子供を苦しめることには、現行の状況が続けば、心配はあまりないようである。更に、
<衣>
も一定程度は、どうにかなっているし、
<住>
も、とりあえずは保障されている。
こういった意味では、<南>を棄てたことは、とりあえず、正解と思われた。
勿論、<南>の価値観では、それは大悪人的行動でしかなかった。しかし、その価値観を棄てたことは、現段階では、涼子の人生にとっては、
<吉>
と出たようであった。
無論、涼子とて、常々、こうしたことを思考しているわけではない。日々の
<生活>
を、それこそ、日々、継続しているに過ぎない。別に意識するほどのことでもなく、それが
<日常>
と称せられる生活にほかならない。
そして、そうした日々の日常生活の中に、党の標語等が、新聞スタンド等に掲げてあるものの、単に物理的に存在しているのみの存在であって、通常、その存在感は、然程、存在していなかった。
<生活>
において、涼子の経済的状況は、プラス方向に変化したと言えた。
しかし、他方、「上部構造」(政治権力)による何らかの標語に包まれるという生活は、一庶民にとっては、
<南北共通>
であった。
故に、全面的に変化したのではない、という意味では、
<あまり変わるものでもない>
という状況であった。しかし、経済的に
<プラス方向>
への変化は、やはり、
<大きな変化>
であった。しかし、こうした生活上の変化も、
<あまり変わるものでもない>
もの、つまり、「上部構造」(政治権力)によって、もたらされていた。これも又、
<南北共通>
であった。故に、「上部構造」(政治権力)と対立しないように配慮が必要なのも、文字通り、
<南北共通>
であった。保衛警察はその具体的存在と言える。
市電乗り場から15分程、歩いた涼子は、自身の公営アパート前に着いた。
今日は、そんなに沢山の荷物があったわけではない。しかし、暑い中、歩いてきたせいで、上半身は汗まみれであった。彼女はスカートのポケットの中から、ハンカチを取り出し、顔の汗を拭った。
このハンカチは、かつての下宿屋夫婦に果物を届けたのと同じ自由市場にて購入したものである。涼子が、このハンカチを購入したのは、レース編みのデザインが気に入り、又、安価ということもあった。その日、同じようなハンカチを数枚、デザイン等から気に入って購入した彼女であった。
その時、その屋台でハンカチを撃ってくれた40から50代くらいの女性が、涼子の差し出した100円札と引き換えに、ハンカチ数枚と、10円玉数枚を出しつつ、言った。
「お姉さん、ありがとうね」
「あ、いえ、ハンカチの柄が気に入ったので」
「そうなんだ、とりあえず、余った原料でなんとかしたものなのよ」
「国営工場とかで、余った原料ですか?」
「ん、まあ」
その女性は、暗に、
「これ以上は聞いてくれるな」
という表情だったので、涼子はその日、それ以上、この件については問わなかった。
各国営、或いは公営企業、又は集団農場等では、余った収穫、或いは農民各個人に分配された所謂
<自留地>
で、自由な収穫、販売が、一定乗れベレベルで許可されていた。秋田→仙台の列車内で出会った老婆もそうした事例であったろう。
しかし、各国営工場に配分されて原料を持ち出し、各労働者が勝手に処分し、計画経済での需給が一致しないことがある状況の下、不足品、或いは、国営工場の製品よりも工夫をこらした製品を自由市場に流し、小遣い稼ぎをしている事例も少なくない。
『勤労報』は、こうした状況に警鐘を鳴らす記事を掲載し、場合によっては、横領等の容疑で刑事罰が有り得ることを示していた。
しかし、こうした状況は一向に改まる気配がなかった。それでも、
<衣、食、住>
さえ、半ば保証できなくなっている<南>よりは、その意味では、この国は、まだましであるかもしれなかった。
とにかく、涼子等、
<庶民>
には、日々、それこそ、半ば意識しない毎日の生活があった。
汗を拭った涼子は、エンタランスから公営アパートに入り、
<佐藤>
と名刺サイズの紙名札が正面についている金属製の郵便受を開き、中を見てみた。
中には一通の封筒が入っていた。
「何かしら?」
心中で呟いた涼子は、封筒を取り出してみた。
茶封筒には、正面に
<居民委員会のご連絡>
とあり、裏返してみると、
<□□公営アパート居民委員会>
とあった。
「ああ、いつもの居民委員会からね」
と、涼子は独り言を口にした。そして、
「堀田さん、どうかな?辛くないかな?」
と、同じく、この公営アパート内に住み、某国営工場の労働者たる堀田八重子のことを、内心にて気遣った。
涼子にすれば、寛一と結婚し、現在のアパートに転居して来て以来、どうも、八重子が、周囲から何かしら嫌われているようにも感じられていたのである。
涼子は、ある時、同じこのアパートの住民女性等の、所謂
<井戸端会議>
的な会話を偶然、耳にしたことがある。
「ほら、堀田さんって、共和国が成立する以前、実家が地主だからって、威張っていたじゃない」
「そうよ、それこそ、私達の家って、ああいう人に搾取されて、ほんと、苦しかった」
「ほんと、ほんと、搾取階級出身のくせに、公営アパートに入っててさ・・・・・」
<搾取階級>
という語句は、この国の体制を正当化、もしくは正統化するために、学校の教科書でも使われている言葉である。ある種の
<公式用語>
と言えるかもしれない。ソ連軍の支援による
<日本人民共和国>
成立による<解放>-これも又、一種の公式用語であり、この国の成立は、公式には、このように表現されるのが通常であった-によって、かつて、
<庶民>
を苦しめていた旧地主出身者らは、文字通り、当の
<庶民>
恨みを買っていた。それは、マルクス主義を基礎としたとされる党のイデオロギーと重複するものであり、この国の「上部構造」(政治権力)によって、裏打ちされていると言ってよかった。以前、耳にした主婦同士の会話の中に、ある種の公式用語が出て来たのは、
「私達の立場は、党の権力によって裏打ちされている」
ということで、自身の言動を確認し、
「今、この国での主役は私達だ」
という、ある種の正当性のようなものを、自身の言動に持たせたかったのかもしれない。
あるいは、しかし、どんな社会や体制にも矛盾はあるものである。その不満を、八重子にぶつけようとしていたのかもしれない。党の立場と重複していれば、怖いものなしであろう。
階段を上がり、涼子は自信の部屋
<302>
の前に着いた。扉の前で立ち止まった彼女は、鍵を取り出し、解錠した。
中に入ると、まだ、寛一は帰宅していない。勤務中なのであろう。彼女以外には誰もいない室内で、改めて、暑さの空気が自身を包むように感じられ、申し合わせたようにまたしても汗が出た。
涼子は、扇風機-戦前からのもので、長生きしている-を回し、暑さから自衛すべく、涼を取った。停電もなく、涼が取れるという意味では、彼女も又、自衛を言いながら、体制と一致しているとも言えた。
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