第一幕/出立 [邂逅/後]第2話‐2

 初老の軍人が沢渡に近づき、「どうぞ、私についてきてください」と声を掛けた。沢渡が「よっこいしょ」と立ち上がると同時に四名の軍人たちが部屋に入って来た。軍人たちはそれぞれのグループに付き添う形で配置に着く。初老の軍人はそれを確認すると、追いつきやすい様にゆっくりと扉の方へ歩き始めた。沢渡も初老の軍人の後を追いかけ、それに続き副機長を始めとしたシャトルの乗務員たちが立ち上がり、沢渡の後をついていった。次に家族連れ、マコト達、老夫婦、中年男性と若い女性のカップルと軍人に付き添われる様な形で部屋を出ていく。部屋を出て廊下に出ると、初老の軍人は辺りを確認し始めた。何もない無機質な廊下。

「皆さん、私の後にしっかりとついてきてください。何かあれば遠慮なく申しつけを。では、出発します。」

シャトルの乗員たちは、保安部員に連れられて無機質な廊下を歩き始めた。白く、無機質な廊下。貴賓室へ行く際にも通ったが、床や壁には傷一つ付いておらず埃もない。頻繁に人が通ったような後もあまり見られない事から、作られてあまり年月が経っていない・・・恐らく数か月しか経っていないものだと素人目でも分かる。

「全く・・・とんだ宇宙旅行だったな。」

欠伸をしながらユウヤがげんなりした顔で愚痴をこぼした。それを聞いたスズネは表情を曇らせ、申し訳なさそうにする。

「ごめんなさい。私が誘わなければ・・・こんな事に巻き込まれずにすんだのにね。」

「そ、そんな事ないよ。」

スズネの急な謝罪にマコトは手を振りながら否定する。ユウヤも、自分の発言が原因だと反省しつつ少しバツが悪そうにしながら、

「委員長の所為じゃないんだし。こちらは完全に被害者なんだから、ンな事気にするな。」

と、少し不器用にも慰めた。

「はっはっはっ。まぁ、これも一つの思い出ってやつじゃあないかな?」

ノブヒトは笑いながらも優しい眼差しで三人を見る。その横では付き添いの軍人が喧しそうに目を細めた。突然、マコトの全身に寒気が襲った。少し身体が落ち着かない。地球へ帰還する事が決定し、緊張から解放されたからか、尿意を催したようだ。「すみません・・・」と小さな声でマコトは恐る恐る手を挙げる。蚊の鳴くような声だったが、静けさに包まれていた廊下には響き、全員の視線を集めることになった。

「お、お手洗い、お借り出来ますかね・・・?」

「大丈夫だ。少し待っていてくれ。」

マコトの要求に先頭を歩いていた初老の軍人は笑顔で頷き、ポケットから端末を取り出して操作し始めた。

「ここから近いトイレは・・・貴賓室の100m隣か。逆方向だな。しかし、全員で戻るには時間は無いな・・・」

初老の軍人は考えを巡らせた後、若い軍人と家族連れに付き添っていた軍人を見る。

「副長とイアン、トイレに案内してやってくれ。他にトイレに行きたい人は居ないか?」

小さく溜め息を吐いた若い軍人・・・副長を鋭い視線で睨みながら、初老の軍人は他のシャトルの乗員たちにトイレに行きたいか聞いた。シャトルの乗員たちは各々‐中年男性のみぐったりとしているが‐首を振る。

「よし、では後は頼んだぞ。」

初老の軍人に向かって指名された二人の軍人は敬礼すると、マコトに近づく。

「行くぞ。」

副長はマコトに向かってぶっきらぼうに言うと、元来た道をそそくさと早歩きで歩き始めた。マコトも急いで追いかける。もう一人の軍人も再び初老の軍人に向かって敬礼をした後、二人の後をゆっくりとついていった。少しずつ離れていくマコトたちの後ろ姿を、スズネは心配そうに見つめる。

「・・・天野君、さっき貴賓室で調子悪そうだったよね。何かあったのかな?」

スズネの言葉を聞いたユウヤは少し考えた後、口を開いた。

「アイツ、結構繊細な所があるからな・・・。さっきの騒動で少し気を病んだんだろう。」

溜め息交じりに腕を頭の後ろに組み、スズネと同じくマコト達を見つめるユウヤ。その言葉とは裏腹に、その表情には言いえぬ不安が陰っていた。

そんな二人の視線に気づくこともなく、マコトは副長の後をついていき、貴賓室の前を通り過ぎようとしていた。副長は、一言も話さず黙って早歩きで歩いている。暫く身体を動かしていなかったからか、マコトは軽く息が上がっていた。それと同時に副長が放つ雰囲気に少し萎縮する。

「副長、もう少しゆっくり歩けませんか?そんなに早いとへばっちゃいますって。」

「そんな時間も余裕もない」と不機嫌そうな顔で副長は振り向く。そこには、息を少し荒くしながらも必死に自分に追いつこうとしているマコトと、その後ろをゆっくりと歩くイアンの姿があった。副長の視線にマコトが少し飛び上がる。副長は舌打ちをしながらも、マコトに合わせて歩速を緩めた。そんな副長を見て、微笑みながらイアンは肩を竦めた。貴賓室を通り過ぎ、初老の軍人が言った通り100m程歩くとトイレの入口に到着した。限界だったのか、マコトは小走りで男子トイレの中に入っていき、立便所の前に立って急ぎスラックスのチャックを降ろす。

「俺たちは入口で待っている。何かあったら言えよ。」

副長の少し苛ついた声が聞こえ、マコトは「分かりました」と小さく返事をした。用を足し始め一息入れるマコト。

「クソ、部長の奴。子守りなんか押し付けやがって。」

「ちょっと副長・・・」

溜め息混ざりの副長とそれを諫めるイアンの声が聞こえてきた。マコトは無意識に会話に耳を澄ませる。

「前副長も前副長だ。何勝手に〝地球に残る〟だ。お陰で俺はその責務を請け負う事になったんだぞ。」

「急な昇格でしたからね。」とイアンが苦笑いする。

「全ては計画を前倒しにした所為だ。あんな情報にビビりやがって、クソ。」

次々と出てくる愚痴に愚痴‐主に副長だが‐。マコトが聞いていた限り、この艦に居る人たちはアキレアとリリィが父である国家元首ラルフ・ローゼンバーグの国家買収を阻止せんと秘密裏に集められた集団で、二人を含むマコトたちを貴賓室まで案内してくれた軍人たちは保安部に所属しており、主に艦内の治安を守っているらしい。元々計画はもっと先に実行される予定だったが、とある情報で前倒し、さらに今日になって計画が国家元首側に露呈、緊急で出発したという。主に技州国の内情や計画への愚痴が殆どだったが、時折シャトルの話題が上がり、それを聞いたマコトは少し申し訳なく感じた。一つの話題に一区切りついたところで、副長は大きく溜め息を吐いた。

「しっかし・・・本当、宇宙にいるんかねぇ。」

「何がです?」

イアンが問う。

「何がって、くじらだよ。く・じ・ら。」

〝くじら〟。聞こえてきた単語にマコトは耳を疑い、二人が立っているトイレの入口の方を見た。

「そうですね・・・確かに私も少し疑っています。」

「だろ?いくら禁書に書いてあったからって、絵本の存在をそのまま鵜呑みにする事なんてあるか?アキレア様でも流石にそれは無いって。もう夢見る乙女って訳でもないだろうし。」

副長が再び大きく溜め息を吐く。

「ラルフ様の凶行を止めようとしても、もうちょっといい案があったんじゃないか?例えば、世間にこのことを公表してみるとかさ。」

「そうですね」と、笑いながらイアンは相槌を打つ。マコトはじっと驚愕から目を見開いて入口の方を見つめた。その後も続いている愚痴の内容も、マコトの耳には届かず。既に頭の中は二人が話していた〝くじら〟の事でいっぱいになっていた。

「技州国がくじらを追っている?」

小さく呟くマコト。

技州国は何故くじらを追っているのか?話の流れから察するに、国家元首の国家買収を止める為ということになっているが、くじらが買収を止めること繋がるとは到底思えない。くじらを追うだけではなく、また別な目的が存在すると考えられる。ではそれはなんだ?戸惑いと興奮が入り混じりながら、理由に思考を巡らせる。めぐる巡る思考。正直、そんなものはどうでもいい。これは興奮を抑える為に考えているだけで、自分にとって重要なのは、技州国が追っていることからくじらは実在するということの確信。それとこの艦がくじらを追っているという事実。絵本の存在であったくじら。それを一国家が追っているということは、くじらは確実に存在し、それをこの艦は追っているということだ。

「おい、まだか?」

副長の苛ついた声が聞こえてくる。マコトはハッと我に返り、「はい!」と急いでチャックを上げてトイレを出た。

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