第23話 蒼の世界で生きる、わたしたちだから——

 七歌は————わたしは泣いていた。


 だから、この張り裂けそうな全てをただの感傷だと言われようと、言葉にするしかない。後悔と後悔したくない気持ちの至らぬ果て。彼の真剣な答えに答えないといけない。この身が醜悪であり、未熟であり、君の思うような人間ではないとしても。

 それはレイナに気付かされた拭いきれない絶望だ。


「——わたしに、音楽をする………資格はるのかな?」


 曖昧できっと綴琉が知るわたしからじゃ発せられない言葉。

 呑み込めずに固まってしまっている彼は、手を伸ばそうとして……でもわたしに触れることを躊躇い、瞳を揺らせる。


 わかっている。君がわたしと一緒に音楽をしたいと言ってくれた想い、ちゃんと届いている。

 だけど………そんな君の声にわたしは………答えられない。

 レイナの姿が言葉が、小百合の意味がカレーが、脳裏を永遠に刺激する。


 痛い、とても痛いのに、ちゃんと痛いのに、どうして一粒しか涙は流れないの?


 そう思ってしまうと滂沱のように感情が逆流してくる。まるで泣きたいんだと叫んでいるように。


「……っ⁉どうして⁉」


 縋るようで願うようで、力になりたいような声音に、わたしがたった一人、少しでも信じることができた……ううん、わたしの我儘に付き添って同じ志を持った君だから、その声にわたしはもう叫ばずにはいられなかった。

 この感情を激怒しなければ済まない。自分に激しく怒らなければ。


「わたしはっ!生きるために抗う歌を創りたかったの!歌いたかった‼」

「なら………!」

「でも違う!わたしは………独り善がりで馬鹿で何も考えてなくて、レイナのことも他の誰かのことも………綴琉のことも信じてなかったっ。わたしの勝手なエゴと偏見で押し付けて、っ理解しようとしなかった……っ!わたしは、君の大っ嫌いな噓をついて偽る人間だったのっ!

 誤魔化して真剣に向き合わなくて、勝手にこんな人間だって押し付けて……挙句に八つ当たりまでして……。こんなァっ!こんな、わたしがっ!………音楽で誰かに届けるなんて………示すなんて……証明するなんて……ほんとっバカみたい………。————ほんとに死にたいよ」


 懺悔、後悔、激憤、哀惜、激情。わたしのあらゆるが零れていく。今まで積み上げてきた歴史が破壊されていく。

 潰して壊して嘆いて馬鹿みたいに自暴自棄に蹴り飛ばす。

 そうだ、後悔なんだ。後悔した過去で、でも後悔したくない過去。

 だからどうしようもないと吐露は無様でしかない。

 今ここで綴琉の眼にはどう映る?

 綴琉の心情には何が刻まれる?

 綴琉の世界で、わたしはどうなっている?

 ああ、ああ、ああ————今度こそ嘘偽りのない本心だとしても、もう遅すぎる。


「わたしは、綴琉の優しさに甘えていたの」

「わたしは、レイナの優しさに誤魔化していたの」

「わたしは、誰もちゃんと見ていなかったの」

「————私は………誰も、信用してなかったんだ。……わたしも逃げてたんだよ……」


 全てそうだ。自分の過ちだ。過失だ。喪失の元凶だ。

 そして、自分可愛さに異端者のレッテルに周囲との関係に甘んじていた誰よりもお子様で、誰よりも醜く愚かな人間だ。


 何もわかっていない。現実も夢も過去も。

 知ってるはずなのに…………母が子供のわたしと妹を命からがらに守ってくれたことを。

 理解しているはずなのに…………瞬兄が一回も関わりを持つなと言わなかったことを。

 胸にあるはずなのに…………小百合が何でもないわたしを実の娘として扱って育ててくれていることを。


 みんな違う。みんな学校に通い社会で生きている。どんな過去や偏見を持てでも、誰かのためや思考の放棄をしない未来を見た人間だったことを。

 それなに、わたしはどうしてこんな畜生なんだ。屑でごみで馬鹿なんだ。

 本当に死に抗っていい人間なの?本当に嫌いだ。

 自分で傷つけた右肩の痛みの痕も、何かに染まるのが嫌で染めた桃色の髪も、自由に生きたくて学校にも通わない日常も、生きたくて足掻いた痕跡なのに……。

 本当の自分を知ればこうも容易く死にたくなる。消えていなくなりたい。誰からの記憶からも消えて、彼女を彼を誰かを傷つけた過去を失くしてしまいたい。

 ……出来るはずがないのに。


 夜は浅いのに深海よりも山奥よりもずっと深い闇に閉ざしてくる。

 煌びやかな蒼は呑み込まれ、覗きかけた月光は再び雲に隠されてしまう。

 星の輝きはその手を伸ばさず、風のそよぎは責めるように冷たく感じた。

 雑音の消え去った世界は、目の前の彼に向き合えと言っているよう。

 砂利の足場は沼のようにわたしを捉えて動かさない。

 流れてくる葉はそれこそナイフの刃のように空気を切り裂く。

 後ろにあるギターも氷のように固まり音色は見せない。

 街灯がこの公園だけを隔離するように怪しく光った。


 全てが、世界がわたしに向き合えと、逃げるなと、裁きを受けろと雁字搦めに拘束する。己の悪にも勝らずとも劣らぬ自我偏見を浄化せよと脅してくる。殺しにくる。一生に逃げられないように殺しに来る。精神だけを。だから怖い。無理だ。凄く痛い。

 でも…………でも………でも、裁かれないと、わたしが大っ嫌いなその他のわたしになるのはもっと嫌だ。

 こんな時でも我儘で抗うのだ。やっぱり人間だ。

 それでも、そんなわたしだけど、君だけには向き合わないと。

 だって…………こんなわたしと、一緒に音楽をしたいって、言ってくれた人なんだから。


 恐る恐る顔を上げて、少しつり目で瑠璃色に似た瞳を見上げて——


「やっとだ」


 彼は————綴琉は笑った。薄くでも確かに微笑んだ。わたしと眼を合わせて笑顔を見せてくれた。

 どうして?その不気味で意味のわからなさに声にならない問に、君は答えてくれる。


「知ってる。人間はみんな醜くて汚くて馬鹿で畜生なんだって。だから、信用していない七歌を、逃げている七歌を怒ったりはしない」


 ………なんで?嘘のないとわかる真剣な表情で宣言する彼にわたしは問う。


「だって、みんな間違えて妬んでバカして、それでも生きてるだろ。俺は自分もその中の一人だと疑わない。でも、それでもちゃんと足掻いて生きてるんだって誇りたい。ちゃんと生きたんだって抗いを示したい。俺に何もなくても、それでも生きた証だけは残したい。君はどうだ?」

「——っ⁉」

「俺と七歌は何も変わらない。そこだけは変わらない。だから俺は怒らない。……だって、俺も君にまだ話してないことは沢山ある。俺も、一度逃げた一人だし」

「でも⁉」


 人間は限りなくあまりなく馬鹿で愚かで醜く汚い畜生だ。そこにわたしは該当すると思う。

 だから、彼の抗いは意味のないようで、誰よりも尊くなれる小さな光なんだ。誰かに届けられる本質なんだ。

 綴琉はわたしも変わらないといってくれた、だから怒らない、と、自分も話してないことは沢山あると、自分も逃げていたことを知っているだろ、と。

 それでも納得できるはずがない。レイナを傷つけたことを後悔しないことは出来ない。彼が怒らなくても、受け入れられるはずがない。わたしは裁かれないとダメなんだ。


「怒ってよ⁉」

「できない」

「なんでよ⁉」

「俺も七歌と変わらないから」

「そんなんで、わたしが納得なんてできるはずないよ⁉わたしは、綴琉のことも、信用してなかったんだよ!なのに、どうしてっ……同じなんて甘やかすの⁉」


 わたしの不満や葛藤に彼は空を仰いだ。何故か泣きそうになるわたし。身勝手に怒っているわたし。なのに、君は見放さないのが、物凄く罪悪感と居たたまれなさに苛まれる。

 空を仰ぐ彼の瞳の彩は、どうしてそんなに穏やかなの?


「七歌とレイナの間に何があったのかは知らない。でも、思うところはあるんじゃないのか?」

「それは………」

「別に俺は責めたいわけでも、甘やかしてるわけでもない。何度でも言うけど、俺は君と音楽がしたいだけだ」

「……っ⁉だから、その音楽をする資格がっ!……わたしは取返しのつかないくらいに、レイナを傷つけたの⁉だから——そんなわたしがみんなと何も変わらないわたしが————」


 その先などわからず、言葉など脆く、所詮、栓無きこと。綴琉は苦渋するわたしに音楽のためだけに、手を伸ばすのだ。掴めば解れていきそうな弱々しく透明な手を。


「わかってるなら、その想い全部を言葉にしたらいい。一方的に拒絶して歩み寄らなかったことを嘆いているなら、理解しようと、理解されようと話したらいい。自分を許す為にであっても、話し合えばいい。………それで亀裂が生んでも、きっと納得はできる。納得は、できる。……俺とレイナ、七歌とレイナの関係は違うだろ」


 本当にそれでいいのかな?本当に、この想い全てを晒すだけで、何かが変わるの?怒って去っていったレイナにもう一度話しかけていいの?わたしは、この恣意を託していいの?わたしは、レイナを理解したいと……思っているの?


 綴琉とレイナの関係性は知らない。それでも、綴琉がもう一度話してみてというのだ。

 綴琉とレイナの果てに何かがあったとしても、チャンスを与えてくれるのだ。たった一度っきりの勇気を。

 それでも直ぐに納得するなんて出来ない。だって、レイナに言われたから気付けたこの間違えを、綴琉の木霊で歩むなんて他人本位すぎる。自分の意思すらちゃんと理解できていないのに。こんなの、こんなの……


「だったら七歌はどうしたい?」


 それは、確かな問いだった。今この場で一番示すべき、己の蒼の問いだった。


「わたしが………どう?」

「そうだ。俺の言葉でも動くことが出来ないなら、後は自分の意志次第だ。それこそ、君が求める抗いじゃないか」

「——⁉」

「音楽をやる資格がないなんて言うなよ。俺に嘘をついてたって、いつか話してくれたらそれでいい。いつか信じてくれるように、俺が頑張るし、それに証明したいことがあるだろ。…………今はそれでもいい。でも、君は蒼の世界で生きる人だ。何も変わらないし、全部違うし、でも人間なんだよ。…………俺たちの物語は始まったばかりじゃないか」


 そうだ、俺たちの物語はまだ始まってすらいない。ただのプロローグ。序章だ。

 俺は決めた。七歌と一緒に生きると。

 だから、俺は迷い葛藤し、自分を嫌悪して自身が持てない彷徨う羊に手を伸ばすだけだ。彼女の抱いた想いなんて全部はわからない。何にそんなに躓いているのかも本質的な所はわからない。怖いだけなのか、過去のあれやこれやがトラウマとして無意識に憚れているのか。ただ勇気がないだけか。

 それは七歌自身が乗り来れること。俺がでしゃばった所で同情にしか成り得ない。

 何にも出来ない俺も七歌と一緒の死にたがりの迷える羊だ。後悔を嘆き、後悔じゃないと意地を張り、それでも燻る彼女にはきっとこれしかない。俺はただ存在を示すだけ。

 いつかの夜と同じ、月夜の蒼にまだまだ夜明けは来ない。それでも、きっと彼女には桜が似合うはずだ。

 互いに救い救った普遍的で特殊な矛盾の君に言葉を、大切な言葉を伝えた。


「——だから、どこまでも抗おう」

「————っっ⁉」

「どこまでもどこまでも。否定されも自信がなくても、拒絶されても独りになっても抗おう。俺たちは抗って生きていくしかできない人種なんだから」


 そうだ。俺たちは抗い続ける省かれ者だ。理解されるためじゃない。認められるためじゃない。生きるために己を貫くために抗うのだ。抗って足掻いて藻掻いて掴み取る。その先に証明する。俺たちの存在を、命の示しを。


「夜明けより蒼の世界で生きる俺たちは、きっと抗い続ける愚な人なんだ」


 風がそよいだ。前髪で隠れた大きな瞳を露わにする。白いスカートを揺らし空気さえも包んで認める。月光が顔を覗かせ俺と七歌に夜の柱を捧げる。麗美の道はステージで歌うスポットライト。そして夜空が輝き始めた。

 息を呑んで声を震わせる少女は、何度も俺に確かめるように問う。


「……いいの?こんなわたしでも抗い続けて……?」

「だから抗うんだ」

「わたしは、やり直せるのかな?」

「七歌次第だな」

「本当に……こんなわたしと……その、一緒に音楽を、やってくれるの……?」

「ああ。一緒にやろう。きっと迷惑かけるけど」

「っ⁉っ……わたしは音楽をやって……いいの?」

「……。それはルナが決めることだ。けど、一緒に音楽をしてくれるなら、どんなに間違えても、から廻っても、苦しんでも痛くても、歌おう。奏で続けよう。俺とルナで証明しよう。俺たちの音楽で示してみせよう!」


 ああ、その一音。

 ああ、その声音。

 ああ。言葉の音色。

 ああ、心の支え。

 ああ、生きる抗い。

 言の葉に乗せた無数で無限な流れる星の輝きで、わたしに捧げてくれる。わたしみたいな自分勝手で後悔して後悔していない、屑なんかに君は笑う。笑うんだ。微笑みで迎えるんだ。

 今までの綴琉との世界がわたしを強張れせて、けれど灯を盛らせる。

 群像でもない。雄姿でもない。英雄でもない。

 彼はただ一つ、わたしの手を掴んだだけなんだ。

 だから、涙が、これ以上ない雫たちが目じりに溜まり出す。

 雪解けた感情と真意と一緒に流れていく。


「っ!っぁ……ぅぅっ、んん!わたし、絶対に迷惑とかかけると思う。悩んだり、泣いたり、ぜったに困らせると思う。……綴琉に言えないことも……あるかもしれない。それでも……それでも、わたしと音楽をしたいの…………わたしでいいの?」


 最後のわたしの縋りに、綴琉はわたしの頬にかかる涙に濡れた髪を掬い上げて、優しく目じりを下げた。


「————。俺はどんなことがあっても、君と音楽をしたい」


 もう迷いはない。俺の言葉は嘘じゃない。どんな君であっても、俺は君と一緒に音楽をする。

 俺の心を突き動かしてくれたのは七歌なんだ。

 俺を救ってくれたのも七歌。

 これは恩義で、だけど立派な我儘と恣意的な巻き込みだ。君が巻き込んだと思うなら、俺も君を巻き込む。

 俺たちは囚われることが嫌いな社会への反逆者。なら、思うままに生きるしかないだろう。



 彼の言葉が傍にいてくれる思いが、わたしを刺激する。

 何よりも熱く、どこよりも深く、どんなものよりも美しく醜く尊く恣意的に熱く深く高鳴らせる。

 昂る胸、荒れる鼓動、逸る血液、巡る意識。

 綴琉もまたわたしを巻き込んでくれる。わたしにエゴを押し付ける。偽りのない猜疑心もわかない欺瞞でもない真実一片な丈。

 こんなこと言われたら、もう駄目だよ……。

 君の手を取らないなんて、わたしは、出来ないよ。

 そう思えば決断は早かった。数多な過去は既に終わりを迎え、今ここでわたしは踏み出す。支えは彼、生きる抗いを歌に、始まりの旅立ちを今宵の蒼に。

 きっと、涙が流れた。後悔と後悔の狭間で彼女を思い浮かべながら。


「綴琉。……わたしと——わたしたちの音楽で一緒に示そう‼」


 夜明けより蒼が満ちた。世界が輝いた。

 雲に隠れていた月が顔を出し溢れんばかりの月光を与えてくれる。夜なのに蒼の世界は俺たちを導いて祝福してくれているよう。

 どんな世界よりもきっと、今は俺とわたしは見惚れて見染めて、笑みを自然と浮かべる。

 二人だけの世界。二人だけの約束。二人だけの誓い。

 風の舞いも蒼の残光も月の満ち欠けも、きっと終わることはない。

 眩しい夕暮れは俺たちの生きる夜へ繋いでくれる。

 欺瞞な社会はわたしたちを歯向かわせてくれる。

 雨の降らない夜は、涙を正しく星のように流れさせた。

 そんな世界で、わたしたちの始まりだから、綴琉はベンチに座ってわたしのギターを取り出す。


「歌おうルナ。ここでもう一度歌おう」


 指で弦を上から下へとスライドさせる。六つの音色が綺麗に螺旋に響く。

 そんな俺にルナは頷いた。


「うん!歌うよ!だから、わたしを支えてね!とびっきりの歌を届けるからっ!」

「——わかった。じゃあ、いくよ」


 そして夜の公園でこの世界で一つだけの演奏が開演する。

 それは夏に出逢って秋に擦れ違い、冬に別れ、再び春に巡り合わせる花びらのような歌。

 ここで、もう一度ルナと始めるために作った春薙ぎの歌だ。

 優しい夜空のような声音が蒼の世界に響き渡る。単純でドへたくそなコードメロディーなのに、ルナが歌うだけで、それは立派な音楽に変化する。

 夏の夜風が身体を包み、緑の草木が桜を幻想させる。

 舞い流れる桜の花びらに囲まれ、淡く銀音な月光が見続ける。

 夜明けより蒼、月の光、桜の舞い、夏のそよ風、星の瞬き。

 この日、この時、この場所でルナは歌を歌った。

 ヨル

 誰かがこちらを見ている。ストリートからの帰りだろうか。楽器を背負った女の子二人が俺たちの演奏に耳を傾けてくれている。

 草むらから現れた猫がベンチの横で座って心地良さそうに目を瞑る。サビと一緒に舞い上がる桜の花びら。それは幻想的で神秘的で疑いない美しさ。

 ルナの声音が音色が歌が言の葉が全てが、今、この世界を彩った。

 数多の色彩と心の幾千を魅せてくれる。

 そして、彼女は最後の彼女自身が付け足した新しい詞を、ゆっくりと安らかに絶えぬように温もりを残して誰かに伝わるように、そっと呟いた。


「春はきっと、呟くから」


 余韻が残る世界はもとに戻り、ギターの旋律もわたしの歌の響きも静寂に帰した。心の底から歌いきれた感情に、わたしは彼に眼を移して、笑うんだ。

 まるで、誰かの一年を描いた音楽。だから、わたしももっともっと歌って歌って伝えよう。示そう。

 レイナにもこの気持ちを届けよう。


「歌えた」

「うん、よかった」

「わたし頑張るよ。頑張って足掻いて生きるしるしを音楽にするよ」

「それでいい。俺もルナが描く音楽に言葉を贈る。残せる言葉を書く。そして、最高の曲にする」

「うん!歌おうね!……きっと、死にたくなるけど」

「わかってる。俺も消えたくなるから。でも、それでも歌ってよう」

「約束はしないけど、約束ね」

「ああ。……生きよう」


 遠くから聞こえてくる二人の喝采に手を振って、俺たちは微笑んだ。誰でもない届いた彼女たちに。

 まだ夜明けは来ない。まだまだ夜は続く。

 月は雲に隠れ、風は無常に靡くだけ。猫はベンチの下へと隠れ、女の子二人は少し未練を残して去っていく。

 そんな日常。それでも、明日は来てしまう。夜明けは来る。

 それでも、俺たちは夜明けより蒼に生きる異端者。社会に省かれ、美辞麗句を嫌う存在意義の定義者。己の意義を意味を形作るために生きている。

 誰かに負けたくないから。俺たちが特別なんかじゃない。この世界にはきっと死にたくて消えたくてどうしようもない人たちが生きている。

 だから、俺とルナは足掻き続ける。抗う世界を歌を通して彩を見つけて示してみせる。

 この歌が、これからの歌が誰かの何かになってくれるなら、きっと願ったり叶ったりだ。

 だから、まずは証明するんだ。ここに生きているんだって。

 ふと、ルナは思い出しように俺を見上げた。少しは吹っ切れた彼女はまた音楽をするだろう。


「そうそう。綴琉も音楽活動するならネームが必要だね」

「あー……正直何でもいいかな?」

「えー!無欲だね。かっこいいコードネームみたいなの憧れないの?」

「別に。てか、七歌は憧れてたのか?」

「まーね。それよりも、何でもいいなら、わたしが決めてもいい?」


 わくわくしている普通の女の子。苦しくても笑える生き様を知る女の子。俺は頷いた。


「そうだね…………う~ん。夜乃綴琉だから……ヨルか、ルリ?う~ん……決めた!」


 腕を後ろで組んで軽やかなステップを踏んで、楽しそうに俺の新しい名を微笑みで声にした。


「君は今日からヨル。わたしの傍にいる、輝かせてくれるヨル!」


 月が輝く夜の時。その意味に俺は嬉しくて、俯かせて表情を隠しふふっと声を漏らした。


「……安直だな」

「いいでしょ。それとも気に入らない?」

「んん。凄くいい。ありがとう」


 やっぱり、彼女は笑うのだ。満開の桜のように美しく、笑った。


 きっと、これから新た人生が始まる。

 俺とルナの音楽を届けるきっと想像もしない物語が始まる。

 けれど、君の傍に居続ける。そして誰かに届く生きるための抗いを歌にしよう。

 そう、何度でも、何度でも、間違えても俺たちは歌を創って歌い続ける。


 夜明けより蒼の世界で生きる全ての人に。

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