第12話 夕暮れの下、生きると決めて、俺は君と始まりをする。

 だから————見えた君は桜のような音楽家だった。


 儚く散って逝く純白な桜を纏う季節外れの演奏家。揺れた桃色のさらりとした髪は風に揺られ、ギターを奏でる彼女の口元は綻んでいる。瞳を閉じた流れる音色に歌声は繊細。一音一音を大切にした淡い音。


 夏の冒険が楽し気に揺れ、秋の訪れが溝を生み、冬の夜空に願いと意志を重ね、春のサヨナラにまた始まる。

 ニューエイジな音楽は先ほどの俺の歌詞に合わせて夏なのに春の訪れを感じさせる。悠然な弾き語りは俺の心を掴んで、永遠に離すことはない。


 歌い終えた彼女は瞼を開けた。俺の瞳と出会って、目じりを緩く下げる。


「どうだった?」

「……最高だった」

「でしょ。この歌は綴琉の歌詞じゃないと表せないの。わたしだけじゃダメなんだよ」

「……逆だろ。ルナの音楽じゃないと、俺の歌詞が生きないんだ」

「やっぱり、わたしたちは以心伝心だね!」


 そう笑う君に胸が熱くなる。言いたかった言葉も想いも全てが白日、いや白紙になってしまいそう。だから、白日にしよう。


「走ってきたの?汗が凄いや」

「……伝えに来た。どうするのか」


 意を込めた俺の吐露に、ハンカチを取り出そうとしていたルナはギターをベンチに置いて立ち上がる。

 今ここにすべてはフェアだ。視線を合わせて俺の言葉、本心を待ってくれている。伝えよう。


 ——夜明けより蒼い世界で共に生きると。


「俺は逃げてたんだ。ルナの本気からも、人生からも、誰かからも逃げてた」

「……」

「またあの日みたいになるのが怖くて、沢山の辛い苦しみや敗北感を味わうのが嫌で、俺の中を殺されるかもしれないって思って……でも、それ以上に何者になれない自分が嫌いで、無力な自分が大っ嫌いでっ…………君を置いて遠ざかった。……俺だけが傷つきたくなくて……もう、現実を知りたくなくて」

「…………」

「……でも、ルナの歌が好きだ。ルナが必死になっている姿が好きなんだ。……俺も君みたいに抗いたい。……俺はやっぱり、ルナと音楽をしたい」

「……⁉」

「同じ境遇の人たちに夜明けが来る前の世界を与えたい。蒼い世界で生きる意志を叫んでやりたいっ!だからっ!……もう一度、君の歌に物語を紡いでもいいかな?」


 情けない。最後まで情けなくてちっぽけで弱い。だけど、これが俺で、こうでしか伝えられないバカなんだ。

 もっと色々あるさ。でも、これしか言えないんだ。笑っちゃう。


 けれど、静けさの夕暮れ、二人だけの公園は昨日よりも灯るい。

 錆び暮れた遊具、俺たちのように抗って生きている。

 駆け向ける風、きっとあの日と同じで温かい。

 苦しかった日々に戻ろう。哀しい現実に足掻こう。辛い未来に叫ぼう。


 雫が零れた。たった一滴、夕暮れに輝いた世界のような一涙。一凛の花零れのよう。

 綺麗な相貌と大きな瞳は満開の桜のように笑顔を送ってくれた。


「うん……うんっ!わたしと一緒に音楽をやろう!」


 この日、この時、この場所で、俺はルナと生きると誓う。

 音楽は色彩の数多と心の幾千。知らない世界を見せてくれる感情の新世界。思い描いたメロディーと伝えたい言葉や物語、それを最大限に拡大して気持ちに乗せる歌声。


 音楽は完璧に誰かへと届けることの出来るハートレターだ。それが好きで、そこに求めて、そこで俺も伝えたい。示したい。

 あの日君が助けてくれて、一緒に曲を作ったあの日の再来を始めよう。


 夕暮れ時の夏の暑さ。生活音の小鳥の囀り。深緑の草木と彩とりどりの花々の花壇。錆びれた遊具に砂だらけの給水場。蝉や草木、鳥たちの存在証明。


「これから大変なこと、傷つくこと、苦しいことがあると思う。わたしたちの音楽をするなら絶対に避けては通れない。

 ……でも、きっと輝ける!きっと伝えられる!わたしと綴琉なら夜明けすら星々で埋まる天空にして見せられるよ!

 だから——夜明けより蒼の世界で生きる者たちに、わたしたちが示して見せよう‼」


 切なくない。儚くない。淡い淡い新世界のような淡く小さく、けれど確かな存在に、いや存在同士に、ルナは星々に負けない微笑みで、俺も覚悟を決めた笑みで手を握った。ルナの手は小さいのに誰よりも温かかった。


「それで、この曲名は何にするの?」


 そう訊いてくるルナに俺ははっきりと答えた。


「『春のアフェクション』。……どうかな?」


 夏に始まった大冒険からすれ違って間違えて拒絶して、だけれどもう一度さようならから始める春の色めき。ルナは嬉しそうに満足気に表情を崩した。


「いいね!よし、綴琉一緒に歌おう!」

「俺、歌はそんなに——⁉」

「じゃあ、いくよ!」

「ちょっと⁉ルナっ」


 俺の声など無視してギターが奏でだす。ゆっとりとしたメロディーからアップダウンが重なりルナの歌声が響いた。


「青空の下、知らないまま 僕は君に辿りついた」


 頭サビから一気に上昇するメロディー。ポップスな走りが空想のドラムやベースを想像させる。そして俺とルナは小さな公園で歌った。軽やかにホップに笑顔で。



「あの日の君に出逢えた不思議に僕は何も知らないな。

 例えこの声も体格も瞳も誰もが知る由はないけれど

 水面を蹴って、走った砂埃、きっとまだ歌にならない

 それでも青い空は僕と君の描いていた物語の序章になるよ

 これは一つの真夏の大冒険

 さざめく波にのって泳ぐ星の海

 これは君だけに伝えたい宝物

 だから決して離さないで受け入れてね」


 誰かがこちらを見ている。ギターバックを背負た女子高生らしき二人が俺たちの拙い演奏を聴いている。

 この小さく無常な公園の端っこで、ギター一つに歌い手二人だけの乾燥な演奏。それでも誰かが聴いてくれていると分かった瞬間、潤い届ける歌へと進化する。

 ただの大冒険の歌。それでも、何かを感じ取ってほしい。立ち止まって聴いてくれる彼女たちに響いて欲しい。俺とルナは同じ考えをもって音色を奏でた。


「あの日からの私はわからない君を知りたくて

 夏が終わる世界にただ一つだけの君を間違えてしまった

 始まる現実にひしめく文化祭に君はいない

 どこか遠くへいったらしいと歌った

 楽しかった、忘れたくない、それなのに君は言った

 『もう誰も嫌いだから』と

 これは一つの秋風のすれ違い

 高鳴る胸に乗って逃げていくのでしょ

 だから知らないや君なんて消えてしまえ

 でもきっと後悔して呟く大っ嫌いだ」


 間奏の音調や音流が忙しなく夏に彩り、冒険の終わりが歌になる。


「泣いていた冬だった。忘れたい秋だった。ブリキに流れた雪の硝子

 解れたボタン一つ、破れた心一つ、死にたくなって舞い戻ってしまった

 雪だなんて降らないで


 これは訪れたさようならの標

 吹雪く紙に乗り込んで届かせた軌跡終章

 振り返れば桜が誇って呼んでいる

 それなのになぜ君がそこで寝ているんだよ

 私はそっと持たれかかった


 青空の下知らないまま 私は君に辿りついた」



 そして最後は儚く、それでも優しいように余韻を残して幕を降ろした。


 やり切った感覚が鼓動に限り。拍手のない公園で二人の息遣いだけが雲のように流れていた。そして、二人分の拍手が公園の入り口辺りから届けられる。名一杯の笑顔の少女二人は俺とルナの視線を受けて、恥ずかしくなったのか拍手を止めてペコリとお辞儀をした。砕けたお辞儀と律義なお辞儀。

 そんな二人にルナは「ありがとう」と大きくてを振り、二人はまた嬉しそうに手を振って去っていく。


「楽しかったね」

「そうだな。……届いたのかな?」

「さーね。この曲はあの曲みたいな感じじゃないからどうだろう?でも、笑顔は綺麗だったよ」

「……嬉しいものだな」

「でしょ!やっぱり綴琉だからだよ」


 ギターをケースに仕舞ったルナは俺を見上げる。女性の平均よりは低いルナの目線は丁度鎖骨に来る当たり。

 夕暮れはもう終わりを告げるだろうか。いや、夏が来る。だから、マジックアワーはいつもよりも赤く青い。ずっと彼方の地平線まで侵食した。夏の到来、青春の謳歌、夜の訪れ。


 もう時期、夏が来る。抗い続ける夏が。死にたくても消えたくても無になりたくても、二人ならきっと超えられる。


「じゃあ、わたしたちを理解してくれて、一緒に演奏してくれる人を探そう」

「てことは、レイナのバンドは辞めるんだな?」

「うん。だから、わたしたちのバンドを作らないとだよ。別に動画配信とかでもいいけど、やっぱり最高の演奏は最高の共鳴者からなるものだからね!」


 満ちることのない世界で、終わりを告げた春を背中に大冒険の夏へと歩き始めた。夜明けより蒼の世界で生きる者たちに届けるために。

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