第6話 音楽とは色彩の数多と心の幾千

 音楽というのは色彩の数多と心の幾千だと思っている。


 一音一音が世界を作り上げる大地だとするのなら、メロディーは大空。

 そして、言葉や表現がその世界に存在する描かれた心。

 そして音色が心なんかに彩を与える不可思議の結晶。


 俺にとって音楽は、歌は誰も知らないその人だけの世界。その人たちだけがみることを許された世界。もしくは、共有できる世界なんだと思う。


 ギターやベース、ドラムやピアノ。刻み込み流れ出す音の彩はその人を示し、言葉は心の内を曝け出すメモリー。哀しい歌。苦しい歌。楽しい歌。ドキドキする歌。心地よい歌。元気な歌。愛おしい歌。数多の世界。数多の音。数多の言葉。即ち幾千の色彩。


 俺にとって音楽はモノクロの世界を偽りなく色めかせてくれる一種の救いで、数多の人の心を知れる小説のような壮大な物語。


 偉大な音楽家バッハは言った。——音楽だけが世界語であり、翻訳される必要がない。そこにおいては魂が魂に話しかけるもの。


 音楽だけは俺を否定しない。音楽だけは共感を許してくれる。その世界だけが俺の魂を繋げてくれる。歌詞もメロディーも音程も音色も全て、与えて見せてくれる世界。


 だから、音楽は色彩の数多で心の幾千なんだ。


 嘘を嫌い偽りを厭きモノクロになった日。そして音楽に出逢った日。俺はまだ生きていけるんだと、抗う術を教えてくれた。機械が歌うメロディーも、人が歌うメロディーも等しく世界がある。ボーカロイドだろうが関係ない。人じゃないから心がないわけじゃない。ボーカロイドたちが歌う曲にも世界はある。それを表現してくれているのは、限りなく彼らだ。


 俺は音楽が好き。歌が好き。だから、レイナもきっとそうなのだろう。いや、そうであって欲しいし、そうでなくても構わない。

 目の前でチーズケーキを頬張る美味しそうな表情の彼女が、どうして音楽をしているのかは知らない。嘘を言わない、偽らない。けれど誰にだって他人には言いたくない秘密はある。だから、食べ終わった彼女の行く先について行くだけ。出会って知ったレイナの生き方。


「じゃあ、食べ終わったし行こっか」

「そうだな」


 二人でカフェを後にして駅中心街から離れたストリートの道を進む。アーティファクト的な面持ちのある街路は、平日でありながら色々な人が行きかう。大道芸をするピエロや歌を歌っているストリートミュージシャン。マジシャンに画家。日常茶飯事の創造のストリート。外国風情のある異国の賛歌が流れていそう。

 どうにも俺には場違いな異国をレイナは萎縮することなく歩いていく。そして、殊更馴染んで見えるのだから凄いものだ。何度か来たことがあれども、やっぱり俺にとっては夢の国にでも迷い込んだみたい。いや、異国の国か不思議な国か。全てが当てはまってなお、答えはない通り。

 そして、あの人と始めたものもここだった。


「そんなにおどおどしないでよ。もう何度もここに来ているでしょ?」

「おどおどしてない」

「何でもいいけど……でも、観客がいなくちゃ成り立たないもの。貴方は私の観客。いいわね?」


 頷く俺に満足気にする。そうしているうちに目的の建物が見えてきてた。少し古臭いレジックな建物は案外に大きく、中に小さなスタジオがあるほど。何も迷うことなくレイナは扉を開けて入室した。俺もそれに続いて中に入る。

 するとそこにはやはりと言うべきか、小さくも立派なステージがあり、そのステージの周りにはお客さんが一杯集まっている。


「音楽か……」


 まだライブすら始まっていないのに、賑わう会場。それこそ色彩を求める感情者たち。もしくは熱狂者たち。彼らも音楽を求めているのだ。今宵、たった一チームだけの単独ライブを欲しているのだ。


 その音色と歌と言葉と世界に。


 熱気に憂いの感動する俺を見るレイナの眼は優しく、そしてみとめた観客にぶるりと震えあがった。それは恐怖などではない。創造者、演奏者なる感じるあの胸の高鳴り。高揚する鼓動の激震。レイナはにやりと笑った。その美人には似つかわしく、けれどどこまでの様になっている野生の顔。それを見るだけで俺は体内から激流する血液の昂りが押さえつけられない。そんな二人の下に一人の女の子が小走りにやって来た。


「お~い!レイナおはよ~!」


 少し小柄な体型で髪を桃色に染めた髪をツインテールに結んだ大きな瞳の少女はレイナに笑いかけた。


「ルナ。二日ぶりだね」


 ルナと呼ばれた少女は腰に手を当てる。ボーイッシュな服装は彼女を尋常なまでに表現しており、無垢な笑顔はそれも相まって少年のようにも感じられる。髪の毛や声が中世的であれば間違えていたもしれない。


「今日もよろしくね~!あっ⁉綴琉も来たんだ!」


 ひらひらとレイナに手を振ったと思えば、俺を見つけたルナは破顔して目の前に友達をみつけた犬のように、ぱっと目を開いて近づいてきた。いつものことながら表情表現の激しいルナに慣れることはない。


「……うん。ルナも久しぶり。今日は最後まで聴いて行くよ」

「……そ、やっり~!じゃあ、じゃあ!終わったらどっか食事にいこうね!」

「俺も?」

「うんっ!ヒロさんも綴琉なら嬉しいと思う。クレナはわからないけど」

「ルナ。その話はあとでいいんじゃない?私は先に楽屋に言ってるわよ」

「はいは~い」

「頑張ってな」

「ええ。そこで見ておくのね!」


 えらくイケメンな決め顔で挨拶をしながら楽屋(舞台裏)へ向かったレイナを見送って、会場を見れど前のほうは既に満席で今日も後ろから見るしかないなと思っていると、胸上らへんに目線がくる身長で俺を見上げるルナと目が合う。

 濁りない輝きはいつも綺麗だ。そして、俺が知っている本当のルナとして、その姿を顕在させる。


「久びりだね。……本当に」

「そう、だな。……ルナは、辛い?」

「辛いよ。綴琉も一緒でしょ」


 ボーイッシュなルナはどこへやら。そこにいるのは儚い少女。彼女は言葉を募る。


「……綴琉も求めているの」

「ルナと一緒」

「どうして逃げないの」

「逃げてる。だから、ルナもレイナも、みんな眩しい」

「……音楽は好き」

「好き。彩を与えてくれるから」

「……寂しい」

「……怖い」


 いつもと同じ会話。ルナが歌う前に必ずする俺との認識会話。初めて会った日に彼女に尋ねられた。そして、俺はどうしてか素直に答えてしまった。その日から毎度同じ質問をされて同じ返事で返す。ルナとの認識。

 彼女はやはり笑う。悲し気に優し気に月光のように。


「私も一緒」

「違うだろ」

「違わないよ。ここにしか居場所がないもの。音楽だけしか私たちは生きていけない。だから好き。だから怖くて怖くて、それでも誰かにこの想いを伝えるために抗って求めているの。……綴琉と一緒。私のほうがずっと末期だけどね」


 あははと笑う乾いた笑みは似合わなかった。いつもいつもその笑みだけは彼女に似合うことはない。


 酷く廃れて寂れてモノクロの灰のよう。確かに一緒なのかもしれない。

 求めている所も、逃げている所も、怖いと感じている所も、そして音楽だけが好きな所も。

 俺とルナは違うくて正しく同じ。矛盾の上に俺たちの関係は成り立っている。

 だから、俺は彼女だけに求める。


「——じゃあ、今日もあの曲を歌ってくれ」


 俺とルナだけの曲。初めて出会った日からまだ一年も経っていない。だけど、二人だけの誰も知らない抗いの曲で、叫びの曲。ルナはその言葉を聞いて静かに微笑んだ。


「うん……歌うよ。何度でも、どこででも」


 そう言い残して去っていく。その背中が消えるまで見つめ続けた俺は、真ん中の一番後ろの壁に凭れ掛かってその時まで静かに待ちことにした。

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