第拾四話 孤独な凡夫

 結局、一馬はその金を受け取ってしまった。

 曽根山通りの外れまできたところで、一馬は袖の袂からそれを取りだして見つめる。

 包み金の切り餅ひとつは二十五両だ。仙石屋に迫られた返金額は五十両。やっと半額だ。


 いや、それよりも重要なことがある。

 この金子をお浜に託していたということは、己がいつかは敗れて死ぬことがあると覚悟していた証しではないのか?


 お浜の口ぶりでは、

「刺影の仕事はいますぐにでもやめたいが、そうもいかぬ」

 との愚痴めいたことも暗に語っていたという。

 父は息子には決して見せない素顔をお浜には見せていた。いや、だれにも吐露できぬ心情を寝物語に語っていたのだろう。


 刹那、一馬の胸郭にいい知れぬ怒りが沸きあがってきた。


「なにが……なにがッ!!」


 思わず口に出していた。言葉にせずにはいられなかった。


「空心流だッ、空なる心だッッ!!!」


 それは呪詛のような響きを伴って口から吐き出された。


「煩悩まみれじゃないかッ!!」


 その場に膝をついた。憤怒に濡れた瞳で夜空を見あげた。今宵は星月夜だ。天空を彩る満天の星々が鮮やかに輝いている。

 父・徹山は孤高の剣客などではなかった。孤独に負け、女の柔肌に甘える凡夫に過ぎなかったのだ。


「なにを哭いておる。見苦しいぞ」


 突然、声が夜暗から響いてきた。

 はじかれたように振り向く。

 木陰の闇溜まりから浪人態の男がのそりと現れた。

 星明かりに照らされたその顔には、刀傷と思われる筋が縦にはしり右目を塞いでいる。

 男は隻眼であった。

 残った左目が異様な輝きを放っている。


「親父がみじめに死んで哭いておるのか?」


 嘲笑うような口調でいう。


「貴様、何者だッ!?」


 思わず刀の柄に手をかけ一馬が怒鳴った。

 隻眼の浪人が口辺に笑みを浮かべたままいった。


裏柳生公儀始末人うらやぎゅうこうぎしまつにん日下乱蔵くさからんぞう




   第拾五話につづく

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