第25話ビリー・ホリデイ

Billie Holiday(1915.4.7~1959.7.17)。ジャズ史上最高の女性歌手と讃えられ、神格化されているビリー・ホリデイの生涯はしかし、貧困と麻薬、黒人であるがゆえに受ける差別との絶え間なき戦いでもあった。


ビリー・ホリデイ。エレオノーラ・フェイガンという質素な本名を持つ彼女は、やがて「レディ・デイ」という甘美でありながらもどこか切ない響きをたたえた愛称で世界に知られるようになる。


サラ・ヴォーン、エラ・フィッツジェラルドと並び称される、アメリカが生んだ天才的な女性ジャズ・ヴォーカリストの巨星。しかし、その天賦の 音楽の才能の裏側には、想像を絶するほど過酷な人生が存在した。人種差別という深く根強い社会の病、そしてそこから逃れるように彼女を蝕んだ薬物依存症とアルコール依存症との壮絶な闘い。彼女の魂を絞り出すような、深く、そして時に ハスキーな歌声は、ジャニス・ジョプリンをはじめとする、後世の黒人ジャズのミュージシャンたちの魂にとても深く刻まれている。


彼女の短いながらも鮮烈な生涯を彩った数々の代表的なレパートリー。「奇妙な果実 (Strange Fruit)」、それは南部におけるリンチの実態を生々しく描き出し、聴く者の心に鮮烈な印象を与える。「神よめぐみを (God Bless' the Child)」は、幼少期の貧困と虐待の自分史をモチーフに。「I Love You, Porgy」は、オペラ『ポーギーとベス』からの印象派アリアを、彼女ならではの斬新な解釈で新たな命を吹き込んだ。「Fine and Mellow」は、心と身体の間の揺れ動きを、 ミュージー でリズミカルな歌声で表現した。これらの楽曲は、彼女の死後、後世の才能あるミュージシャンたちによって新たに解釈され、ブルースやジャズ・ボーカルの不朽の名作として、時代を超えて世界中の人々の関心を捉え続けている。


ビリーが注目を浴び始めるのは、30年代後半にカウント・ベイシー楽団やアーティ・ショウ楽団とともに、国内巡業に出た頃である。1939年に当時としては珍しい白人と黒人との混合のナイトクラブ「カフェ・ソサエティ」に出演した頃から、彼女の名声は急速に高まっていった。


その背景には、現在でもビリーの代表的ナンバーとして必ず名の挙がる名曲、「奇妙な果実」Strange Fruitの存在があった。詩人ルイス・アランLewis Allanの作詞作曲によるこの曲は、リンチされ、木に吊るされた南部の黒人の屍を、樹木になった「果実」にたとえて歌う、当時としては大胆な人種差別反対の歌であった。「ラバー・マン」Lover Man、「言い訳しないで」Don't Explainなどメランコリックなラブソングを得意としたビリーの持ち歌の中で、これは極めて異色の作品であるといえよう。


ビリー自身は、この歌で政治的な問題を提起しようと意図したわけではなく、あくまでエンターテイナーとして歌ったのであったが、この歌は当時のリベラルな白人知識人に大きな衝撃を持って迎えられた。歌詞の表現力に長け、聴衆の心に訴えかける彼女の類稀な才能は、この歌を不朽の名作にした。「カフェ・ソサエティ」で、そしてその後のコンサートで、ビリーがこの曲を歌うときはいつも、聴衆は涙を禁じえなかったという。


彼女の生涯の幕引きから約40年後の2000年、ビリー・ホリデイはその多大な音楽的功績と、社会に対する良質な影響力を称えられ、ロックの殿堂入りを果たした。さらに2003年には、「Qの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において、錚々たる音楽家たちの中で堂々の第12位に選出され、その文化的な遺産は、時代の波に洗われることなく、ますますその輝きを増している。


驚くべきことに、海を越えた異邦な地から来た坂本竜馬もまた、この政治的なメッセージを持つ「Strange Fruit」を、アメリカの地で路上でひそかにカバーしていたという。コミュ力おばけの異名を持つ竜馬は、その人懐っこく人たらしな人間性のおかげで、自身が露骨な人種差別に遭遇する経験は比較的少なかった。しかし、ニューヨークの港湾で大きな荷物を運び、港湾工事の建設現場で汗を流す苦力(クーリー、その多くは故郷を 遠く 離れたアジア系の肉体労働者たちだった)たちと寝食を共にする中で、アメリカ社会の潜在的な人種的な偏見の過酷な現実を、否応なく肌で感じざるを得なかったのだ。彼らの本質に宿る苦しみ、そして時折漏らす自由平等への渇望は、竜馬の脳裏に深く刻まれた。


元々、土佐藩きっての三味線の名手として、その繊細な 演奏と拙いながらも温かい歌声で、徳川家茂の妃、和宮の心を強く射止めたという伝説的な逸話を持つ竜馬だが、新天地アメリカに渡ってからは、驚くべき音楽的才能を示し、たちまちのうちにギターの演奏術も習得してしまった。「Strange Fruit」をはじめとする、故郷とはまるで異なるブルースやフォークソングを、ニューヨークの喧騒とした歩行者が行き交う路上で演奏して、その日のわずかな糧を得ていたりしたという。東洋から来た異彩な風貌の男が爪弾く、無骨でありながらも聴く者の魂に深く染み入るギターの音色。そして、時折、感情の波が押し寄せるように、キャッチーでありながらも繊細な憂いを含んだ彼の歌声に、行き交う人々は足を止め、言葉にできない不思議な魅力を感じていた。彼の周りには、いつも大きな群衆ができていたという。


竜馬は、アメリカの過酷な自由主義の波に身を投じながらも、音楽への情熱を全身全霊で満喫していた。故郷の土佐では伝統的な三味線と歌で古式ゆかしい女性たちの心を優しく包み込み、都会的なアメリカの地では、新鮮なギターと魂を込めた歌唱で、行き交う人々の心を揺さぶり、日々の糧を得ていたのだから、彼の音楽的な才能、そして何よりも人間の心を深く揺さぶる能力は、まさに 天賦の才 としか言いようがないだろう。


もしかしたら、ニューヨークのマンハッタン薄暗く煙たいジャズクラブで、竜馬のギターと歌声の深遠なブルースの魂が、国境を超えたソウルフルなセッションを繰り広げていたのかもしれない。バーの隅のテーブルでは、アコースティックギターを背負ったビリー・ホリデイが、グラスを傾けながらその幻想的な光景を静かに見守っていたかもしれない。


竜馬の死後、1963年に坂本九の名曲、「SUKIYAKI(上を向いて歩こう)」が日本人ミュージシャンとしてはじめてビルボードヒットチャートで1位に輝いた。理由のひとつに「Kyu Sakamoto」が「Ray Sakamoto」の子孫ではないかというウワサがアメリカの文化人のあいだでまことしやかにささやかれたからだとか。戦後のアメリカ文化、日米関係に竜馬が果たした功績には多大なるものがあった。

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