07_#4


班長不在の蛭間特殊対策班オフィス。みちる、ノト、ミフネの三人は、資料整理を終えて小休憩をとっていた。オフィス入口から左手にある休憩スペースのテーブルには、茶や菓子が並べられていた。


「他の班も協力するって言ってたけど、ほんとに二人だけで大丈夫なのかなぁ」


みちるはそう言いながら、ティースプーン一杯分の蜂蜜を入れてハーブティーをかき混ぜた。黄金色に輝く液体に、蜂蜜がとけてゆく。


「少し心配ではありますよね。優秀とはいえ、真実也君もまだまだ新人さんですから」


ミフネは白い紙ナプキンを広げると、ケーキを貪るノトの膝の上に丁寧にかけた。


「なんだか大変な事件に巻き込まれちゃったよね。理性を持った暴人なんて、ぜんぜん想像できない」

「そうですねぇ。少し早いですが、そろそろ真実也君やみちるさんも、実際に暴人を“解放”する実践を詰んだ方が良いかもしれません」

「暴人を“解放”する実践ねぇ」


ハーブティーに口をつけようとしたみちるは、ミフネの発言の違和感に気がつくと、カップを顔から離して声を上げた。レモン色の瞳を数回瞬かせる。


「暴人の“解放”なんて、私もハジメちゃんももうやってるよ?」

「ハハハ、そんなぁ。ご冗談を」


ジョークだと思ったのか、ミフネはやめてください、とヘラヘラと笑っている。みちるはきょとんとした表情で首を傾げた。


「そんなはずが……」


みちるはさらに、ゆっくり数回瞬きをする。ノトがケーキを貪るかつかつという音と、壁掛け時計が時を刻む音だけがオフィスに響く。


「あるの、ですか?」


ミフネの表情から徐々に、笑みが消えていった。首筋にうっすらと汗までかいている。


「そ、そんな」

「えっと……うん」

「ありえない。いつからですかっ」


ミフネは問い詰めるように、みちるの座っているソファに腰をかけた。ふかふかのソファに彼の体重がかかったことで、みちるの座高が少し上がる。いつになく焦っている様子だった。みちるは視線を上に泳がせた。


「ええっと……わりと配属されてすぐだよ」

「ええっ」


わなわなと震えたミフネは、真っ青な顔で立ち上がった。その後すぐに頭を抱え、よろよろと座り込む。ノトはミフネの分のケーキにも手が伸びる。


「し、信じられない……蛭間さんは何を……何を考えていらっしゃるんだ」

「えっと。私も正直、早いかもな〜って思ったよ?やっぱりそれって普通じゃないの?」


蹲るミフネの肩をつついたみちるに、ミフネは顔を上げた。


「いくらなんでも、早すぎます。暴人の“解放”は、特殊対策班の新米警官にとって最後の関門。暴人といっても人間を殺める仕事ですから、ゆっくり時間をかけて……“解放”をする先輩の背中を見ながら、感覚を掴んでいくものなのです。どんなに早くても、初めての“解放”まで3ヶ月半は要するのが基本です」

「そ、そうだったんだ」

「それなのに蛭間さんは……!皆さんがご無事で、何よりです」


ケーキに夢中になっているようでいてしっかり話は聴いていたのか、ノトはミフネの言葉に同意するように何度も頷いた。


「……どんなに優秀でも、“解放”をし慣れているといっても。みちるさんや真実也君は、まだまだ蛭間特殊対策班の新米警官。出動の際は必ず我々や蛭間さんがついていますし、貴方たちの命は保証します。が……決して無理は、なさらないでくださいね」


みちるの方に向き直り心配そうに言うミフネに、みちるは「ありがとう」と微笑んだ。気付けば三人で決めた小休憩の時間は、とうに過ぎてしまっていた。



「どうだ?能木」

「ウゥーー」


四人は能木を先頭に、気が付けばメインストリートから大きく外れた、繁華街の裏通りを捜索していた。裏通りでも、行き交う人や自転車の数は多い。能木は試験管の中のガーゼの匂いを嗅いでは顔をくしゃくしゃにさせ、周囲の空気の匂いを嗅ぐ。という動作を繰り返している。


「こっち?うーん、こっちかなぁ」

「おいおいどうした、不調だな」

「不調っていうか……なんか変なんですよぉ」

「変とは?」


蛭間が尋ねると、能木は怠そうに振り返り、身振りを添えて説明しだした。


「血の匂いは、するんですけど……したり、しなかったりなんですよぉ」

「お前……ふざけてるんじゃないだろうな」

「そういうわけじゃないですけど……血の匂いがすると思ったらパッと消えちゃって……また匂いがすると思ったら、また消えちゃって……途切れ途切れすぎて、掴みづらいですし……なんか能木、飽きちゃいましたし」

「おいおいおい。要するにテメェのやる気の問題か。ハァ」


安田はしょうがないとばかりに溜息をつき、首の後ろを擦りながら蛭間、真実也にこっそりと目配せをした。


「まぁ、なんだ……お前のおかげで、この繁華街内に犯人がいるのは確かみてぇなのは分かったな。とりあえずお手軽だぞ、能木一七子巡査」


能木の耳がピクリと動き、視線が安田に移る。


「途切れ途切れといっても、あなたはとても優秀なので、匂いが遠いか近いか、どの方角からするかは大方分かるのではないでしょうか?大体で良いので、できるだけ匂いに近づいてみてください。能木一七子巡査」


能木一七子巡査。蛭間の口からやや強調して放たれたワードに、今度は能木の鼻がピクリと動く。


「匂いが近くなったら、周辺を手分けして探せば犯人を取り囲めるかもしれないです!能木一七子巡査の、活躍があれば」

「え……え?」


能木は、安田、蛭間、真実也の三人の(意図的な)期待を一身に受ける。集中力が切れ、先ほどまで猫背気味だった背筋は伸び、曇った表情はたちまち凛とする。能木は鼻高々、興奮したようにふんぞり返った。


「能木ィ、一肌抜ぎまぁーーす!」


いきり立つ能木の背後で、3人はパラパラと拍手を送る。


「馬鹿でよかった……がんばれよー」

「能木さん、かっこいいですよ!」

「いやいや、さすが狂犬ちゃんですね。うちの忠犬ちゃんと、交換したいなぁ?」


蛭間の言葉にワンテンポ遅れるように、真実也は縋るように蛭間を見た。

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