BLACKOUT~蛭間特殊対策班~

おさしみ

Sample : 01『蛭間特殊対策班』

~用語解説~


【暴人(ぼうと)】

人間の体内に潜伏する細胞(M細胞)の爆発的な増殖により、理性を失い凶暴化した人々。その現象はしばしば「暴人化」と称される。

【M細胞】

暴人化の原因になる、人間の身体中に無数に存在している細胞。別名「潜伏性狂気細胞」。一度分裂を起こすと爆発的に増殖する性質があり、体内の細胞をも喰らい尽くしやがて死に至らしめる。分裂の原因は未だ解明されていない。


~組織・人物紹介~


【特殊対策班】

警視庁公安部 暴人課に属する組織。基本四~六人の班で捜査をする。暴人の周囲の人々の安全確保と共に、暴人の“解放”を目的としている。近年、とある事件がきっかけで、特殊対策班の班員は皆「非潜伏者」のみに絞るよう徹底されている。


【真実也 基 (まみや はじめ) 巡査】

警視庁公安部 暴人課 特殊対策班の新米警官。生まれつき体内にM細胞を有していない特異体質、「非潜伏者」であることもあり特殊対策班に配属される。


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死生、命あり


“M”は突然現れる

“M”は息を殺して血肉に潜む

“M”の暴走は天命である

苦しむ彼らを“解放”することが 唯一の救いである


暴人を“解放”せよ。





 満員電車に揺られながら、川崎康男(かわざき やすお)は沈んでいく太陽に目を眇めた。角の剥げた黒いブリーフケースをしっかりと抱きしめ直し、天井に張り付いた広告をぼんやりと眺める。

やがて電車は静かに停止し、到着の無機質なアナウンスが流れだした。康男は出口へ流れ込む人の波に押されるように、電車から降りた。


 改札を通り駅を出た頃には、太陽はビルの隙間にすっかり飲み込まれ、一日の役目を果たす。代わりに車のライトやビルの明かりが街を照らしていた。康男はいつものように、よれたスーツのしわを直しながら我が家への帰路につきだした。人とぶつかった際に首を痛めたようだ。首をさすりながら、重たい足を前へと運ぶ。



「ただいま」


 誰に向けてでもなく呟く。扉を閉めてから、鍵をかける。一息吐いた後に玄関で靴を脱ぎ、薄暗い廊下を重い足取りで進みだした。四十七にもなると、疲労が染み付いて取れないな。そんなことを考えながら、康男は乾いた咳払いを一つした。


 リビングのドアを開ければ、娘・由比(ゆい)が部屋着姿でテレビを見ながら一人夕飯をとっていた。由比は康男に一瞥もせず、テレビに釘付けだ。


「おかえりー」

「母さんは?」

「ご飯食べて、すぐ部屋に行った」


 由比はそう言ってコップに口をつけた。依然振り向くことなく音楽番組に夢中な娘に、康男は特に返答することもないままブリーフケースを椅子の上に置いた。


「お父さんの分、冷蔵庫にあるから温めて食べてって。お母さんが」


 康男が由比の声に視線を向けると、ずっとテレビに顔を向けていた由比はいつの間にか振り返り、康男の方を見ていた。顎で冷蔵庫の方を指す。ああ、と康男は言葉に詰まりながら返答をした。


「いい加減、仲直りしたら?謝れば済む話じゃん」


 伝言係になる私の身にもなってよね。娘の言葉に、康男はまたしても言葉を詰まらせた。由比はしばらくしてため息をつくと、食べ終わった食器を重ねて手に持ち、立ち上がった。

 康男を通り越して台所へ向かう娘に、康男は何も言い返せなかった。



 いつも通り、食事を済ませた。やっぱり駅中の洋菓子店でケーキでも買ってくればよかった。明日は、明日こそは買ってこようか。そんなことを考えながら、康男は冷たい水でごしごしと食器を洗う。洗剤は空だった。

いつも通り入浴を済ませ、いつも通り歯を磨き。いつも通り、妻・美代子のいる寝室の隣にある部屋の扉を開けて、数年前から使用している自身の寝室に戻った。「あとはいつも通り、寝るだけ」。康男は心の中で呟くと、軋む関節と首に痛みを感じつつ、眠りについた。


* *


体の内側が熱い。康男は体内の燃えるような感覚で目が覚めた。いつもの癖でベッド横に置いてあるデジタル時計に視線を移せば、四時四十六分の表示が目に入った。カーテンの隙間から見える空は仄明るい。息を吐いた拍子に、口の隙間から白い蒸気のようなものが吹き上がるのが見えると、康男はその異質さに気がつく。まとまらない思考のまま半身を起こすと、鼻からさらさらとした液体が数滴こぼれた。指で拭いとったそれは墨のような黒色をしており、自身の血液だと分かるまで数秒を要した。

 一秒、二秒、三秒経過し、状況を理解した康男がハッと息を飲んだ瞬間。康男の視界はその意識と共に、「ブツ」と音を立てて真っ黒に途絶えた。


 午前四時四十八分。閑静な住宅街に、獣のような雄叫びが響き渡った。


* * *


「なんの騒ぎ?」


 パトカーのサイレンが鳴り響く。数台のパトカーと救急車が、一軒の家を囲むようにして停まっている。玄関を出て庭に出た一人の住民が、寝ぼけ眼で隣の庭にいる住民に問いかけると、すっかり目が冴えた住民は答えた。



「川崎さん家、旦那さんが暴人化しちゃったんだって」



しんと静まり返った川崎家の室内にも、サイレンの音が不気味に届いている。暗い廊下を進めば、“KEEPOUT”のデジタル規制線が貼られた室内から、微かな口笛の音が聞こえてくる。カーテンが閉められた薄暗い室内で、口笛の音の主である黒い影がゆっくりと立ち上がった。降ろされた右手には短銃が握られ、その銃口からは黒い液体が数滴滴る。


「やだ怖い。奥さんと娘さんは無事だったのかしら」

「さっき保護されていったわ。無事でほんとによかったぁ。旦那さんは、まぁ……残念だけれど……」


 一部が剥げた壁紙に、割れたスタンドライト。かき乱された本棚には、もう数冊の本しか並べられていない。黒々とした液体がフローリングの上で溜まり、薄く広がっている。食いちぎられた枕の綿はスポンジのようにそれらを吸い上げると、生臭い質量を帯びて床に張り付いた。


 黒い服のその人物はサイレンの音を模した口笛を拭きながら、部屋の中央に横たわった川崎康男の遺体に跨るようにして立っている。遺体は、口が大きく開いた状態のまま脱力していた。


「そういえば前に川崎さんの奥さんから聞いたんだけど、結構前から寝室を別にしてたらしいのよぉ」

「ああ、だから旦那さんだけ……ってことなの?なんだか皮肉ね」


 川崎康男の開ききった瞳孔は光を失い、一点を見つめ続けている。その人物は口笛を止めて金色の双眸で彼を見下ろすと、顔や自身の白いシャツについた黒い飛沫を拭うことなく、銃を懐にしまった。入れ替えるように取り出した携帯端末に電源を入れて耳に近づける。

ピー、という電子音が流れた。



『BLACK OUT~蛭間特殊対策班~』



Sample:01


「蛭間特殊対策班」



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