第四十八話 香り
そんなことを茫洋と考えながら、文輝は湯屋の二階へ上がる。この数日ですっかり文輝たちの本拠地として認知され、怪異たちからもそう受け入れられてしまった個室に
「
「こだわってはない、と思うが」
「わたくしがまだ人であった頃は
「白? それはまた米茶以上に白湯に見えそうだが」
「ご明察の通り、白茶と白湯を見分けることは非常に困難でした。杯を近づけて香りで判別するしかなかったのですから」
「それは何から煎れるのか聞いても?」
「黒茶と似たような植物の葉と聞いています」
黒茶は植物の葉を完全に発酵させてから乾燥させるが、白茶の発酵度合いは半ばだという。途中で止めて乾燥させる。そうすることで白茶は色が薄くなるが一杯の茶葉で何度も何度も茶を出すことが出来る。また、半発酵であるがゆえに生産開始から出荷までの時間も短く、農家はより多くの茶を生産することが可能だった。文化も物資も輸送手段も未発達であった過去の西方大陸において、黒茶のように一回きりで使い捨てる飲みものを愛飲する余裕はなく、朝用意すれば
「ですから、わたくしからすれば委哉殿のお出しになる米茶というのは存外良いと思っております」
「いや、だから、俺も別に黒茶以外を飲みたくないと言った覚えはないのだが」
「そうでしょうか。
「よくそんなどうでもいいことを観察しているのだな。飲み慣れているから飲んだ気がする。それ以外の理由は特にない」
「自国の文化に固執する。人の身ではよくあることでしょう? 小戴殿も副官殿も良くも悪くも人の域に収まっていて可愛らしゅうございますよ」
「あなたはそれが言いたかっただけだろう」
「あらあら。嫌味にもきちんと気付いていただけてわたくしとしても光栄です」
それで、己が出自を誇りたいお二人は何の成果を得て戻ってこられたのですか。声色は美しく、透き通るのにその向こうから何かがちくちくと刺さる。この仙女が心の底から文輝を対等な存在と認めていないのが透けて見えて、その度に文輝は神仙の傲慢さを突きつけられる思いだった。強権的に何かを押し付けてくる存在。敬うべき雲上の存在で霞と同等だったときには曇りのない畏敬の念しか抱いていなかったのに、こうして対面してみると欺瞞的な存在であると認識を上書きするほかない。
主語を大きくするのは文輝も本意ではない。神仙などと十把一絡げにしたところで様々な性格のものがいるのだろうということは察するに余りある。異教の神――怪異にしてもそうだ。文輝のことをあからさまに侮蔑して関わり合いにならないものもいるし、委哉や華軍のように冗談のようなものを交わすことが出来るものもいる。その中で何を信頼するのかは文輝のさじ加減一つにかかっていて、その根拠において人が人を信じるのと似たような基準があるのも何となく実感し始めていた。
「あなたが
「それは出来ません。『あれ』はわたくしの神気を知っておりますから、わたくしが近付けば『あれ』は余計に逃げようとするでしょう」
ですから、ご自慢の策をわたくしにも教えてくださいませ。
白瑛がその言葉を淡々と、起伏一つなく口にするのに間をおかず暖簾の向こうから鋭利な声が飛んでくる。子公だ。
「それとわかっていて罠を張るでもなく、対案を提示するでもない貴様が一番怠惰だという他ない申し開きだな、白瑛」
「子公!」
あなた、で、白瑛殿、だ。何度目かもわからない訂正の言葉を口にしようとする文輝を文字通り眼光一つで黙らせて子公は深々と溜息を漏らした。
「白瑛、貴様の目的が何かはこの際どうでもいい。利用しているものに敬意を払うつもりすらないのなら、私はそこの馬鹿を連れて山を越える選択をするのも吝かではないことよく心に留め置け」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます