第四十二話 境界線の向こう

 戴く理が違う、という時点で対話など不可能ですから、あなた方にとってはただの異物となるのもまた必定ではございますが。

 典雅な表情のまま白瑛びゃくえいは語る。いっそ、その様すら美しく、妖しさすら感じさせた。

 人の持つ本能が警鐘を鳴らす。どれだけ美しく、丁寧な態度を取ろうとも白瑛は紛れもない神の眷属で、文輝ぶんきたち人間のことなど数多存在する手駒の一つに過ぎない。

 そのことを白瑛の存在は強制的に通告した。

 長方形のつくえを挟んだ向こう側。そこにいるものが全て神の眷属と知って動揺しないだけの正当な理由などない。文輝は混乱を極めた。

 その、文輝の隣でかつて神に隷属したという男が吼える。紫紺の双眸には激しい怒りの感情が宿っていた。


「馬鹿な! 何千年前の話だ! 神たるものがそう容易く滅んだり、生まれたりなどするわけがないだろう!」

「副官殿。わたくしは申し上げた筈です。『白帝はくていは怪異を排斥した』と」

「怪異を排斥する為の神威すら欠いていたのだろう」

「ええ。ですから、鎮守を置いて可能な限り無力化させました。そうして信仰という感情を希薄化させれば最終的に滅ぶ――それが『神』という存在でしょう」


 あなたの故国ではそうではないのですか。それともそういう疑いを持つだけの知性すら失われたのですか。白瑛の透き通る声が淡々と子公しこうを責める。それに対して、弁舌の強さだけで生きていると言っても言いすぎではない筈の子公は押し黙ってしまった。

 信仰というのは相手の存在を認識して初めて成り立つ。信頼の反対は侮蔑ではない。無関心だ。その存在に対して何とも思わない。いるのかどうかすら認識しない。その次元に到達したとき、神は滅ぶ。

 この沢陽口たくようこう城郭まちに起きているのはまさにそういう事象だ。

 変異を変異として認識せず、外部に相談をすることもなく、緩やかに滅びの道を進んでいる。助けを求める声を上げることすらしない。そうする声すら黙殺する。

 これが緩やかな自死でないのなら、世界は何があっても滅びることなどないだろう。


信梨しんり殿はあの多雨が忘却を強いてる、と言いたいのか」

「いいえ。それについては怪異の方々に一切の非はないと弁明させてくださいませ」

「白瑛殿。僕たちはあなたたちに抑圧されることを良しとした記憶はないのだけれど?」

「それでも、あなた方が今までなさってきたことを私たち天仙が受け入れる道理もないことはお互い了解済みだと思っておりましたが?」

「それはお互い様なのではないかな? 僕たちもあなたのあるじに恭順を誓った覚えはないし、あなたたちも知っている通り、僕たちは決して一枚岩ではない。連携を取ることも困難で、いつかの未来に滅びる存在だとしても、それでも僕たちは『在りたい』という感情を抱いている」


 だから、概念と概念の融合を怪異は望んだ。自らが持っている概念に別の概念を内包することで更なる概念へと進化させる。それはつまり、認知の窓口を増やす、ということだ。複合的な概念の認知における表面積は唯一のものの何十倍も何百倍も広い。一つひとつの力が弱くとも、縒り合わせれば大きな力になる。そして一つひとつが弱ければ天仙はそれらを軽視する。そうして現在に至るまで怪異は存在を続けてきた。

 だから。


「信梨殿は怪異を排したいのか」

「いいえ。わたくしは小戴殿もご存じの通り立場の安泰は揺るぎなく、そして主神の覚えも悪いということはございません。天仙となった経緯について思うことがない、などと言えば偽りになるでしょう。それでも、わたくしは白瑛であることを手放したいと思ったことはございませんよ」

「では、この城郭に起きていることを『解決したい』と思っている、と?」

「そうでなくてはわたくしが自ら『人の世』に干渉することなどございましょうか」


 言わば尻ぬぐいだ、と白瑛は言う。鎮守として置かれた筈の二十四白にじゅうしはくが責任を放棄しているから怪異が増長した。失念と忘却は主神から叱責を受けるのを恐れた天仙が取り繕おうとして隠ぺい工作をしているだけだ、と。

 ならば、文輝がすべきこと、というのも絞られてくるだろう。

 天帝てんてい、天仙、怪異と人間。それらを繋ぐ鎹が必要なのであれば、それが多分文輝の役割だ。

 人として不全。それでも、だからこそ見えているものがある。

 文輝が今、ここにいることには意味がある筈だ。自分に出来ることをする。それが人として生きることを決めた文輝に出来る最善だ。

 だから。神への畏怖は一旦胸の内に仕舞おう。


「おい、子公。舌戦で負けて引きこもるのは後だ。ここにいる天上の存在は誰もが変異を解決しようとしてるじゃねえか。策を献じろ」


 問題の解決の為に尽力する。その心づもりをして、文輝は隣で渋い顔をしたまま硬直している副官に声をかけた。その呼びかけが無視されるのか、と思わせるほどの長い沈黙の末に、子公は大きな溜息を吐き出して、ようやく文輝を見る。


「――この大馬鹿ものが」

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