第三十八話 美貌の天仙

白帝はくていは元々の姿勢として怪異の存在を排除しようとしていたのだけれど、最近では首府ですら怪異を認知している始末なのは小戴しょうたい殿が一番よくご存知ではないのかな?」

「勿論、あの多雨の怪異についても白帝は排斥しようとしたが、数百年単位で存在し続ける怪異を撲滅することは敵わなかったのだろうな」

「そこで白帝が選んだのは鎮守を置く、という方法だね」


 あなたもご存じだろう。神の威を保つ為に生み出された歪な保全機構のことを。

 委哉いさい華軍かぐんに畳みかけるように言われた瞬間、文輝ぶんきの脳裏にその存在が思い浮かぶ。


「――二十四白にじゅうしはく

「そう、その通り」


 白帝は自らの神威を保つ為だけに二十四もの天仙てんせんの恭順を必要とした。

 天仙というのは神に仕える仙道のことだ。国に仕えるものは地仙ちせん、誰にも仕えない埒外の仙道は飛仙ひせんと称される。人の身で関わり合うことが出来るのは内府ないふに所属した官吏だけで、それでも地仙が精々だろう。

 そのぐらい、仙道というのは稀有な存在だった。

 その、更に稀有なる存在を二十四も集めるのに苦渋したことはこの国で生まれ育てば誰もが神話の向こうに伝え聞く。そうまでして白帝は西方大陸を守護しているのだ、と。

 西白国さいはくこくの民である文輝は神話と共に生きてきた。今更、そこに神威の失墜を疑わない程度には神話に懐柔されてきた。その大前提が覆されようとしていると知って、平静を保てるだけの剛健な精神力は二十二の文輝には備わっていない。頭の中は混乱を極めた。


「それで? 怪異である貴様らが神を崇拝したいだとかそう言った用件ではないだろう。何故私たち――神威の及びにくいものに目を付けた? ここ数日の様子を見ても、国家転覆を望んでいるようには思えん」

子公しこう殿。僕は一番最初に言わなかったかな? 怪異は怪異を食らうことでしか存在を維持出来ない」

「――石華矢薙せっかやなぎは昼食程度だとも言っていたな。なるほど、あの多雨ともなれば十分な馳走になる、ということか」

「怪異は消える。神威は保たれる。沢陽口たくようこう城郭まちは守られる。全員に利しかないように思うのだけれど?」


 利害関係が一致している、というのが委哉の言い分であることは明白だった。

 慈善でも偽善でもない。ただ、自らの利の為に他者を用いるというのは合理的だし、文輝としても不要に疑う理由を減らした。

 それでも。


「忘却と失念の根源をどう説明するのだ」


 白帝の力の弱まりと同時に怪異が発生する。そのうちの一つを御する為に天仙を置く。その説明に綻びはない。それでも語られていないことの方がまだ多い。

 多雨の怪異は現在進行形で発露している。鎮守はどうしたのだ、とか、何故この城郭は忘却と失念に囚われているのだ、とか。そういった疑問がまだ山積している。

 その状態で協調を受け入れてしまいそうになる文輝の甘さに釘を刺すように、子公が問いを重ねた。

 委哉が答えるより早く、個室の暖簾の向こうから柔らかな声が飛び込んでくる。


「それについてはわたくしの方から」

「誰だ」

「あら、副官殿のような方をもってしてもわたくしのことは見通せないのかしら?」


 暖簾を潜って言葉では到底筆舌尽くしがたいほどの美女が現れる。子公のものとは違う、よく肥えた土色を更に濃くしたようなしっとりとした黒髪をざっくりと腰の辺りで括っている。西白国では髪の長短で身分の上下は示されない。衣服を多重に纏うことで権威を示すこともない。それでも、文輝は確かに感じた。これは神話の世界で伝え聞く「選ばれたものの容貌」だ、と。

 ぽかん、と見惚れた文輝を他所に子公の詰問が及ぶ。


「――二十四白、か」

白瑛びゃくえい――もしくは信梨しんりとお呼びくださいませ」


 桃の花が開くようなたおやかさで二十四白の女は名乗った。

 白瑛、というのが二十四白の筆頭、人間の世界で言う正三位しょうさんみ以上に当たる特別な天仙であることを神話は物語る。二十二年、その文化の中で生きてきた文輝にとっては神が顕現したも同義で動悸のする思いだ。

 信梨――という名が何を示しているのかを知らない国民はいない。信梨とは「真理」の読替よみかえであり、白瑛が司る権能であることを意味している。


「白瑛様? 本当に?」


 物語の中に伝え聞いたより実物の方が華やかで美しい。声も素晴らしく透き通っているが、そもそも話し方自体が典雅だ。生まれながらにして傅かれる為に存在するような仙女を前にして、正気を保っていられるものはその神話を知らないか、他の神を信奉しているかのどちらかのものだけだろう。

 残念ながらその条件を二つとも満たしていない文輝は二十四白の神話と、想像を軽く二回り以上超越した美の暴力である白瑛の存在に完全に思考が停止していた。

 誰に問うでもなく言葉が音になっていることにも気付かない。

 気付いたのは白瑛が個室の中に入り、空いていた委哉の隣の椅子に腰を下ろして語りかけてきたのをどうにか認知した後のことだった。


「『様』は不要ですよ、小戴殿」


 その呼びかけに文輝は否応なしに状況を理解した。

 この天仙を呼びつけたのが誰で、文輝と引き合わせる為に午を過ぎた頃から哲学の話を続けていて、そうして文輝に拒否権がないことを通告する為に、今、確かに圧力をかけている。

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