第三十六話 かりそめの正しさ

 季節は巡る。時間の経過と共に日が昇り、沈むように季節もただ巡る。

 天地開闢に際して、始祖神である黄帝こうていは四柱の神々を生んだ。巡る世界の四方にそれぞれを配して、役割を定めた黄帝は何もしない。人の世に干渉をすることもせず、ただ静観を貫いた。

 世界は大別すると何ごとも四種類に分かれる、というのがこの世界における常識だ。

 巡る季節は四つ。治める神も四柱。夜明けから次の夜明けまでも四つの時間帯で区切られれるし、生きものも些か乱暴な気がするが四種類に大別出来る。

 西方大陸の守護である白帝はくていは季節で言えば秋、時間で言えば日暮れ頃を司っていた。

 言い換えれば、暮れていく世界、の象徴であったと言える。


「自らが朽ちゆく存在だ、ということをあなたたちの神は『最初から知っている』というのが僕たち怪異の見解かな」


 天の理、地の理、人の理。それら全てを超越した存在が怪異だ。

 怪異は理の外にあるから神の影響を受けない代わりに恩恵も受けられない。怪異の少年――委哉いさいたい文輝ぶんきにそう説いた。そのことはまだ明瞭に覚えているし、文輝自身が持っている「通説」とも相反しない。そういうものだ。その感触が強くなっただけで、本来、関わり合いになるような存在ではないのだから、沢陽口たくようこう城郭まちが忘却と失念から解放されたあかつきには別離するということも十分理解していた。

 利害関係が一致した一時だけの戦友。

 そんな感覚だっただけに、委哉が文輝たちの宗教観に口を挟んでくることが少し意外だった。


「神、というのはどういう存在だとあなたたちは考えているのかな?」


 絶対的に正しく、賞罰を下す存在か。寛大なる慈愛で全てを赦す存在か。或いは、人を試し、その結果の楽しむだけの傲慢な隣人か。

 そんなことを訥々と尋ねられて、文輝は言葉に詰まった。

 怪異の区画で暮らすことに少しずつ文輝は慣れ始めている。日暮れという概念がないこの区画では朝とも夜ともなしに時間が過ぎた。食事も市街で提供されるものと遜色ない。湯屋は毎日使いたい放題で、文輝の副官である子公しこうは献策に行き詰まる度に休憩と称して頻繁に湯浴みに出向く始末だ。

 沢陽口の城郭の東側に屹立した東山の頂上付近にのみ降雨している怪異を認識してからというもの、文輝は沢陽口の城郭に起きている異変を探し求めて毎日のように巡回している。子公の言う、才子さいしの総元締めである「信天翁あほうどり」という存在を探していた、というのもあるが、概ね城郭の様子を確認したい、という気持ちの方が強かった。

 今朝も茶屋で軽く朝食を取った後はひるの鐘が聞こえるまで、工匠の工房街を散策していた。腹が減っては判断が鈍る。「武官諸志ぶかんしょし」の中段に自らの体調管理についての覚書が記されており、その一節に最低限の休息と飲食の重要性を説いた部分があった。

 右官うかんとしての心構えを説いているだけの書物だと思っていたが、存外現実的な要素も含まれているのだな、と文輝が実感したのはやはり非常時を体験しているからだろう。前文から後文に至るまで暗唱出来る

。それでも「知っている」と「理解している」というのは別の事象なのだということを痛切に感じていた。


「陛下は陛下じゃねえのか」


 文輝は九品きゅうほんの生まれだ。代々続く武官の家筋に生まれ、国主の矛――ひいては民の矛たることを志して人生を過ごしてきた。才子のような天啓があるわけではない。文輝の中では天上の存在である国主の更に高い場所に在るもの。それが神だ。

 白帝廟が街に在ることも、そこで祈りを捧げるものがいることも、文輝にとってはただの日常の情景で、特別な感慨などない。

 そう答えると、委哉が少し残念そうな顔をした。


小戴しょうたい殿、ではあなたは神について思考したことはないのだね?」

「こんな言い方すると不謹慎だとか自慢だとか思われるかもしれねえけどさ、俺自身の話なら、神に祈ったことなんてないから、いてもいなくてもいいっていうか――多分、今はいるなら腹が立ってるって感じだ」


 神に祈る、というのは自らの無力を嘆き、他者から与えられる救いを懇願する行為だ。だから、文輝は白帝があることこそ否定はしないが、自ら祈ったことは殆どない。神に仕えるだなんて考えたことすらないがゆえに思う。人の一生をかき乱して、悲痛な祈りを捧げなければ助けもしないのなら、そんなものはあるだけ邪魔だ。岐崔ぎさいが偽りの安寧を失ったあの日。文輝が持っていた「大切なもの」を数えきれないほど奪っておいて、それは信心が足りないからだ、などと言うのならば金輪際、文輝が祈りを捧げるような事態は起こらないだろう。


「人間の傲慢に神罰が下った、という評を聞いたことがあるよ」

「傲慢じゃねえ人間なんてどこにいるんだよ」

「おや? あなたは自分が傲慢であると自覚している、とでも言うのかな?」

「人の為に生きる、だとか、人を守る為に戦う、だとかさ。色々思わねえわけじゃねえけど、その根底にあるのって結局は自己満足だろ」


 何かを施してやった。何かを恵んでやった。だから、自分は相手よりも優れている。

 そんな感情がない、などと豪語出来るほど文輝は清廉潔白ではない。二十二の初校尉しょこういで、諦めていると言いながら、なお立身出世を願っている。完璧なまでの自己矛盾だ。わかっている。文輝がその役割を放棄したとして、最初のうちは多少混乱もあるだろうが、時間の経過と共に文輝が最初からいなかったかのように穴は埋められるだろう。人間は適応する生き物だ。不変の価値などどこにもない。


「俺が手を貸して助かったやつがいる、ってことは、俺が手を貸さなかったら別のやつが助かっていたかもしれない、ってことだろ。俺は自分が絶対に正しい、だなんて言いたくねえな」

「小戴、それがお前の答えか」

「そうですよ、華軍かぐん殿。正しさが救うものもあるし、逆に苦しめるものもある」

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