第三十四話 田園

「そういう未来があるのなら、僕たちも希望と言う概念と出会う日が来るのかもしれない」


 そんな日が来たら。委哉いさいは必ず文輝ぶんきのことを思い出すだろう。そう言って独り言は結ばれ、それから山門に至るまで、本当に何の意味もない無駄な会話だけが続いた。

 文輝たちが登山に使った山門は沢陽口たくようこう城郭まちの南東に位置する。南側の隔壁からは畑一つ分程度離れているが、田園地帯の端ということもあり、人気は殆どない。時期的に水稲の栽培が始まる頃合いで、幾つかの水田には水が張られ、糸のような緑の葉の間で初夏の日差しをきらきらと跳ね返している。青空を映し込んだ風景は美しく、文輝に岐崔の城下から見る湖水を想起させた。

 その光景を網膜に照射しながら、文輝は委哉の言葉を何度も反芻している。

 雨が降らず、渇水を危ぶむのであれば灌漑班かんがいはんの管轄だ。わかっている。治水というのは水を治めると書く通り、水の流れ――ひいては河川や沼地を制御する行為を指す。

 岐崔ぎさい眉津びしんの船の離発着を管理するのが治水班ちすいはんの役割である、というのはそこに起因している。湖水の状態を管理し、人の出入りを制御する必要がある、と王府おうふが判断したからこそ、岐崔の水際は治水班が治むるところとなった。

 その、任の重さゆえに水を管理するのは治水班だ、という思い込みが文輝の中にあったことは否定しない。安寧の岐崔に育った文輝にとって、それは疑う余地のないまでに正しい理屈だった。

 それでも。委哉の言っていることもまた理解出来る。

 雨の降らない――渇きを懸念しているのに治水班を派兵するのは道理に合わない。

 つまり、昨年の秋から雨が降っていない、という報告と、沢陽口に何が必要か、という認識が一致していないのだ。文輝が今、東山を登って見た通り、雨は降っている。であれば治水班が必要であるのは自明だ。伝達に不備はない。多分、第一報は「雨が降り止まない」という内容だったのだということは推察出来る。だとしたら、報告が一体いつから「雨が降らない」に変化したのか、ということが次の問題だろう。雨が降らない、という報が間違いなく届いているのに中城では灌漑班に要請を出すに至っていない。この矛盾に「誰も気付かない」という状況が成り立った経緯を調べる必要があるのは明白だ。

 そして、文輝は不意に思い出す。

 沢陽口の城郭に忘却と失念が蔓延った、というのはいつからだ。

 委哉が言っていた「素養」というのは何のことで、沢陽口の城郭で起こっていることとどう関係しているのか。問いたいことが山積していて、それでも全てを一瞬で解決出来る方法などないことだけが確かだ。

 溜息を一つ零す。

 農道の脇に引かれた水路には絶え間なく水が流れている。この水も、あの山頂の怪異によってもたらされているのだろうか。そんなことを考えながら、文輝は誰かに声をかけられることもなく、市街に戻ってきた。

 この城郭に何が起こっているのか。その片鱗すら掴めないままで、異邦のものになりつつあることに臆しながら、それでもなお闘争心だけはじっと燻ぶらせているのだった。

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