第7章 死地を越えて - 3
立ち上がった満身創痍のスオウは未だほとんどダメージの見えない劉玄と対峙する。
劉玄は油断なく中段の水の構えで長刀を握り、その切っ先と研ぎ澄まされた集中力でスオウの動きを伺っている。
スオウは深く息を吐き切り、既に限界に近い〈アウストラリス〉に無理を強いる。
「――
〈アウストラリス〉が波打ち、四本の腕に増殖。尖端は鉾となって研ぎ澄まされ、無数の関節が禍々しく広がった。
「一度敗れた技を使う意図や如何に。それとももう、打つ手なしにござろうか?」
「何度も言わせるな。こっからが勝負だ」
スオウが地面を蹴り出す。瓦礫がさらに砕け散り、スオウの身体は弾丸のように加速。四条の刺突が同時に振り下ろされる。劉玄はこれをほとんど瞬間移動に等しい跳躍をもって回避。スオウの頭上を取り、長刀を鋭く薙ぐ。
スオウは腕の一本で劉玄の斬撃と打ち結び、激しい火花を散らす。凄まじい剣圧にスオウの足元が沈むが、力任せに押し退ける。続く三本の腕による突き上げ。劉玄は曲芸じみた刀裁きで全てをいなすも衝撃までは完全に殺すことができず、空中高くに打ち上げられる。
スオウは触手のように撓らせた腕を天井の穴へと伸ばして即座に収縮。自らも宙に飛び立って追撃を仕掛ける。三方向からタイミングをずらして繰り出したスオウの斬撃を、空中で身を翻しながら振るった劉玄の一閃が斬り払う。
しかし読み通り。斬撃とまみえる寸前にスオウの腕は形状を喪失。液体と化したスオウの腕を劉玄の長刀が無為に切り裂く。再び硬さと鋭さを取り戻した鉾の刺突は劉玄を捉えている。
だが劉玄も応戦。肩と両脇腹を抉られながらも捻転を利用して蹴りを繰り出す。蹴りはスオウの胸部を強かに踏み抜き、スオウは地面へと墜落。四本の腕で衝撃を殺しながら体勢を整える。ようやく傷らしい傷を負った劉玄は三階に着地。負傷にも構わず、外れた肩を強引に嵌め込む。
「これほどの手傷を負ったのはいつ以来にござろう。以前とは明らかに太刀筋が異なるが、如何なる心境の変化か?」
「ただの刀にすぎないてめえには、一生かかっても分からねえだろうよ」
「左様にござるか。まだ某の知らぬ武の境地があると見受ける」
劉玄が凄絶な笑みに顔を歪める。それはまさに戦闘狂の姿。歪んだ修羅の表情に滲むのは、ただ強くなることだけを無限に望み、遍く死地にて闘争を貪ることによってのみ満たされる愉悦だった。
「なればこそ、もはや某も真をもって貴殿に相対するべきにござるな」
劉玄の左手に浮かぶ紋様。青白い焔が迸り、スオウは身構える。しかし焔は劉玄の長刀へと絡むように螺旋を描き、その白刃のうちに吸い込まれていく。
「――秘剣・
静謐を漂わせる宣告とともに劉玄が長刀を振るう。スオウは本能的な悪寒で飛び退く。鮮烈な蒼が閃いたかと思えば、一瞬前までスオウが立っていた場所に鎌鼬が巻き起こって地面が消し飛び、断面からは濛々と湯気が立った。
「……射程のある熱の斬撃。まだそんな奥の手を隠してやがったか」
「この地で使うのは貴殿で二度目。光栄に思ってよい。父なる
「そんで今日が最後になる」
「やはり貴殿は面白き武人!」
鎌鼬が舞う。スオウは腕を伸ばして空中での立体機動。瞬く間に劉玄と同じ高さへ飛び上がり、腕の鉾を鞭のように撓らせて攻撃。切り裂かれた床が崩落するも手ごたえはなし。巻き起こる粉塵を裂いて迫る鎌鼬を躱し斬れず、右肩が深く抉られた。
「――――っ!」
灼熱が神経を嬲り、脳を痺れさせた。スオウは辛うじて体勢を整え四階へ。追撃の鎌鼬が下方から疾り、地面を容易く裂いた。
切り裂かれた右肩からは一滴の血もこぼれてはいない。斬られると同時、孕んだ灼熱によって断面が焼き焦げたのだ。噴き出すはずの血の代わりに、焼き焦げた肉の臭気が漂った。
「――休む暇などなし!」
背後に殺気を感じ、スオウは反射的に身を屈める。靡いた髪が切り裂かれて燃える。スオウは反転しながら四条の刺突を見舞う。しかし劉玄は既にスオウの側面へと回り込んでおり、刺突は虚しく空を切った。
「奥義。我流・躱して斬る――」
横薙ぎの一閃がスオウの胸は深く切り裂く。時間間隔が引き延ばされ、スオウの脳裏に明確な死の気配が過ぎる。
「――烈!」
納刀する鍔鳴りの音とともに。劉玄のあまりの剣速に一拍遅れて衝撃を伝えた鎌鼬が胸の傷口を大きく抉った。
「がはぁ……っ!」
風圧と灼熱に胸骨が圧し潰され、スオウは吹き飛ぶ。地面も壁も突き破って、大量の瓦礫とともに吹き抜けになっている一階の大きな空間に叩きつけられる。
スオウは朦朧とする意識を奮い立たせる。しかし立ち上がることは叶わず、全身を苛む激痛と左腕を焼く幻肢痛に再び地面に倒れ込む。
吹き飛ばされてきたのは殺風景な工場風景には相応しくない、不吉な装飾に彩られた空間だった。
壁際には等間隔で一二本、複雑な意匠を施された柱が立っている。高い天井は球状になっていて全面が紫と黒を基調としたおどろおどろしいステンドグラスになっていた。その中心には、一体どういう意図があるのか、一三本目の柱が宙にぶら下がっている。
やがてその空間に踏み込んでくる鋭利な気配を感じ取る。それはまだ辛うじて意識のあるスオウを見止めるや、驚愕の息を漏らした。
「凄まじき生命力。正真正銘の本気で、貴殿の命を奪う刃を振るったつもりでござったが」
「ゴキブリなみに生き汚いのが持ち味でな……前にも誰かに似たようなこと言われたよ」
劉玄の歩みが止まる。たとえこちらが瀕死でも、構えられた長刀に一抹の油断さえないことはわざわざ見なくても理解できた。
「……なあ、一つ訊かせてくれよ。どうしてあんたほどの男が、二世マフィアなんかに従ってる? 市長選の妨害や、異見子の誘拐。何の意味があるかは知らねえが、あんたほどの力がありゃぁ、もっとでけえことだってできるだろ」
「ふむ。……貴殿の言うことも理屈は分かり申す。だが某にその選択はあり得ぬ」
劉玄には、スオウが命を引き延ばすために惨めな舌戦を始めたと思われたかもしれない。だが劉玄は長刀を中段で構えたまま、スオウの問いに応じた。まるで良き闘争へ共に身を投じたスオウを労うような気配さえあった。どこまでも真摯な男だった。
「某は遥か東より流れ着いた浪人にござった。祖国にて罪を負い、死罪を言い渡されて尚、武の頂を目指すことだけを望み、海を渡ってこのぐーふらしあへと足を踏み入れた。学もない某には剣の道を歩むにおいて他になく、某は自ずと辻斬りとなって強者を辿り、西へと進み続けた。その果てにこの街で父なる主君、ゴズ殿と出会ったのだ」
語られるのは修羅が歩んだ半生。文字通りの刀一本で、今日まで生き抜いてきた男の懺悔と忠心の物語だった。
「某はゴズ殿の屋敷を襲撃した。しかしながら殺すには至らず、それどころかゴズ殿は自らを殺しに来た相手に抱擁を与えなさったのでござる。後に主君は、走狗のようだったと当時の某を語っておられた。某は長く孤独な闘争に疲れ果てていたのでござる。
本来、サムライとは主に仕えるもの。主を失い、ただ己が欲望のままに振るわれる刃は狂人のそれと何ら変わらぬ。某はサムライなど露とも知らぬはずの異国の父に、そのことに気づかされたのでござるよ」
自分を殺しに来た男を抱き締めるなど正気とは思えない。だが常人には測り知れない懐の深さこそ、故人であるゴズ・フィーダが畏れられた理由の一つでもあるのだろう。
「その時より、某はゴズ殿を父と慕い、この街と新たな家族に最後の忠心を燃やすと決め申した。貴殿は何故、二世である坊ちゃまに仕えるかと訊き申したな。理由は単純にござる。ゴズ殿は倅である坊ちゃまの身を案じ、某に〝頼む〟と、ただ一言そう言い残して逝かれた。故に、某は坊ちゃまの刃となり申すことを決めたのでござる」
主が死して尚、揺らぐことのない絶対的な忠心。それを支えるのはただ一言の遺言。だが銀座劉玄という男にとって、自らの命などよりも遥かに重く尊い一言であるのだろう。
「……ルディス・フィーダのためなら死ねるってか」
「無論。是非もないこと。某はそのために刃として存在している故」
「そうか……」
劉玄の答えに迷いはない。それどころか、この男の思いは信じがたいほどに固く真っ直ぐだった。
対してスオウは迷ってばかりだった。その腕に大事だと思える何かを抱え込んでしまうことを恐れていたのだろう。
だが実際は違う。自分でも気づかぬうちに、もうそれら(、、、)を抱え込んでいた。だから無碍に突き放し、遠ざけようとした。死地を望み、紙一重の闘争を渇望し続けた。自分にそんな資格はないと思い込もうとした。
でもそれは間違いだと今気づいた。抱え込んでしまったものを手離すならば、それは単に過去を繰り返すだけだ。スオウにとって、あの二人の腹立たしい笑顔は、もう二度と失ってはならないものなのだ。
「……悪いな。だったら俺は、あんたには負けられねえ」
スオウが呟くや、劉玄の周囲の地面が砕け、飛び出した〈アウストラリス〉が四肢へと巻き付いた。劉玄は構えを解かれ、その場に磔になる。
「……
「……此れは。会話は時間稼ぎ……いや、如何なる気配も感じはしなかったが」
「当たり前だ。てめえがここに来るより先に、仕込みは終わってた。あとは、俺の覚悟の問題だったからな」
スオウは無理を押して立ち上がる。左腕は瓦礫に隠れるように地面に突き刺さり、その下を通って劉玄の周囲から突き出していた。
「成程。間合いを読まれたか。不覚にござる」
「汚ねえ手だと罵らないのか? サムライ」
「笑止。此は試合にあらず、作法無用の殺し合いにござる」
「そうか。安心したよ」
劉玄が真っ直ぐに向けた眼差しに、スオウは口角を吊り上げる。焼き焦げたはずの胸の傷からは鮮やかな血が溢れ出した。
スオウは右の拳を握り、踏み込む。全身全霊の力で打ち出す渾身の一撃は劉玄の顔面を砕き、脳を激しく揺さぶった。〈アウストラリス〉による拘束すら引き千切る凄絶な衝撃は劉玄の鍛え上げられた体躯を吹き飛ばし、その意識を捻り潰す。
「……奥義。我流・ただ殴る、ってとこか」
地面に沈み、不吉なステンドグラスを仰いだまま動かない劉玄に、スオウはそう吐き捨てた。
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