第3章 言葉の刃と鉄の礫 - 4

 水を打ったように静まり返った会場に、マリーンが倒れる音が響く。床を跳ねた収音器マイクのハウリングの音が耳の奥を不愉快に引っ掻いた。


「マルマロスッ!」


 スオウは叫びながら壇上へと飛び出す。抱き起したマリーンは肩を撃たれ、額には大粒の汗を浮かべていた。純白のセットアップにはあっという間に赤い滲みが広がっていく。

 会場は既に混乱と恐怖が伝播し、討論会どころではなくなっている。逃げ惑う聴衆の間をすり抜けるようにして、拳銃を手にした男が五人、ステージに上がってくる。風貌からしてマフィアではない。威圧的に逆立てた金髪やこれ見よがしな刺青やアクセサリー、口元を覆うバンダナなどを見るあたりありふれた半グレ集団だろう。

 どちらにせよ、彼らを構っている余裕はなかった。


「やめておけ」


 スオウはマリーンを支えながら、男たちを睨む。男たちはゲラゲラと笑い合いながら拳銃を構え、そして一斉に引き金を引いた。


「唸れ、〈アウストラリス〉!」


 左腕が波打ち、銃弾よりも早く展開。マリーンを覆い隠すように広がった流体金属はことごとく銃弾を弾き、火花を散らす。スオウは銃撃を防ぎながら右腕でマリーンを抱えて後退。舞台袖で呆然としているネブリナに叫ぶ。


「トゥマーン! ぼさっとするな! 車を回せ!」

「なんてこと……」

「マルマロスは俺が守る。早くしろ!」


 もう一度叫び、ようやくネブリナが我に返る。睨むスオウに気圧されながら、ネブリナが踵を返して車の手配に向かっていく。

 男たちは弾を撃ち尽くし、そのうちの一人が痺れを切らしたようにナイフを抜いて接近してくる。スオウは容赦なく、広げた盾の表面に鋭い突起を生成した。


「うぐぁっ、痛ぇっ」


 男は両膝を砕かれ、ステージでのたうち回る。他の四人は思わぬ反撃に尻込みするかと思ったが逆効果。仲間を傷つけられた怒りに駆られて全員がナイフを抜いた。

 スオウは即座に〈アウストラリス〉のかたちを解き、男たちに向かって低く駆け出す。


「――拾伍番・骨喰ほねぐい


 スオウは大剣へと変化した〈アウストラリス〉を水平に薙ぎ払い、左手側から迫ってきていた男の側頭部を刃の腹で殴打し意識を刈り取る。返す刃でもう一人の男のナイフを弾き飛ばし、その顎に撫で付けるような掌打を見舞う。そしてすぐさま身を翻し、突き出されたナイフを大剣の腹で受けて相手の体勢を崩す。よろめいた男の顔面に膝蹴りを見舞い、前歯と鼻梁を打ち砕いた。


「ざっけんなああっ!」


 残る一人がナイフを振り上げて死角から迫る。スオウは元の左腕へと戻したアウストラリスで男の手首を掴み、そのまま力任せに圧し折る。男は絶叫。スオウは顔面に右拳を叩きこみ、男の意識を沈めた。


「マルマロス。歩けるな?」


 半ば強引にマリーンを引き起こし、身体を支えながらホールを後にする。

 車両が通れそうな広い通路を進むスオウたちに再びの襲撃――前方の曲がり角から拳銃を手にした半グレどもが現れる。一斉に放たれる銃弾を展開した盾で防ぎ、弾切れのタイミングで一気に接近。〈アウストラリス〉を形状変化させることもなく、握り拳一つで三人の半グレを制圧。続いて現れた五人の半グレも、拳銃を構えるよりも先に鞭のように撓らせた〈アウストラリス〉で一網打尽に意識を刈り取った。

 スオウは床に転がって呻き声を上げている赤い髪の半グレの首根っこを掴み、勢いよく壁に叩きつけた。


「誰に雇われた?」


 男は苦しそうに呻きながらも、挑発的な笑みを浮かべる。スオウは右の拳を握り、男の顔面を殴りつける。噴き出した鼻血が跳ねて、スオウの頬を汚す。


「アララギさんっ!」


 マリーンが叫ぶと同時、背後の壁が崩れて刃が閃いた。スオウは横っ飛びで回避。代わりに逃げ遅れた赤髪の半グレの喉が切り裂かれて絶命する。

 切り裂かれた壁の向こうからは、粉塵をまとったディアフ人の大男が姿を現す。顔を革製のマスクで覆い、くりぬかれた二つの穴の奥では血走った薄茶色の瞳が爛々と光っている。手には赤黒い金属によって構成される巨大な鉈が握られていた。


「攻性砂流鉄サルガネ使いか。ようやく骨のありそうなのが出てきたな」

「うるああっ!」


 大男が鉈を振るう。簡単に壁ごと引き裂く刃をスオウは左腕で受け止める。

 悲鳴のような大音声。衝撃が互いの攻性砂流鉄サルガネに電流のように響く。


「弐拾弐番・火火針ひひばり!」


 鉈と打ち結ぶ〈アウストラリス〉が無数の管へと分裂。高速で鉈の上を這い、大男の右腕を呑み込んだ。


「うぐああっ!」


 蠢動する〈アウストラリス〉が大男の右腕を貪る。大男は強引に後退し、深く食い込んでいた〈アウストラリス〉を引き剥がす。大男はズタズタになった右腕から左手へと鉈を持ち替える。

 攻性砂流鉄サルガネ使い同士の戦いにおいて鍵を握るのが、形状変化の使いどころだ。自在に形状変化が可能な〈アウストラリス〉は例外として、まだ大男の攻性砂流鉄サルガネは形状変化を見せていない。

 近距離か遠距離か。あるいは武器なのか防具なのか。その見極めを誤れば、いくら優れた使い手であろうと足元を掬われることになる。それが攻性砂流鉄サルガネ使い同士の戦いだった。


「かかってこい」


 スオウは構えた左腕で挑発的な手招き。大男が鉈を振り上げ、踏み込んでくる。


「――拾伍番・骨喰ほねぐい!」


〈アウストラリス〉を大剣へと転じて応戦。振り下ろされた鉈と切り結び、衝撃にスオウの足元は陥没。苛烈な火花が散る。


「うぅああっ!」


 大男がスオウの腹を目がけて前蹴りを見舞う。寸前で見切ったスオウは後方に飛び退いて衝撃を相殺。しかし間髪入れずにが襲い掛かる。鋭い剣閃が鼻先を掠め、靡く髪を切り裂いた。

 前蹴りに意識が向いたほんの一瞬で、鉈は形状変化を遂げている。

 蛇のように細長く引き伸ばされた刃は根元で二又に分離し、振り回されるのに合わせて別々の軌道で周囲を切り裂いている。まさに無差別の斬撃だった。

 スオウの判断は早い。すぐにマリーンの元まで後退し、彼女を抱えて踵を返す。広範囲に及ぶ狙い無しの斬撃が吹き荒れるなか、マリーンを完全に守りながら戦うことは不可能だった。

 大男は二条の刃を振り回しながら後を追ってくる。大股でゆっくりと歩いてくるだけだが、無惨に切り刻まれていく壁が逃げるスオウたちの焦燥を駆り立てた。


「アララギさん、私には構わず――」

「あんたは阿保なのか? 俺は護衛だ。あんたをこれ以上傷つけさせるわけにはいかねえんだよ」


 スオウは後方を見やる。距離は大して詰まっていないものの、開いてもいない。大男はスオウたちに進んで死の恐怖を味合わせたい腹積もりらしい。

 刃が撓り、壁を斬りつける。スオウたちに向かって飛散する破片を、盾のように大きな楕円形に広げた〈アウストラリス〉で防ぐ。次の瞬間には撓る刃が真っ直ぐに空を裂き、盾を穿って火花を散らす。にわかに起こった幻肢痛がスオウの左腕を焼き焦がす。


「くそったれ」


 ジリ貧だった。

 マリーンを抱えて大男に立ち向かうのはリスクが高い。だがこのままホールの外へと脱出できたとしても状況がめざましく好転するわけではない。というのも、通路という閉所だからこそ大男の攻撃の方向を限定できている。これが物理的な制約の少ない屋外での戦闘となれば、大男の持つ攻性砂流鉄サルガネはさらに凶悪さを増すだろう。

 一撃で、かつ反撃の余地など与えない一瞬で、勝負を決める以外に方法はない。


「マルマロス。方針を変更したい」

「従います」


 マリーンは二つ返事でスオウの進言を了承した。

 スオウは腰を落とし、踵で急停止。自らの身体を右腕に抱えたマリーンの盾としつつ、左半身を迫りくる刃へと晒す。大男が振るう刃が頬を裂き、太腿を抉り、背中を切った。

 左腕が激痛を訴えていた。もはや叫び出したくなるような痛みだった。だがスオウの視界は踏み込んでくる大男を的確に捉えて離さない。


「――真参番まことのさんばん赫々天現羅神かくかくてんげんらしん


 刹那、〈アウストラリス〉が波打ち、肩の付け根から花弁のように花開く。現れたのは三本の腕。そしてそのそれぞれが瞬く間にかたちを変え、昆虫じみた骨張った節足へと転じる。腕の先端は槍の穂先のように尖っていた。

 それは片翼をもがれて地に堕ちた天使のようでもあり、煉獄の底から這いあがってきた修羅のようでもあった。


「うおおおおおおおおっ!」

「……終わりだ。デカブツ」


 四本の腕がギシと軋むや一斉に解放。嘶くような甲高い音が耳を劈く。撓る刃を砕き、真っ直ぐに大男の分厚い身体に殺到。肉を裂いて骨を断ち、一瞬にして巨躯に無数の風穴が穿たれる。

 束の間の静寂が訪れ、間もなく大男が床に沈む。

 スオウの肩から生え出た四本の腕には瘴気のような湯気が濛々と立ち込めていた。


「アララギさん……?」


 呼吸に合わせて上下に肩を揺らし、ただの肉塊となった大男を見下ろしていたスオウはマリーンの呼び声に応えるように視線を向ける。その左眼からはどろりと血が流れ出す。それを拭おうと伸ばされたマリーンの手を遮り、スオウは彼女を突き離すように優しく肩を押した。


「汚れるから止めておけ」


〈アウストラリス〉が波打つ。三本の腕は溶けるように呑み込まれて跡形もなくスオウの肩へと消えていく。

 だがもはや全身へと広がった幻肢痛が収まることはなかった。この痛みから逃れる術はなく、スオウはただ乞うように天を仰ぐ。

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