恋をしない天使は放課後、二度堕ちる
乃中カノン
プロローグ 薄明に落とされたもの
「キスってどんな味がするんですか?」
明けの明星輝く、まだ日も登らぬリビングにて無垢な天使は金糸雀色の髪を揺らしながらそう吐露した。
対してそれを告げられた偽神父を自称する少年、
口を開いたのは十数秒の沈黙を置いてからだった。
「あーいや。なんというか上手く表現は出来ないかな。リップや口紅の味がするのかもしれないけど、なんともね……うん」
「そういうことではないんだけど……」
目を逸らしながら歯切れ悪く答える楓都にほんのり怒りを含めて、拗ねるようにシエルはぷいと顔を背ける。
「ごめん。分からない」
「教えて欲しいというのは、さっきと同じのを、あ、味わわせて下さいと言う意味で、その……」
「それは。……そういうことなので?」
「尋ね返すのはマナー違反ですっ! わ、わ、私だって、」
勇気を出したんだから……、と聞こえるか聞こえないかの瀬戸際ぐらい声をか細くさせながら、シエルは顔を真っ赤にして俯く。
キスの経験を聞いたのではなく身をもって教えてほしいというのは中々言えるものでは無いだろう。
それが付き合ってもない男女の仲なら尚更だ。
インモラルと言えばインモラル。淡い青春と捉えれば甘酸っぱい思い出の一つとも言える。
しかし、彼女はシスター。見習いだとしても他人との安易な接触を避けるべき教えがある。
しかして、その立場にあるシエルがそうまでも言い出す事態。よっぽどの思いなのだろう。
「俺が言うのは違うかもしれないけど、それは真っ当な手順を踏むことをお勧めするよ」
「分かってるよ、分かってるからそんなこと……! でも気になるのは気になるし、こんな事言うのも楓都にだけだから……新しい家族の初めての頼みとはしてくれません?」
恐る恐るに見上げてそう言われてしまっては、楓都は断るという選択肢を失ってしまう。
つい昨日の話だが、シエルは楓都と家族になった少女だ。身寄りのない彼女は聖職者の夫妻に引き取られ、そしてその夫妻が亡くなった今、楓都の育ての親である女性に再度養子として引き取られている。
楓都もまた身寄りがなく養子として育てられていて、二人は今の家族の誰とも血が繋がらない義理の兄妹なのだ。
義妹とはいえ家族なのだから、関係を壊すことになる行いは避けておきたい。
だから、彼が趣味にしている夜遊びも昨日で区切りをつけるつもりだったのだが、最後の最後でバレたのだ。
まさか初日から朝帰りを目撃され、あまつさえ夜遊び仲間から頬にキスされた瞬間とは運が悪い。
ただ、こうなってしまっては楓都に出来ることは少ない。自分の過ちが招いた償いとしてようやく心を決める。
「分かった」
「……っ!?」
席を立った楓都にびくりとシエルは身体を震わせる。
「そう驚かれると困るよ。シエルが望んだことだからね。辞めるなら今のうちだし、なかったことに出来る」
「い、いえ! 後悔はしませんっ」
目の前で最後の通告に首を振って、シエルは瞳に強く期待と決意を宿らせた。
本当は日和って貰えたら良かったのだが、ここで逃げ出したら二人の関係はきっと崩壊する、と予兆を感じて楓都はシエルに顔を近付けた。
「じゃあ、目を瞑って」
「わ、かりまひた! ひ、一思いにどうぞっ!」
ぎゅっと目を瞑ったシエルは、唇までも少し力んでいたが、すっと頬に手をやると程なくして緊張しつつも全部を緩めた。
そうして、望んだ結末を待っている桜色の唇に――は行かずに、その頬へと口付けを落とす。
すると、シエルはぴくっと震えたのち「え」と、瞼を開いてぱちくりとする。
「なんで……?」
「俺も彼女にされたのは頬だからね。あれと同じと言うなら頬じゃないとおかしいから、かな」
日和ったのは楓都だった。義妹となった彼女の唇へキスをする勇気がなかったのだ。
しかし、頬へキスされると思っていなかったシエルは驚きを示してから、楓都の言い訳に眉を寄せる。
それから、ため息を付くと。
「……もういい。大人しくしててください。……んっ!」
「わ、! んぶっ!?」
ぐいっ、と怒りを含んだシエルにシャツの胸元を掴まれ引き寄せられた楓都は、押し付けるような強引なキスを唇に味わった。
衝撃は柔らかく瑞々しいそれに受け止められる。
特に味はしなかった。味付きや強めでないリップが塗られた唇のキスなんてそんなものだ。
すぐに離れるかと思ったが、一秒、二秒では済まなかった。
五秒を超えてから顔が遠のき、視線を下げればすぐ近くで真っ赤になったシエルが見上げている。
明朝から義妹と義兄がリビングでキスなんて、家庭崩壊の音しかしない。元を辿れば楓都のせいであり責任であり、迂闊でだらしない趣味が身を滅ぼしかけている。
同居生活二日目にして早くも穏やかな日々が彼方へ過ぎ去ろうとそっぽ向く。
義妹に手を出した(出された?)なんて、親になんと言い訳をすればいいのやら。
頬を朱色に染めたシエルは、やってやったと言わんばかりにこちらを見つめている。
明けの明星をルシファーと言うように、白い羽を落とし堕天した彼女がそこに居た。
どうしてこうなった、と楓都は事の顛末を思い出しながら、人差し指の側面で唇をなぞった。
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