第6話 タリスの手記と帰還
「いや〜いい湯だった。」
部屋には、食料庫や、風呂まで準備がしてあった。不思議なことに、たった今準備されたかのように、風呂は温かかった。
教会での風呂は大人数で一度に入れる、いわば大浴場のようなものなので、一人で浴槽を独占するのは、大層贅沢なものだった。
「照明の暖色も、雰囲気出ていいな。」
食事をとって、今一度部屋をぐるりと見渡す。壁から壁に繋がれた麻紐に、怪しげな草が干してある。
この世のものとは考えたくないほどの大きさの、魔物のキバと思しきもの、黄色の液に浸された、ヘビの入った瓶などもある。
目を向けるものの、その全てが、魅力的かつ浪漫に溢れており、飽きさせることを知らない。
何の気なしに古い本の並んでいる本棚に触れる。まさかとは思ったが、そのまさかだ。隠し扉だった。やけに凝っている。
余程この部屋の主は、隠し扉が好きなのだろう。格好がいいから、やってみたい気持ちはすごくわかる。
そもそも大狼がいたのだから、ここまで来れる人物などかなり限られてくる。実際最初は手加減されていたなんてレベルではなかった。
もう、ここまで来たら扉なんていらないだろうに。何をそんなに守る必要があるのか。
先に見える明かりへと歩いていると、途中から迷宮の壁が苔むしている箇所が見られ始めた。レンガが敷きつめられていた床も、むき出しの地面へと変わった。
天井の割れ目から水滴が落ちてくる。こんな地下に植生が存在するのだろうか。暗がりから明るいところに出たはずみに眩しさで目を瞑る。
次に目を開けると、そこには部屋の中に、小さな森が広がっていた。特別広い空間でもなく、森も小さいのだが、何より美しく、一つの作品として完成していた。
川のせせらぎが聞こえ、とても涼し気である。大狼はもう居ないはずなのに、どこからともなく風を感じた気がした。
三本の柱が真ん中に立っている。柱の表面はなめらかに削られており、ここに納められているものが貴重であるということが見て取れた。
分厚い本だった。革の書皮が施され、何度も何度も開かれたことが、本の表紙の下部からそでにかけて、革が剥げていることから分かった。偶然か必然か、木漏れ日の光の焦点は本に集まっていた。
中を見ると、驚くことに白紙だったのだ。こんなにも使用感のある本にもかかわらず、何も書いていない。
普通に考えれば使用していないと判断してそれまでなのだが、どうにもここまでのことを考慮すると、何も無いはずがない。
最後のページまでめくって隅々まで確認したあと、最初のページに戻ると、さっきまではなかった文字が羅列していた。白紙が嘘であったかのように、次々と文字が浮かび上がってくる。
『やあ、よくここまでたどり着いたね。全然人が来なかったから。それはもう、寂しかったよ。』
馴れ馴れしさのある文字が語りかけてくる。当たり前だ。こんなところに来る人の気が知れない。かく言う自分も、帰り道を閉ざされなければ、大人しく帰っていた。
『まずは自己紹介かな?私の名前はタリス。タリス・フェン・パルセニア。年齢不明、職業は賢者。...現在彼女なし。』
あのパルセニアだろうか。国のなかでは最も長い歴史を誇る、世界有数の都市国家。かの国にはステータス制度というものがあり、皇族層、貴族層、平民層、そして貧民層が存在する。
身分的格差がはっきりと別れているものの、貧民でも皇族でも、有用な能力のあるものは優遇されているらしい。しかし、パルセニアの名を付けることが許されているのは、王族の方々だけのはずだが。
『お、当たってるよそれ。僕ね、王族♪』
ガタッ。驚きで思わず音を立てて本から手離す。
「嘘だろ、受け答えなんて。現在進行形で本を書いているのか。馬鹿げてる。」
『そんなに驚かなくてもいいじゃない。幽霊でも見たような顔をして。まあ幽霊とは少し違うけど、とうの昔にとっくに消えちゃってるんだけどねぇ。』
最後にてへぺろという言葉も丁寧に付け足される。言葉の通りならば彼は既にこの世に居ないということらしい。その事実にさらに不気味さが増し、警戒心が高まる。
『さて、冗談はさておいて。』
文字のフォントが一変した。丸っとした字風から、かくかくとした真剣さのにじみ出るような字に変わった。おかしなところで器用だ。
そして、先程の優しげな文体とは打って変わって、ピリピリとその威圧感に空気が震える。この威圧感の主には覚えがある。
『そのまさかだよ。』
?! 心が読めるのか。どれだけの技量と精神力があればこんな芸当ができると言うんだ。これでも、相当に精神力を上げたつもりだが。
それでもこれは、格が違う。別次元の怪物だ。敵に回さなくて心底よかった。まだ、味方と決まった訳では無いが。今この身が無事なところを見ると、害を及ぼすつもりは無いみたいだ。
『うんうん。驚きは至極もっともだよ。とりあえず、全て説明するから。だから、よく聞いておくんだよ。』
元のフォントに戻った。落ち着きを取り戻したように感じた。心情がそのまま文体に影響しているのだろうか。少しの沈黙ののち、おもむろにタリスは語りだした。
『僕は約百五十年前、パルセニアの当時の王とその妾から生まれた。国も発展し始め、資源の産出も安定していて、決して貧しい国ではなかった。
そのため、特に苦労することもなく、毎日楽しく過ごせていた。許嫁だっていた。彼女の名前はシバ・ディーネ・グラス。
当時険悪だった、妖精族の国と我が国の和親協定を結ぶ橋立によって成立した政略結婚のようなものだった。それでも彼女は嫌がる様子もなく、常にポジティブで笑顔を絶やさなかった。
太陽のような人っていうのはああいう人のことを言うのだと思う。それゆえに、感化された僕も、互いの利益のことにしか目を向けず、易々と子供の結婚相手を決めた、自らの父や彼女の父たちの愚かさに目をつむることができていた。
僕たちは愛し合っていた。彼女も子供を身ごもり、まさに順風満帆な人生を送っていた。それでも平穏な日常というものは簡単に壊されるわけで。幸せな刻もそう長くは続かなかった。』
また、フォントがかわった。今度は流れるような、しかし筆圧が濃く、力強い字風だった。明確に怒っているのがわかる。
『国に魔族が、攻め込んできたんだ。そして一夜で、国が滅んだ。勇者と魔王が世界降り立ち、戦争を始めたことが発端で、うちの国にも進軍してきた。
城下はいたって平和で、街の入り口の門番も談笑しながら仕事のできるような国だった。血を見る機会なんて街を駆け回る子供が転んだ時ぐらいだったぐらいだ。
だから、被害はひどいなんて言葉では言い表せないほど、見るに堪えなかった。
国中が火炎で赤く染まったよ。生き残ったのは、わずかな市民と、王族は...僕だけだった。僕の妻も、死んでしまった。』
また、字が元に戻る。静かな空間がより一層静かになった気がした。そんな気がするほどに悲しく、信じがたいほどに壮絶な内容だった。
『当時人族の間では魔族が攻めてきたのは妖精族の仕業だと考えたんだ。魔族領と人族領との間に大きな森があるよね。
あの間に妖精族の国があったんだ。だから魔族がやってくるにはどうやってもあそこを通る必要がある。
しかしパルセニアが一度滅亡した直後の他国の調査隊の調査によると、そんな国はなかったそうだ。住居の跡一つ見つからなかったんだ。
そんなわけで、妖精族は魔族と結束して人族の国を滅ぼした、そういう筋書きになったよ。
ぼくは妻のこともあり、どうもそうは思えず、不信感がぬぐえなかったけどね。そもそも、すぐに妖精族のせいと決めつけるのは時期尚早なことで、同じく魔族に滅ぼされたと考えるのが普通なはずだ。
この各国の決めつけに疑問を抱く専門家や調査隊などは、少なくなく、一定数はいた。でも、それもすぐに弾圧された。そして、遂には真実が明らかになることはなく、時の流れとともに流されていった。
戦争は風化させてはならない、なんていうけれど、平和な毎日を過ごしていると、いつの間にか感覚が麻痺してしまって、心のどこかで知らないうちに風化してしまっているものなんだよね。
結局のところ、人族は魔族に恐怖して、押し付けるに押し付けられなくなった責任を転嫁する落としどころが欲しかったんだろうね。』
衝撃的な事実を知ってしまった。こんなことを知っているのは各国々のお偉い様の中でもごく一部のことだろうに。そうか、だから今もなお、妖精族が煙たがられているのか。
『なるほど、現状の妖精族の立場はあまりよくないんだね。力が及ばなくて、本当にすまないと思っている。でも君ならば、きっとこの世界を正しく導いてくれると信じているよ。』
荷が重い。平凡極まりない齢15の少年に託してよいものでは到底ない。願わくば、何もないことを祈る。
『難しいことを言うね。さて、これ以上この話に踏み込むと、あいつらも黙ってないだろうからね。残念だけどこれ以上の説明は省かしてもらうよ。
変わりに忠告と餞別を君に渡そう。どうか役立ててくれよ。』
手首に僅かに重みが帯びる。そこには涙の形をした、透き通った青色の宝石が施されたブレスレットがあった。
そして、なんと謎の光とともに左腕が生えた。木製だがその義手の見てくれは黒く、とても固そうだ。まるで生まれてきてからずっとこの腕で生きてきたかのようにしっくりと来る。あえて、鉄でなく気にするあたり、やはり浪漫を分かってらっしゃる。
『それは、大狼のブレスレット。その宝石の中には、一国をまるごと囲える結界が張れるほどの、膨大な魔力が込められている。時が来たら、使ってほしい。
最も、その時が来ない方が君にとっては幸せだと思うけれどね。そして、忠告だ。何があっても諦めないでくれ。僕は絶望してしまった。
最愛の妻を失ってなにもする気が起きなくなり、世界を放浪したのち、獣と成り果ててしまった。だからどうか、君にはそうはならないでほしい。頼んだよ。』
本の置いてある台座を中心に魔法陣のようなものが展開される。そして次の瞬間、外にいた。周りは暗く、村の方からの光以外なにも光源はなかった。
「そうか、そろそろ
150年前に村が興った記念として、一年に一度、一週間規模で祭りが開かれる。ちょうどそれが今行われているようだ。火のあかりが山の上から見える。
「しかし、今年は一段と張り切ったんだな。」
例年よりもあかりが明るいことから、遠くからでもその盛り上がり用が容易に想像出来る。
「はやく帰ろう。」
自分の期間に対する周りの反応と祭りへの楽しみで、胸がいっぱいになりつつ、急いで下山した。
違和感に気づいたのは、二合目辺りまで山をおりた時であった。
祭りと言うには、炎の勢いが強すぎた。そして森を抜けると、目の前には地獄が広がっていた。
影のひとりあるき 単三スイ @hirahirataipipi0120
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