第55話 手段のうた
カツンカツンと足音が聞こえる。俺とカナメは固唾を飲んで彼が現れるのを待った。俺たちがいるのは行き止まりにある牢屋の前。つまりは逃げ場はない。
角から姿を現したイーティングは俺たちを視界に捉えると、一瞬眉を吊り上げた。
「僕を待っていたような風だね」
「来なければいいのにとは思ってました」
「随分な物言いだな。僕のことは嫌いかい?」
「人を材料とする人とは仲良くなれそうにはありません」
「んー……やはり僕らは価値観が合わないね。お嬢さんはどう思う?」
俺は内心ぎくりとした。俺が会話を引き伸ばす手筈だったのにカナメに話を振られるとは思っていなかった。カナメと話のすり合わせをしていないため、計算が狂う可能性がある。カナメは俺の方を一瞥すると、ゆっくりと口を開いた。
「作品は……人の心を動かすために……作ると思うから……本末転倒」
無難にカナメが答えたことに俺は胸を撫で下ろした。過激な発言は相手に強硬策を取らせることにつながるかもしれないのだ。
「ふむむ……喜んで材料になろうって人はいないもんかね……皆嫌がるんだ」
「あなたは芸術に関わる人を材料にしたがっていましたよね?」
「そうだが?」
「少なからず芸術に関わってるなら、人の心を動かしたいという願望があるかも知れない。だけど、あなたの作品の材料になってしまったら……そこからはその人は主体となって人の心を動かせない」
イーティングはビシッと俺の方に指をさす。魔法が何かを発動されるのかと思い、俺は身構えてしまった。
「それだ!……だから皆材料になりたくなかったんだな……でもね……僕は人を材料にしなくてはいけないんだ。より心に響く作品をつくるためにね」
「千金のあなたならそんな手段を取らなくても、素晴らしい作品が作れるはずです」
「ははは、嬉しいね。だけどね、限界を感じたんだよ。並大抵のことでは動かせない心があること……君たちは知らないだろう」
イーティングは一段トーンを落としてつぶやくように言う。何だろうか。彼には何か事情があるのだろうか。しかし事情があるからと言って易々と彼の作品の材料にされてしまうのはゴメンだ。
「だからって人を材料にしていい理由にはなりません。ここにいる人たちを解放してください」
「なぜ君たちはわからない?!より良い作品を作るため、より響く作品を作るため、多少の犠牲はあって然るべきだ!」
イーティングは今度は声を荒げた。俺は若干気圧されそうになった。彼の事情は知らないが、ここまで人を材料にしようとすることに固執するとは狂気を感じる。
「限られた手段で……人の心を動かすから楽しいんでしょう!」
「……僕らには無理だ。無理なんだよ。凡人は狂わなければ……何かを成せない」
イーティングは壁に手をついた。何かを仕掛けてくるものと思った。俺はカナメに覆いかぶさって庇おうとしたが、それは杞憂だった。イーティングはそのままずるずると壁に寄りかかり、その場にうなだれた。
「……何を?」
「他の千金のように僕はできない。風の詩人やアーツリング、宝玉のリュート弾きのようには僕はなれない。人を犠牲に描き、作らなければ……あの子達を笑顔にはできないんだ」
イーティングは虚な目でそう呟いた。そしてその声には覇気というものがまったくもって感じられなかった。それどころか俺たちから目を逸らし、何かに絶望しているかのようだった。
くらい地下牢前の通路に彼の悲痛な声が響くばかりだった。俺たちは全く動けなかった。本来であればここで彼の脇をすり抜けて逃げてしまうのが正解なのだろう。しかし俺もカナメも一歩も動けなかった。それに何も言えなかった。
しばらくの静寂。しかしすぐにこの静寂は打ち破られることになった。物理的に。
「トルバトル!!無事か!」
近くの扉を蹴破ったのはキールだった。薄暗い中でも彼女の焦りがわかった。俺のために街中を探し回ってくれたことがよくわかった。そして彼女の後ろから懐かしい赤髪が顔を覗かせた。
「おいお前!カナメとトルバトルを連れ去っておいてボクたちが許すものか!せめて飯奢れ!」
この食い意地がもはや懐かしかった。ドルカもキールも俺たちが無事なのを見て、胸を撫で下ろしたようだ。
「コイツがトルバトル達を連れ去ったのか?」
キールは木剣の先を項垂れるイーティングに向けた。木剣とは言えその剣からは確かに力を感じた。おそらく今の彼女でも岩くらいなら粉砕できるのだろう。
「……そうだ。この人が俺たちを連れ去った。千金のイーティングだ」
「よし!縄でぐるぐる巻きにしてやる!干し肉みたいに!」
ドルカは意気揚々と縄を懐から取り出した。イーティングはドルカに乱暴にがんじがらめにされても何も言わず、抵抗もしなかった。
俺は不思議で堪らなかった。会話の途中からイーティングからは覇気が消えた。そして俺たちを材料にするという目的を忘れてしまったように思えた。
「千金のイーティング。こんな形で会うとは残念だ。もうこの街の兵士には通報してある。何かいうことはあるか」
キールは冷たい眼光を向け、冷たい声色で言った。つくづく彼女が味方で良かったと思える。
一方でイーティングは自嘲気味に首を振った。
「ふん……あの子達からは笑顔が消えることが確定したな。おい若造ども」
イーティングは形容し難い感情を顔に浮かべた。笑っているような、泣いているような。そして俺とカナメに言った。
「限られた手段で心を動かすと言ったな。やってみればいい。あの子達を……笑顔にできるならしてやってくれ」
イーティングはフウッと息を吐いた。その口から発せられた風は桃色の竜巻に姿を変え、俺とカナメの目の前にやってきた。紐が解けるようにその竜巻が消えると、手紙がヒラリとと落ちた。
「最後の悪あがきだ。そこに書かれている家の子達を笑顔にしてくれ。僕には人を犠牲に素晴らしい作品を作るというやり方しか思いつかなかった。君たちはどうだ?……まぁ、期待はしてないよ」
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