55.教えてくれる?



その夜、冷える背筋にもこもこのぽんちょを羽織る琥珀は、机の上を眺めて考えていた。


最近は丸ペンやデザインカッター、定規ばかり置いていた机の上に、今日は一枚の画用紙を置いてみる。


久しぶりに取り出した色鉛筆、無意識に手を伸ばす先は水色。


その後数時間、机の上を眺めることしかできなかった。











「職業病?」


「真っ先に水色に手が伸びた時、琥珀も染められてきているなって思ったのよ」




いつも通りに咲くんに連れてこられた黒曜で、琥珀はみっちょんに相談していた。


その手には、いつも通り、水色のシャーペンであたりを書いている手がある。




そう、水色は白黒印刷では出ない色なので、漫画の下描きに重宝されている色なのである。




「それで……描こうとした絵には手を付けられたの?」




みっちょんにそう聞かれた琥珀は首を振って原稿用紙を見る。




今日はコップやペットボトルを描くように言われていて、机の上にはテンプレート……楕円の定規のようなものを用意していた。


このテンプレートの中から合う角度の楕円を選んで、ペットボトルやコップの丸みに合わせて描く。


下描きの後、楕円を描く時には丸ペンではなく、ミリペンという幅が一定のペンを使うんだ。




みっちょんは丸ペンに慣れるために定規で線を引くところからスタートしているみたい。


一定の幅を開けて線を引くというのは意外と慣れるまでは難しいよね。




「ラフをいくつか描きたいと思ってたんだけど、全然構図が浮かばなくて……」


「まぁ、描きたいものが浮かばないと描けないわよね」


「……いや、ひとつあるんだけどね」


「描きたいもの?」


「……というか、人?」


「あぁ、咲さんか」




悩むことなくそう答えたみっちょんに、琥珀はビクゥ!!と肩が上がる。


な、なんでわかったの!!?




「人物画、似顔絵……あまり琥珀の絵では見たことないわね」


「琥珀の絵は景色中心だったから……咲くんのあの綺麗な顔と柔らかい雰囲気を表現出来る気がしないの」


「なんだ、それならプロに聞けばいいじゃない」




そんなことを言ってみっちょんが視線を向けている先は……いおくんのお部屋。


いおくん……?


は!!っと、そこで琥珀も気付いた。


漫画家さんだから人物を描き慣れているじゃないか!!!




「確かにプロだ!!こんな近くにいた!!」




その時ちょうど扉が開いて、ゆらゆら〜と姿を現したいおくんを二人して見つめていたからか、彼に「あ?」と眉をひそめられてしまった。


相変わらずガラは悪いけれど、確かにプロである。




「んだよ」


「いおくんいおくん」


「なんだよ」


「琥珀に人の描き方……教えてくれる?」




そう琥珀がお願いすると、数秒空を見上げて何か考えながら近付いてくるいおくん。




「人?人間の描き方っつーことか?」


「そう!」


「お前人間描いたことねぇの?」


「あるにはあるけど……そういうんじゃなくて」




琥珀が描いてたのってリアルにあるものそのものを見てそのまま描写する感じで、デッサンに近いんだよね。


似顔絵も授業で習った時には描いたけれど、他人の顔をまじまじと見て描いたことってなくて、景色の一部として人物を描くことはあったけれど、きちんと人体の描き方を勉強したわけではなかった。


それに、デッサンのようにリアルに立体的に描きたいというよりは、もっとこう……。




「華やかに?描きたいの。あと柔らかい雰囲気とか……」


「……お前まさか咲のこと描く気でいるんじゃねぇだろうな」


「だからなんでわかるの!?」




みっちょんもいおくんも、するどい!!


ぱちぱちぱちと手を叩くと、二人にため息をつかれた。


どうして!!




「お前一応言っとくけど、咲が美術部に囲まれた一件は忘れてねぇだろうな?」


「お、覚えてるよ……?」




そしていおくんは美術部から逃げて咲くんを置いてきたっていうお話だよね。


その時の美術部員さんが羨ま……げふんげふん。




「まぁお前なら大丈夫だろうけど、あの一件は咲のトラウマになってるからな、一応。気にかけながらやってくれな」


「わかったよ」


「じゃあいいぜ。教えてやるよ」




そういおくんから注意事項を聞いてから、クロッキー帳を出すよう指示された。




描き終えた原稿用紙を仕舞ってから、クロッキー帳を取り出す。


琥珀は普段このクロッキー帳を、小物を描く練習として使っている。




クロッキー帳をペラペラとめくり、真っ白な新しいページを開いて、シャーペンと消しゴムを用意した。


準備万端ですよ!


琥珀はキリッとした顔をいおくんに向けた。




「いおくん、よろしくお願いします!!」


「あぁ。で、どっから教えりゃいいんだ?顔か?全身か?どう描きたいんだ?」


「琥珀の人物画だとリアルになりすぎちゃうから、もっとこう……リアル感を抑えた感じに描きたいと言いますか……」


「あぁ……とりあえず俺が教えられんのはキャラの描き方だ、それ叩き込むからあとは自分の描きやすいようにアレンジしろよ」


「!!なるほど!!」




教えてもらったことを元に、琥珀のイメージに合わせてアレンジしちゃえばいいのか!


こうして琥珀はいおくんから人物の描き方の指導を受けることになった。




「まぁ人間の顔を描き慣れる為には模写が一番だ。特に顔のパーツ、目なんかは流行りがあるから……そこで悩むなら、今流行ってるアニメの絵なんかを模写してみるといい」


「目に流行りがあるの?」


「アニメ会社や原作漫画によっても違ぇし、漫画雑誌によっても流行りが違ぇな。少女漫画と少年漫画を比較するとわかりやすいが、少女漫画は目がでかくてまつ毛長ぇだろ。ターゲット層によって目の大きさや描き方も全然違ぇし、時代によっても全然違ぇ。それぞれの雑誌のヒット作の影響があったりする」




さすが漫画家さん……確かに目の描き方って特徴が出るなって琥珀も思った。




「模写するのはお前の好きな作品でいいだろ。一つの作品じゃなく、いろんな作品の模写してったら、自分の好みの描き方がわかってくる。したら自分のオリジナルを描いてみるっつー流れはどうだ?」


「その練習法って、その模写してた人と似た絵になっちゃわないのかな?」


「描き慣れて行きゃ、自分の描き癖が出てくる。模写した絵の影響は受けていても、オリジナル絵に描き慣れていけば自分の癖が出てくるし、簡単に自分の癖なんてのは抜けない。それがお前の絵のオリジナリティになる」


「なるほど……」




いろんな作品のキャラの模写をして、それからオリジナルのキャラを描いてみて、自分の癖といい感じに付き合って絵柄を整えていく感じかな。


なんとなく、今後自分がどんな風に人物の描き方を練習していけばいいのか、というのが、この話で分かった気がするよ!




「人の描く癖っつーんは簡単には殺されねぇ。それを信じてとりあえず模写しまくってけ」


「はい先生!!」


「っつーわけで、今度は基礎知識を叩き込む」




いおくんが琥珀のシャーペンを手に取り、クロッキー帳に丸を描いた。




「お前はデッサン力が既に十分あるから、0から絵を学ぼうとする奴ほどは苦労しねぇはずだ」




その丸の中に十字線を描き、首や肩までの線を簡単に描き、鎖骨と首筋の線も入れていた。


普段いおくんはこうやって描いているらしい。




「見てわかる通り、この丸ん中に顔を描く。まぁ描きやすい順番は人によって違ぇけど、俺はバランス見ながら顔の輪郭から描いてく」




それから髪、目眉鼻口とどんどん描いていき、数分で男の子のラフが完成していた。




「肩から上はこんな感じだな。今描いてんのは男だから、肩幅広めで……まぁこれも描き慣れていきゃ感覚がわかる」


「すごい……いおくん描くの早いんだね」


「漫画家なんて〆切との戦いだかんな。ラフは全体のバランス見てざっくり描くからこんなもんだ。次、全身な」




すると、今度は上と下に横線を一本ずつ描いたいおくんは、その間をどんどん分割して横線を引いていった。


8分割したところで、一番上に丸を描き、そこから下に体を描いていく。




「今描いてんのは八頭身の男の立ち絵な」




まっすぐに立っている男の人の体をさっくり描き上げたいおくんは、そこから少し細かく描いていく。


裸体を。




「裸……?」




戸惑う琥珀ちゃんに、いおくんはなんてことないような顔をして描いている。




「最初から服着せた状態で描くとおかしくなんだよ。だから先に体を描いてっから服を着せる」




鎖骨、胸、おへそ、と描いていってから、その上に服を描き始めるいおくん。


こうやっていつも人体を描いているのか、と少し感動してしまった。


しかも、資料も見ないで描いてるってことは、描き慣れていて、頭の中でイメージ出来ちゃってるってことだ、すごい。




サクサクと描き進んでいき、もうスーツの男性を描き終えてしまった。


描くのはや!!


琥珀は口をぽかんとあけたまま、仕上がった男性を見つめていた。




「これは立ち絵の場合。次」




ページをめくって新しいページに、今度は人を下から見上げた顔、上から見下ろした顔を描いていく。




「これがアオリ、こっちがフカン。建物ならアイレベルと消失点ありゃ角度変えても描きやすいが、人体だと描き慣れねぇと難しい。あとは横顔、後ろ姿なんかも、いろんな角度から描き慣れる必要がある。次」




そしてまたページをめくって新しい真っ白なページを開いたいおくんは、動きのついた人体の絵を描き始めた。




「全身描き慣れんなら、クロッキーすんのがいい。5分とか時間を決めて、ポーズのついた人物を描いていく。まぁこれは資料見ながらとか、ミツハとかにポーズ付けてもらって、短時間でとにかく数描け」


「5分……?5分で人を描いてくの!?」


「まぁ最初は10分20分かけてもいいけどな。ラフを量産してく感じでいい」




琥珀は絵を描くのがはやくはない。


時間をたっぷりとかけて、正確に繊細に描いていくのが琥珀ちゃんスタイルだった。




腰に手を当てた女の人のアオリのポーズのついたラフを書き終えたいおくん……またもや数分で描いてしまった。




「角度を付けて描くことを意識すりゃ、絵がより魅力的になる。まぁ細けぇことは後々勉強してくとして」




そして最初に描いたページに戻したいおくんは、描いた顔の横でシャーペンをトントンと指した。




「次、顔の描き分け」


「いお、ちょっと詰め込みすぎじゃない?」




そう横から口を出してきたのは、丸ペンで線を書く練習をしていたみっちょん。


その原稿用紙には線がビッシリと書かれていた。




「そうか?」


「琥珀のペースも考えてあげてってこと。琥珀、ちゃんとついていけてる?」


「な、なんとか!!」




とはいえやることがいっぱいで忘れちゃいそうだ。


とにかく最初は漫画やアニメの模写と、ポーズのクロッキーで描き慣れていかないと、なんだよね!




「琥珀がそう言うなら……」


「まぁわかんなくなったら聞いてくりゃいいし、練習した絵も持ってこい。とりあえずお前は漫画描くわけでもねぇし、人間の一枚絵を仕上げるまでに必要な知識を詰め込んでやるから」


「いおくん……!!」




なんてたくましい……!!!


琥珀、こうして人物の絵の描き方を習うのは初めてだから、頑張るよっ……!!!




はぁ、とため息をついたみっちょんが、少しの困ったような笑みを浮かべて、琥珀に顔を向けていた。




「琥珀」


「なに?みっちょん」


「琥珀も一旦集中すると全然休憩取らなくなるんだから、ちゃんと休みながら頑張りなさいね」




みっちょんは、琥珀がまだ自分の絵を表現出来ていた頃のことを知っている。


そんな琥珀を近くでみていたから、琥珀の癖も知っている。




いおくんほどとはいかなくても、琥珀も一つのことに熱中しすぎて、水分をとるのも忘れてしまうことがある。


琥珀のことをよく知っているみっちょんは、心配してくれているみたいだった。




「大丈夫、休憩ちゃんととりながらがんばるよ!!」




琥珀はいい笑顔で、そうみっちょんに返した。




「まぁミツハ、そんな心配すんなよ」


「集中しすぎて徹夜するアンタに言われたところで説得力ないのよ」


「時間で決めて休憩とりゃいいんだろ、ったく」


「めんどくせぇって絶対思ってるでしょう?琥珀は初めて覚えることで頭がいっぱいになるんだから、ちゃんとペース配分して──」


「はいはいわかったわかった」




またいおくんとみっちょんが喧嘩し始めちゃった!!




「い、いおくん!次、教えて!!顔の描き分け……だっけ?」


「あぁ。顔と、それに合わせた体格の描き分け」




そう喧嘩を止めていおくんに続きをお願いする。


みっちょんは深いため息を付いていおくんをジト目で見てから、新しい原稿用紙を取り出した。


ペンテクの続きを始めるようだ。




「顔の参考にするならいいもんがあるぜ」




そう言うといおくんは立ち上がり、ソファーのある方に歩いていく。


ソファーの前にはテーブル、それからテレビ、ゲーム機があり……いおくんはそのゲーム機を取って戻ってきた。


そしてなにやら操作し始める。




…………ゲーム???




「お前ゲームよくする?」


「え?琥珀はあんまり……」


「いーもんがあんだよ」




そして見せられた画面は、キャラクターのパーツを変えられる画面だった。


顔の形、パーツの位置、色、髪型、ホクロやメガネなんかも付けたり消せたり出来て、体格も変えられる。




「アバターだ。細かく設定出来るやつ、男女変えられるやつが使いやすい。ゲーム自体はなんでもいい。ここでいじれる選択肢分、組み合わせ次第でキャラクターの特徴の参考になる」




そう言ったいおくんは、怪しい笑みを浮かべていた。

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