52.未来を?



コンコン、ノックする音




「未夜?」




真っ暗な部屋の中、布団にくるまっていた俺は、顔だけ上げる。


声が出しにくい。


喉がきゅっと締められているかのように、今日は声が出しにくい。




心が閉じてしまう時はいつも、こうなる。


力が入らなくて、喉が締まって、声が出にくくなる。


そんな自分に嫌気がさしている時だった。




「アイツ……琥珀が、お前のためにたまご焼きを作ってくれた。食えそうだったら来い」


「……琥珀、が?」




掠れたようなその声は、静かな部屋にやけに響いた。




「今はこの部屋に俺しかいない。出て来れなかったらここに置いとくけど、お前はどうしたい?」




琥珀、が。


琥珀が俺のために、あのたまご焼きを……つくってくれた?




「飯も味噌汁も、食えそうなら──」




気付いたら、手がドアノブに伸びていた。


戸を開くと、そこから眩しい光が差し込んできて、目を少しつむる。




「……未夜」




続いて聞こえてきたのは、聞き慣れたリンちゃんの声。




ゆっくりと光に慣れてきた目を開き、ドアをもう少し開く。


すると、たまご焼きのいい匂いが香って来て、乾いていた口内に唾液が広がった。




「食べる」


「食べられそうか?」


「わからない、けど、食べる」




全部は食べられないかもしれない。


けれど琥珀が作ってくれたものだから。


琥珀のたまご焼き、好きだから。




目の奥が少し痛みを伴い、目が潤んでくる。


だめだ……心が弱ってるときにこういうのは。


胸がぎゅっとなって苦しい。


けれど……嬉しい。




ソファーの方までゆっくり歩いていき、ぶかぶかなパーカーの袖を下げて箸を取る。




「いた、だきます」




一口分を箸で分けて、柔らかくて暖かいそのたまご焼きを口に入れると、目の端から涙がこぼれ落ちた。


あの味だ。


俺の好きになった味。




ほろほろ、涙がこぼれ落ちてくる。


我慢していたあれやこれやも流していくように。




「……うまい」


「……よかったな」




ティッシュ箱を取ってくれるリンちゃんからティッシュを受け取り、涙や鼻水を拭く。


それからようやく、ようやく今日はじめてリンちゃんの顔を見あげると、彼は優しい笑みを浮かべていた。




「ありがと、リンちゃん」


「それは琥珀に言えば」


「琥珀にも、言う」




琥珀の気持ち、リンちゃんの気遣い、みんなの暖かさ。


そういう、暖かさを感じて、俺は胸がギュッとなるのを感じながら、たまご焼きを一口、また一口と口に運んだ。




「ごちそう、さまでした」




本当に、本当に。


おいしかった。


なにより作ってくれた琥珀の気持ちが、心に沁みた。


暖かかった──。




「リンちゃん」


「ん?」




食べるのをそばで待ってくれていたリンちゃんに、俺は目を合わせる。




「……琥珀に電話、したい」




人が怖いと思ってしまう気持ちを、振り払いたかった。


進みたい、そう思うから。


このままではいけない。




だから声に出して、決意してみた。




「電話なら、できそうなのか?」


「……声、出にくいけど、電話なら」




電話なら、耳元で聞いてもらえるから、ちゃんと通じるんじゃないかと思って。




「そうか」




リンちゃんはふっと笑って頷いてくれた。


リンちゃんからパワーを貰って、スマホを手に取る。




電話をかける先は、琥珀。


2コール目ですぐに繋がった電話の先から聴こえてきたのは。




『ひゃっ、み、未夜くん!?』




裏返った琥珀の声と、なにかの落ちる音だった。






♢






──氷で目元を冷やしていたら、電話のコール音が鳴った。


誰だろう?と思ってゆるりと画面を見ると、未夜くんからの着信で。


一瞬固まった琥珀だけど、その後電話に出て勢いよく起き上がった。




「ひゃっ、み、未夜くん!?」




すると琥珀が勢いよく起き上がったことで、目の上に乗っていた氷の袋が、勢いよくビュンと飛んでいってしまって。




「ひゃあ!!」


「なにやってんだお前」


「ご、ごめんなさい!!」




慌てた琥珀はその飛んで行った袋を取りに行く。


袋の結露で床が濡れてしまった!!




『っはは』




その時、電話越しに聴こえてきた笑い声に、琥珀はきょとんとする。


未夜くん……笑った?


というか未夜くんから連絡が来ると思っていなかったので、琥珀はとてもとても驚いていた。




「未夜くん……?」


『うん。琥珀……たまご焼き、たべた』


「食べてくれたの?」


『おいし、かったよ』


「……っ」


『ありがとう』




ようやく落ち着いてきたっていうのに、琥珀はまた涙が出てきてしまっていた。


食べてくれた、食べてくれたよ!!




咲くんといおくんの顔を見上げると、二人とも笑ってくれた。


琥珀も頷いて二人に応えた。




「いつでも、つくるからね。食べたくなったら言ってね」


『ありがとう。でも、咲に悪いから』


「……」


『もう、大丈夫』




大丈夫……と言われても、なにも大丈夫そうには感じられなかった。


琥珀には……これ以上はなにもできないかもしれない。


何をしようとしても余計なことになってしまいそうで。


唯一出来るとしたらきっと、いおくんが言ったように『いつも通り』をすることなのだろうと思う。




未夜くんの為に何かしたいと思うけれど、今の未夜くんにはきっと、遠慮されてしまう。


琥珀の胸はツキンと痛んだ。


でも、善意を押し付けたくはないから、琥珀はおとなしく、でもちゃんと未夜くんのお話を聞くことに集中することにした。




『未夜』




その時、電話の奥から声が聴こえてきた。


リンくんの声だった。




『なに』


『思ってること、話さなくていいのか?』


『……』


『話したくないならいい。でも──待っててほしいって言ったのは、話したいことがあったからじゃないのか』




そう、電話の奥から聴こえてくると、少しの沈黙が広がった。




『俺がいて話しにくいなら出ていく』


『──リンちゃん』


『どうしたい?』




また少しの沈黙の後、未夜くんが口を開く。




『琥珀、咲はそこに、いる?』


「い、いるよ」


『じゃあ電話、スピーカーにして。リンちゃんは、ここで』




未夜くんの指示の通り、琥珀は電話の設定をスピーカーに変えて、机の上に置いた。


これで他の二人にも聞こえるはずだ。




「未夜、俺もいるけどいいか?」




いおくんが先にそう尋ねる。




『大丈夫。いおりもごめん、心配かけて』




未夜くんの深呼吸の音がすると、『ごめん、声の調子悪くて』といわれた。


そして未夜くんは話し始めた。




『昨日の夜の、話』




昨日の夜──というと、親と電話していたという、あの話だろうか。




『──俺から、親に、電話をかけた』




それを聞いた瞬間、場が凍りついたようだった。


咲くんもいおくんも、雰囲気が一変するけれど、それを決して声に出さなかった。




『俺も一歩、踏み出したかった』


『……』


『でも、俺の話はやっぱり、届かなくて、電話越しに聴こえてきたのは、俺を責める声だった……から』


「──ッ」


『やっぱり、そう簡単には、変わらないんだと思った。そしたら……苦しくなって……』




今すぐ駆けつけたい気持ちだった。


この部屋から飛び出して2階の作業部屋に走って行きたい気持ちになった。


そんな私の手を握ったのは咲くん。


私の、未夜くんの親への怒りを……吸い取っていくかのように、冷静にしてくれた。




『咲、ごめん』


「……未夜がちゃんと話してくれた。それだけで今はいいよ」


『──俺が愚かだった』


「自分を責めなくていい。話したいことを話してくれれば、俺たちはいつでも聴くから」


『──ッ』




鼻をすする音が響く。


”俺も一歩踏み出したかった”というのは、どういうことだったんだろう。




「……未夜くん、は」




琥珀も、深呼吸をする。


冷静に、落ち着いて、咲くんの手をギュッと握って力をもらって。




「踏み出したかったっていうのは……」


『────琥珀と、咲を見ていたら』




どういう意味なんだろう、と思って尋ねた言葉に返ってきたのは、琥珀たちの名前で。


え、琥珀たち……?


琥珀と咲くんは顔を合わせる。




『未来を──ちゃんと、考えたくなった』


「未来を?」


『二人みたいに……進みたくなった』


「……」


『憧れたんだ』




憧れ……た?




『琥珀』


「……な、なに」


『憧れだった。明るくて、優しくて、画材が大好きで、アシも大変なのに、楽しそうで、輝いて見えて……そんな琥珀が眩しかった』




思いもしなかった言葉が届いて、琥珀は目を見開いて驚いた。




『琥珀がいたから、未来に期待したくなった』


「琥珀が、いたから?」


『咲には、親のことに対しては注意されてた。悪意を持っている人はそう変わらないって。──それでも』


「……」


『変わらないことを、受け入れて。それから、過去を振り切りたいって思った』




琥珀の目元からは、またぼろぼろと涙が溢れ出す。




『正しかったとは、思わない。でも、必要だと思った』




――なんて勇気なんだ。


俯いて涙をこらえようとする琥珀に、咲くんがギュッと手を握り返してくれる。


琥珀が暴走しないように、落ち着かせてくれるように。




『落ちてもきっと、みんながいるから──大丈夫だと、思えた』


「──うん」


『琥珀が、背中を押してくれた。──ありがとう』




未夜くんは──なんて強い子なんだ。


琥珀の胸はぎゅーっと締め付けられて、涙がとめどなく流れてくる。


電話でよかった。


こんなぼろぼろ泣いて止められない琥珀、未夜くんには見せられないから。




『琥珀、泣いてくれてるの?』


「……」




それでも、バレてしまっているみたいだけれど。




『ありがとう。──みんなも、話、聴いてくれて、ありがとう』


「……」


『責めないでくれて、ありがとう』




涙が出すぎて、声が出せなかった。




「未夜」




それまで黙って聴いていたいおくんが、話し出す。




「よく話してくれた」


『いおり……』


「お前が話してくれたおかげで、俺らもサポートができる。ちゃんと一歩踏み出せてんじゃねぇか。誇れよ」




いおくんは相変わらず少し偉そうで、でもそれがいつも通りだから、なんだか安心感もあって、不思議な感じがした。




『うん。話せた』




それから、咲くんが未夜くんに向かって話す。




「未夜、傷付くこと前提で向かっていったのは少し思うところはある。けど、俺たちを信じてくれてたから出来たことなんだよね」


『うん。信じてたからできた』


「ありがとう。それが一番、俺は嬉しいよ」




黒曜のみんなを信じてくれていたから、未夜くんは前に進もうとした。


だからこそ琥珀たちにも、話してくれた。


そうか、そういうことかと、琥珀はゆっくりと理解していく。




「未夜くん」




琥珀も、少し落ち着いたところで未夜くんに話をする。




「また今度、一緒にゲームしようね」


『──うん。絶対』


「絶対ね」




未来に、小さな約束をして。


それから未夜くんとの通話を切った。






「──まさか自分からしてたとは」




天井を見上げて、いおくんは緊張をとるかのように息を吐き出す。




「可能性としてはあったけどね。向こうからかかってきてもこちらで取らないって選択肢はあったし」


「──アイツも強くなったもんだな」


「たくましく育ってきたね。いおりの影響かな」


「俺か?心の強さっちゃ咲の領分だろ」


「案外、琥珀の影響だったりしてね」




二人の視線が琥珀に向けられるけど、そんな琥珀ちゃんは貧弱であることを自負している。




「琥珀強くないよ?」


「いや、前向きさで言えばここで一番だろ」


「みんなの影響を少しずつ受けた結果なのかもしれないね」




3人で目を見合わせて、ははっと笑った。


どうなることかと思っていたけれど、結果的に未夜くんがまたレベルアップしたのを見届ける日となった。




なんだかんだ忘れそうになっていたけれど、今日はクリスマス。


琥珀たちが外に出ると、雪がチラついてきていた。




「さみぃわけだな」


「雪だー!!」




琥珀は雪景色もとても好き。


あの描けなくなった冬を思い出す……けれど。




でもね、今日未夜くんと話してから、琥珀の気持ちも変わった。


あの冬を思い出しても、あの時筆を止めたことすらも後悔しないように進めればいい。




「琥珀ね、黒曜に来られて良かったと思う」




咲くんに振り返って、にっこりと笑うと、咲くんは首を傾げる。


それに、へへへっとまた琥珀は笑った。




「咲くんが琥珀をここに連れてきてくれたから、琥珀も先へ進みたくなった」


「先へ?」


「お前はもう十分前を見てんじゃねぇのか」


「ううん、まだまだ、もーっと進むよ!」




手のひらを見せて、二人に大きくアピールする。




「絵を描きたい。琥珀らしい絵を。みんなが認めてくれるようなものじゃなくて、琥珀が琥珀を認めたくなる絵を」




そう言うと、一瞬呆けたような顔をした二人だったけれど、すぐに笑い返してくれた。




「うん、それは見てみたいな」


「いい目標だな」


「うん!楽しんで、描きたいの。もっと絵を好きになりたい」




気持ちに素直になって、自由きままに。


琥珀らしく、琥珀が楽しんで描く絵を。




それでもきっと、描けたらみんなはみてくれる。


みてほしいから。




「未夜くんにもみてほしいな」




ちらちらと降る雪を見上げて、白い吐息を吐きながら想う。


いつか、琥珀の絵もみてほしいな、と。


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