32.ネームのネーム?






「……こ、琥珀怖くないよ……?怒んないよ……?」


「お前のこと慕ってくれてる下の連中は、なんでお前みたいなヒョロっちい女ひとりに丁寧に接してくれてんだと思う?」


「………………」


「咲の一声、それがあったからだ。ここでは咲が絶対だし、それがわかんない奴でも咲の後ろに俺みたいなヤンキーついてんだ、普通怖いだろ」


「…………」


「守られてる代わりに恐怖の対象になった。そっから離れようとすりゃ下の連中が引き止めに来るだろうなぁ」


「…………どうするんですか私」


「高校卒業するまでは現状維持が無難だろ」




なんてこったい。


琥珀、いつの間にか逃げ道を塞がれていた……らしい。


とはいっても逃げたくなるような要素もないのだけれど。




「まさかみっちょんだけではなく琥珀まで怖がられているだなんて」


「ミツハのは俺が付いてんのが怖いんだろうなぁ」


「いおくんどんだけ怖がられてんですか」


「俺は優しい時は優しい、ヤる時はヤる」




……深くは突っ込まないでおこう、琥珀の心の衛生のために。


怖い話を聞いてしまった気がするのに、それほど自分のことのように感じられないのはなぜなのか。


咲くんマジックか。




確かに琥珀も最初は、いおくんのことが怖かった。


大丈夫になってきたのは、みっちょんといおくんが話しているところを見てからだ。


もう腰から90°曲げて頭を下げることもなくなったし、一緒にデートにも行っちゃった。




あれ、もしかして私たち、結構仲良しになってきた?


これも咲くんマジックかもしれない。




「いおくん、みっちょんてココに来るの、ダメなの?」




ふとさっき気になったことを聞いてみる。


一度黒曜に来た事があるのだから、絶対にダメだというわけではないだろうけれど。




「あー、咲の許可が下りればだな」


「いおくんには勝手にする権限はないと?」


「前回は確か、お前の作業環境を見せる体で許可してたな」


「いぇす……」




ふと琥珀は、ちょっと悪いことを思いついてしまった。




「原稿中のいおくんのことが心配だから、みっちょんに手を借りたい、というのはだめでしょうか?」




ふと、そう、原稿作業に入ったからこそ思い出したことがある。




前回三徹で倒れたのだ、この人。




「心配?俺が?」


「ちなみに今回徹夜してないですよね?」


「昨日寝てねぇな」


「ほらぁ!!!!」




みっちょんが見ていたらそんな無茶しなくなるんじゃないか!?と細やかな希望を持つ琥珀ちゃん。


ていうかその目付きの悪さも実は寝不足から来ているのでは!!?




「え、待てお前、まさかそれミツハに言う気か?」


「チクりましょうとも!!!」


「やめ、ちょ、お前どこ行く!!!」




ズバンと扉の向こうの作業部屋へと出ても、やはり咲くんはいない。




「リンくん、咲くんはいずこに!?」


「部屋で次のプロット書いてると思うけど」


「……それって私、お邪魔しちゃってもいいのでしょうか……?」




後ろからしぶしぶ追いかけてくるいおくんに、琥珀は腕を組んでふんすっと偉ぶる。


体は大事にしないといけないんだからねっ!


赤青ツインズが、なんだなんだ?と怯えた顔で琥珀たちを見守っている。




「……言っておくが許可される保証はねぇぞ」


「聞くだけ聞いてみるっ」


「さっすが女帝」


「……女帝?」


「お前の立ち位置?みたいなもん」


「……え」


「まぁ、表向きに呼ばれてんのは女神さんだけどよ」


「…………え?」




え、琥珀ちゃん、女帝……?


衝撃の事実に、ぼーっと突っ立っていると、ガチャリという音と共に、その部屋から彼が現れた。


咲くん専用のお部屋から出てくるのは、彼しかいない。




「あれ、琥珀ちゃん。そんなところでどうしたの?」




例のお部屋から顔を出した咲くん。


そして私は、咲くんには聞きたいことがたくさんできたのだった。




「咲くんっお話があります!たくさんあります!」


「琥珀ちゃんから?たくさん?」


「咲くんにしか頼めないことだし咲くんに聞きたいことなんですっ」




むむむっとした顔で咲くんを見つめるも、いつもよりふわりとしたにこやかな笑みを見せてくる咲くんに、なにかすれ違いを感じる。


この琥珀のむむっとした顔がみえていないのでしょうかっ!?むむっ!!




「お前怒るのとお願いするんので中途半端な顔してんな」


「困った顔みたいになってる」


「いや、ゴネてる顔だろ」


「作業場来てまで顔芸しないでくれる?」




がーん!!琥珀ちゃんだって女の子なのに!


お顔のことでそんなに言われたらちょっと涙がちょちょぎれちゃうじゃないか!!




「今度は泣きそうだね。いおりと雨林に虐められた?」


「もう頭の中言いたいことでごちゃごちゃしてるの……」


「俺に話があったんだっけ?聞くから部屋付いておいで」




さりげなく優しく握られる手に導かれて、私は咲くん以外入れないはずのお部屋の中に、すんなりと入れてもらっていた。












「ネーム?」


「うん、プロットとかネームでちょっと机の上ごちゃごちゃしてて、ごめんね」




ソファーに座らせてもらい、部屋を眺める。


以前この部屋に来たときは、琥珀が眠っちゃっていたからか真っ暗で、みっちょんがドアを開けてようやく少しだけ見えたのを覚えている。




「いいの?琥珀この部屋入っちゃって……」


「俺がいいって言ってるからいいんだよ。呼びたい時でも何も無い時でも、自由に来ていいよ」


「……他の人はダメなのに?」


「琥珀だけ、だよ」




一瞬、鋭い瞳に捕らわれたけれど、一瞬にしていつものにこやか咲くんに戻った。


早くも心臓がドクドクしている。




そ、そうだ、つい勢いでついて来てしまっていたけれど、咲くんとは、ち、ちぅを…………!!!


けれど、いつも通りな咲くんに、琥珀だけが、一人で焦っている。




「今出来てるのはプロットだけでね。あ、プロットっていうのは物語の要約、ネームはコマ割りや構図をざっくり描いたイメージ図みたいなものなんだけど」




プロットとネームの紙を見せてくれながら、咲くんはそう琥珀に教えてくれた。




そういえば琥珀が関わっているのは作画段階だけなので、物語での用語は初めて聞くかもしれない。


プロットと、ネームっていうのか。




といっても、物語がどうやって創られていくのか、琥珀はよく知りません。


なので、これが本当に形になるのか……琥珀には想像がつかなくて。




「こ、これは……」




ネームと呼ばれたものには、ふにゃふにゃな棒人間の絵と、コマ割りのようなものが何ページもあって。


指示のような文字も書いてある。




「あ、これネームのネームだからね」


「ネームのネーム!!?」


「いおりに渡す、漫画のイメージだよ。絵が下手だから、これを解読してもらってから、ネームになるけど」


「解読!!?いおくんが!?」


「担当編集さんとも相談するから。これだけだとただの落描きなの」




咲くんの絵は……そう、独特だった。


画伯ってやつかもしれない。




咲くんは絵がちゃんと描けるわけじゃないから、こうして文章で主に説明することになるのかもしれない。


ネームのネーム……つまりこれを、いおくんが整理して漫画のネームにするってこと?


それからまた、原稿に描く……って。




「すごい手間だ……」


「俺が漫画に詳しかったり絵がうまければ、ここの工程ひとつ省けるんだけどね」




そう言って咲くんは、気弱そうに笑う。


ほんとに絵は苦手みたいだなぁ。




「頭を一番使う作業はこのネームくらい。ネームが出来ちゃえばあとはひたすら作画だから、みんなにバトンタッチできる」


「そうやって漫画って、みんなで作りあげていくんだね」


「一人で全部描いちゃう人も結構いるけどね」


「それはヤバい」




少なくとも琥珀は、何時間も腰曲げて作業するの、結構キツいのだ。


首と腰にくるし、集中してるから体が動かすことも忘れちゃう。




「ところで、琥珀ちゃんの話?お願いだっけ?なにかな?」


「はっ!!!」




琥珀ちゃんとしたことが!!!


つい漫画のことになるとそっちに意識が向いちゃって忘れそうになっていた!!いかんいかん!!




「えっと、いおくんのことで」


「いおりのこと?」




ここは、す、ストレートに聞いちゃった方がいいかな?


どうはなそうか、ちょっと考えてから、琥珀は言いました。




「いおくん、原稿中の体の使い方が雑すぎて心配なの!!!!」


「…………あぁ、アレはねぇ……あーいう原稿スタイルみたいなもんだから……」


「それにしても三徹だよ!?無理だよ琥珀には!ちゃんとお休みして欲しいんだよっ」


「といっても、いおり話聞かないし、集中してると休まないからなぁ……」


「そこで提案、なのですが」




上手くいくとは思ってない。


琥珀が言ったからって、許可されるとは──。




「あぁ、ミツハちゃんか」


「…………………え?」


「いいよ、あの子の言うことなら聞きそうだしね」




琥珀が話に出す前に、了承を貰ってしまっていた。


…………何が起きた?




「え、なんでわかったの?」


「琥珀ちゃんが優しい子だから」


「茶化してません?」


「茶化してないよ。それにいおりはミツハちゃんに嫌われるの怖がってるし、ミツハちゃんも強いし大丈夫でしょ。しっかり管理してもらおうか」




みっちょんがいおくんの面倒見てくれるところとかまで、見通しているんだろうか?




「ミツハちゃんには話したの?」


「いや、まだ……これからお願いしようと思ってて」


「ミツハちゃんも画材触り放題で釣ってあげていいよ」


「本当!!???」




そ、そしたら二人して画材であれこれ楽しめちゃうってこと……!!?


いやいや、待って琥珀、これはアシスタント作業中だ、ランデヴーはできない、無念。




「それとまだ何か話しが──」


「あ!そう!そうなの!女帝って何!!?」




お姫さまとかならさ、なんかさ、わかるじゃん!?


小説とか漫画でそう使われてるからわかるじゃん!!




女帝って何!!?


いや女神さんも未だに何!?ってなってるけどね!?




「役職かなぁ?強そうなのがいいと思って」


「強そうなの!?こんなひょろひょろの琥珀ちゃんに!?」


「威厳をね?」


「いげんっっ!!?」


「名前だけでも。いやでも、結構打ち解けてるよ」


「嘘でしょ!!?」




琥珀、女帝で打ち解けてんの!!?


どういうことなの!!?




「下の連中にはさ、強い立ち位置の女だと思って欲しいわけだよ。守られる女じゃなくてね、俺が守りたい女の子なの」


「……ほぇ?」


「下の連中からは尊敬される人であって欲しい。俺たちの関係が変わっても、女帝っていう枠には付いたまま変える気は無い」




絶対みっちょんの方が合ってるのに……!!!!!!


琥珀、女帝感ないよ!!?




「まぁ、名称なんていいんだよ。俺にとって特別で、大切で。守りたい人だってことさえ知られていれば、今はいい」


「…………琥珀サラッとくどかれた……?」


「ふふ、どう思う?」




優しい顔した咲くんが近付いてきて、琥珀はきゅっと固まる。


柔らかく頭を撫でてくれる咲くんの指に、心がほっと落ち着いて、どくどく、心臓が暴れる。




固まったり落ち着いたり、咲くんに対して琥珀は忙しくなってしまった。




「……咲くん、囲われてるって言われた」


「いおりかな?」


「そう……琥珀、咲くんに囲われてるの?」


「ふふ、バレちゃったか」




バレちゃった、なんて言う割には冷静な咲くんが、私の手首につけている黒曜と琥珀のブレスレットを撫でる。


そうだ、黒曜に入った証に……。




「そうだね、これとか君を縛り付けているものかもね」


「……でも、黒曜に入ったことは後悔してないの」


「みんな優しくていい子でしょ?」


「そうなの、みんな琥珀に優しくしてくれて……怖がられてるなんて、見えなくて……」




あぁ、琥珀の不安はここにあったのか。


怖がられてるなんて聞いちゃったから、琥珀ほんとはみんなと仲良くなれないのかなって。




話しているうちに、考えていることがまとまってくる。


ぼんやりとしていた不安はここにあって、本当に?って、仲良くなれてなかったのかなって、怖くなってきて。


琥珀、そういう距離感みたいなものを測るのが下手くそだから……。




「うちの連中の怖いは、尊敬でもあるから大丈夫」




大丈夫……咲くんに大丈夫と言われると、不思議と安心してくる。




「怖がられているのは実際、俺といおりでしょ?琥珀はなにも怖いことしてないよね」


「……う、うん」


「琥珀自体が怖いんじゃなくて、後ろにいる俺といおりを怒らせたら、そしたら怖くなるんだよ」




咲くんも、怒ったら怖い……のだろうか。


実際に向けられたことがないから、わからないけれど。




「でも俺といおりは理不尽になんて怒らない。八つ当たりとかしないでしょ?」


「し、してない!」


「だから普段はちゃんと安心してるから大丈夫。ここは居場所のない奴らのホームなんだから、居心地のいい所でいたいからね」




そう説明されると、なんだかストンと心が落ち着いた。


そっか、咲くんたちがそういう場所にしてくれてるから、琥珀も居心地がいいんだ。




「学校の人達はいおりが怖いんだろうね」


「咲くんのことは怖くないの……?」


「学校では暴れてないからなぁ」




ということは黒曜では暴れたってことですか?




「あとは?気になってることない?」




もう聞きたいことが無くなった琥珀は「なくなりました」と言って下を向く。


なんだか少し、二人の空間が気まずくなって来てしまった。




「琥珀」




優しく名前を呼ばれると、この名前が特別のようなものに感じてくる。


聞き慣れた名前なのに、その言葉一つ一つを撫でられるように呼ばれて、顔を上げると、すぐ近くに咲くんの顔があって。




あ──くる。









わかっていたのに、琥珀はなぜだか、避けなかった。





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