第三部 外 伝
少女が見続けた夢
何処かの町にある何処かの病院のその病室。
その場所の一室、ベッドに横たわり、長い間、静かに眠り続けている少女が居た。そう、長い間ずっと。
その少女に何処となく似ている女性が、その少女の身体を綺麗にし、新しい下着を着せ、再び、洗濯を終えたばかりのほのかにまだ洗剤の心地よい臭いが香る寝巻きを身につけさせていた。
それが終わるとその女性は病室の外で待っている誰かに呼びかける。
「宏之君、もう終わったから、入ってきてもいいよ」
「流石、手際がいいな、春香・・・、それといつもこんな事させちまって悪い。お前には凄く感謝しているぜ」
「なに言っているの、宏之君?こんな事を宏之君にやらせられる訳ないじゃない。私の見ていないところで、宏之君がこんな事やったら、何をするか解かったものじゃないよ。それに、雪菜ちゃんが目を覚まして、こんな事をずっと宏之君がやっていたなんて知ったら、恥ずかしく思って殻に閉じこもってしまうかもしんないしね」
「春香、結構、俺にきつい事言ってない?昔はそんな風なことを言うやつじゃなかったのによ」
「それは、宏之くんの所為かなぁ~~~、なんてぇ~・・・、・・・、・・・、アッと、それじゃ、私、今着替えさせ終わったこれを洗濯してくれるから、雪菜ちゃんヨロシクね。それと、私が居ないからって、彼女に変な事しちゃ、絶対駄目だからね」
「俺が、妹の雪菜に何かするわけねぇだろうよ、まったく」
「そうだと、いいんですけどねぇ。それじゃ、行ってきます」
春香の言葉に宏之は笑顔で答えると、彼女も小さく手を振ってから、ニッコリと笑いを返して、その病室から出て行った。
宏之は彼女が病室から出て行くと、妹の前においてある椅子に座り穏やかな顔で、彼女を見詰めていた。
彼が今見ている妹、雪菜。
彼女は今いる場所で今まで一度も目を覚まさずに眠り続けて、約九年の歳月が流れる。
彼女は既に十八歳を迎えていた。
雪菜は当時、とある研究施設で起こった死者、三十人余り、重軽傷百人以上をも出した大きな事故の被害者の一人だった。
その事故で彼女は心臓に大きな損傷を受けて、心臓移植を受けなければならない状態になっていた。
その頃の医療技術では助かる見込みはほぼ皆無と思われていたし、それに、何よりもそれを提供する為のドナーが居なかった。
しかし・・・。
「雪菜、せっかく助かったのはいいが、こんなんじゃ、どうしようもないよな。あれから、もう九年も経っちまうってのによ。見た目はこんなにも成長しやがって」
宏之はそう言って、にやついた顔で妹の胸に人差し指で触れようとした時に、まるでそれを見計らったような感じで春香が戻って来た。
「アァァアッ、宏之君、雪菜ちゃんに何しようとしてるの、ほんとぉにっ!」
「ゲッ、アァアァあ、あぁあの、これはその・・・ってなに戻ってきてんだよ、春香」
「ちょっと、なにはぐらかしてるの?まったくぅ。本当に宏之君はスケベさんなんだから・・・、他にも洗濯する物が無いかなって見に戻ってきただけ・・・、・・・、・・・、はぁ・・・、私が宏之くんの恋人になってから、もう三年も経っちゃうんだけど、雪菜ちゃん、まだ、目を覚まさないんだね。でも、宏之君は私が待っていた以上の間、雪菜ちゃんの目覚めを待っていたんだよね?」
「まあ、な・・・って、それより洗濯しに行くんだろう?」
「あっと、そうだったね。今度こそ行くけど、宏之君いい?」
春香は宏之を少し睨みながら、雪菜に変な事をしないように釘を刺していた。
それに苦笑しながら、頷く彼。
宏之は春香が完全に視界からいなくなったことを確認すると、そっと雪菜が眠るベッドの中に手を忍ばせ、彼女の手を優しく握り締めた。だが、しかし、その彼の手を妹が握り返す事はない。
握り返してくることのない、そんな妹の顔を穏やかに眺めながら、独り言を始めたのだった。
それは他愛もない日常の出来事の話。
しばらくの間、宏之は雪菜に向かって話を掛けていると、洗濯を終えた春香が戻ってきたのであった。
宏之がベッドの中に手を入れているのを見て疑いの眼差しを一瞬彼に向けるが、何をしていたのか悟ると、小さな溜息をついて見せていた。
「さってとぉ、春香が雑用も終わらせちまった事だし、みんなの所へ行こうぜ」
「そうね、待ち合わせの場所に遅れていくのは嫌だもんね。詩織ちゃんや、香澄ちゃん達を待たせたくないしね」
「慎治も彼女等も遅れたって、文句を言う連中じゃないけど、やっぱ俺も遅刻するのだけは絶対嫌だからな」
「よく言うよ、宏之君。高校のときはよく学校には遅刻していたくせにぃ・・・、・・・???どうしたの宏之君?」
「エッ、いや、今、その雪菜が俺の手を握り返したような気がして・・・、な、訳無いよな?雪菜・・・、おいっ、ゆきな?ハッ、春香、先生を、調川先生でも慎治のお袋でも、誰でもいいから呼んできてくれっ!」
「そんなに、慌てないでね、これで呼ぶから、宏之君・・・。はい、369号室の柏木です。雪菜ちゃんが・・・」
春香はインターフォンを使って医局に雪菜の状態が急変した事を伝えたのであった。彼女がそれをしてから、少しも立たない内に雪菜の執刀医だった八神皇女と、担当医の調川愁、それに幾人ばかりかの看護士が姿を見せたのであった。
宏之と春香の二人は病室から追い出され、廊下で雪菜の安否を気遣いながら医師達が彼等を呼びかけてくれるのを待っていた。
「宏之君、心配した顔しないで、大丈夫よ、きっと雪菜ちゃん目を覚ましてくれるから」
「雪菜、目を覚ましてくれる事は、当たり前な事だけどサッ、オレにとっても嬉しいことなんだけど・・・、でも九年も経っちまっているんだぜ?雪菜の奴そんなにも時間が流れた事を知っても大丈夫だろうかって心配なんだよ。雪菜の目覚めは、雪菜にとって本当にいいことなのか、それともよくないことなのか・・・」
「それはねっ、宏之君、私達が何とかしてあげればいいの。雪菜ちゃんがこれからの生活に困らないように私達が支えていけばいいじゃない。だから、宏之君、妹が目を覚ましても、そんな顔を彼女に見せちゃ、駄目だからね」
「柏木ちゃん、それと涼崎ちゃん、お待たせいたしました。柏木ちゃんの妹さんがお目をお覚ましに成りましたよ。さアァ、どうぞ中に入ってお顔を見せてあげてください」
「皇女大先輩、後は二人にお任せして私達は戻りましょう。二人とも、私達はもう戻りますが、何かあったらそれで呼んでください。直ぐに駆けつけますよ。それでは・・・」
愁はそう言葉にすると、他の者達を促がして、その場所から出て行った。
「ひろゆき・・・、宏之おにいちゃん何だよね?」
遂に目を覚ました私は困惑の表情とそして、悲しみを顔に秘めさせた表情でお兄ちゃんと、その隣にいる女の人を見詰めていた。
「雪菜、俺がわかるのか?あれから九年も経っちまって俺だってだいぶ変わってるはずだぜ・・・、ッて、言うか、どうして、泣いてんだよ。そんな悲しい顔しやがって。泣くなよ、雪菜」
「宏之君、そういう言い方ないでショッ!せっかく雪菜ちゃんが目を覚ましたんだから、しゃんとしてくださいね・・・。でも、どうして雪菜ちゃんそんな顔をしているの?若し、良かったらお姉ちゃんに聞かせてくれないかなぁ~~~なんてぇ」
「春香お姉ちゃんって宏之おにいちゃんの恋人さんなんですよね?」
「ぇえぇぇっ、何で私の名前、知ってるの?まだ自己紹介もしてないのに・・・」
「春香お姉ちゃん、御免なさい。どうして、ユキがそれをしっているのかわかんない。でもね・・・、ずっとユキ、いままでずっと、いろいろなことを夢で見ていたような気がする。楽しい夢も、幸せな夢も・・・、でも、最後に見た夢はとても悲しい物だったの。」
「宏之おにいちゃんも、春香お姉ちゃんも、そして、タカトおにいちゃんも、ほかのみんなも。そう、みんなみんな、その・・・、みんな、その死んじゃう、嫌な夢だったの。とっても怖かった。ユキ、とっても哀しかった。辛かった。だって、だってぇぇ・・・、うぅううううう、ひっくぅ」
「オイ、オイ、雪菜なに言ってんだよ。どんな夢を見ていたんだか、しらねぇけどよ、そんなのはただの夢だろう?現に見てみろよ俺を?俺は死んじまっているか?お前が中々目覚めないで大変な時期もあったけど、ほれ見ろ、ちゃんと生きてるぜ。」
「だから、そんな顔をすんなって、笑えよ。笑顔をオレとこいつに見せてくれ、お前が眠っている間、お袋も親父もこんなお前をほったらかしにして海外になんて行きやがっている間、ずっとお前の面倒を見てくれたこいつに、そんな顔を見せないで、笑ってくれよ。なっ?」
「宏之お兄ちゃん・・・。ウン、そうだよね。宏之お兄ちゃん、それと春香お姉ちゃん、有難う」
「ウゥウン、感謝の言葉なんていいのよ、雪菜ちゃん、私が好きでやっていたことだから。それに雪菜ちゃんの体のお掃除なんて宏之君にやらせるわけには行かないでしょう?」
私は春香お姉ちゃんの言葉に私の成長しきった身体を眺め、宏之おにいちゃんを見たら、顔を赤くしてしまっていたの。
そんな私の表情を見て、大声を出して笑う、私のお兄ちゃん。
私が眠っている間に見ていた夢が、やっぱり夢だったって事に安堵して、小さく溜息をついてから、再びおにいちゃんに言葉を向けていた。
「あのね、宏之お兄ちゃん、聞きたい事があるの、いい?」
「うん?なにをだ」
「あのね、その・・・、あのね、タカトおにいちゃんは、ウン、タカトお兄ちゃんは元気してる?若し、タカトおにいちゃんと連絡が取れるんだったら、ユキが目を覚ましたって伝えて欲しいの」
私が宏之おにいちゃんにそんな言葉を掛けるとお兄ちゃんは遣る瀬無い気分を表情に表していたの。
私はどうして、そんな顔をお兄ちゃんが作るのか分からなかった。
「どうしたの、お兄ちゃん、そんなかおして?」
「えっ、いや、それはその・・・」
「宏之君・・・、・・・、・・・、宏之君が言葉にして出すのが辛いなら・・・、私が雪菜ちゃんに説明してあげてもいいけど・・・」
「いやっ、いい、ちゃんと俺の口から伝えようって思っていたから・・・」
「えっ?何のこと?」
「タカの奴だったら、雪菜、お前のここにいるよっ!」
「キャッ、お兄ちゃん何処触ってるのよっエッチ!」
「もぉっ、ひろゆきくんったら、なにやってるのよぉ~っ」
宏之おにいちゃんは言葉と一緒に私の成長した胸を突付いてきた。
その後、真っ赤になりながら私は反動的に両腕で私自身の両胸を腕で隠していたの。
そんなコトをした宏之おにいちゃんは春香お姉ちゃんからとても痛烈に見える肘打ちを胸中に喰らっていました。
でも、私は宏之おにいちゃんの言葉の意味が理解できなかった。
「宏之お兄ちゃん?ユキにはお兄ちゃんが一体何を言っているのか判らないよ。ちゃんとユキのわかるように説明してよ」
「雪菜・・・、解かった話してやるけど、一度しか言ってやらないぜ・・・、・・・、・・・。タカは・・・、タカの奴はお前の眠りを作っちまったあの九年前の事故の時に・・・、お前と同じように大怪我を負って・・・、雪菜、お前よりも先に逝っちまった。心臓が駄目になっちまっていた雪菜、お前も、ホントはお前もやばかったんだ。でも、その時の法律を無視して、タカのヤツのそれがお前に移植されたんだ。あいつが、それを望んだから・・・」
私は宏之お兄ちゃんからその言葉を聞かされた時に、赤面していた表情が再び、悲しみの色に塗り替えられてしまい、胸を抱えていた両腕、苦しいくらい強く、私自身の身体を締め付けていた。そして、声を出さないで泪を流してもいたの。
「雪菜ッ、泣くなって、しょうがなかったんだ。あの時、そうでもしなければお前も助からなかったんだぞ!タカの奴も、死の間際でそれを望んで居たんだ。だから、そんな、悲しい顔をスンナよ。そんな顔されちゃ、向こうに逝っちまったタカの奴もさぞ、いい顔してないぜ」
「宏之君、当時の事は私にはわからないけど、雪菜ちゃんにそんな言葉を言っては可哀想だよ。・・・、ねえ、雪菜ちゃん?雪菜ちゃんがその人のことをどう思っているのか、私にはわかって上げられないけど、今はその感情のままに泣いてもいいのよ。好きなだけ泣いてもいいの。宏之君にはさせられないけど、お姉ちゃんの胸でいっぱい泣いていいよ・・・、・・・、・・・。デモね、心が落ち着いたら、その人が、何のために、どうして、それを雪菜ちゃんに与えたのか、よく考えて」
微笑みながら私のそばに来る春香お姉ちゃんの言葉に従うように、私はおねえちゃんの服にすがりそれに顔を埋めて、泣き始めたの。
眠っている時に見続けていた夢を思い出しながら、夢の中では私が救ったと思っていた貴斗お兄ちゃんが・・・、貴斗お兄ちゃんと知り合ってから、約三年後にお父さんと、お母さんが働いていた研究施設で起きた大きな事故、それは私が小学三年生の頃のことだった。
夢の中では三年間の時間の食い違いもあるし、実は私の方が救われていたなんて思ってもいなかったから。
今の現実に貴斗お兄ちゃんがいない事に凄いショックを受け、悲しく、切ない気分にナッたの。でも、私の命を救ってくれたのがやっぱり貴斗おにいちゃんだと言う事を知って、私の左胸の中には貴斗お兄ちゃんが居るんだって事を知ってとても嬉しい気分になったのも事実。でも、やっぱりかなしいかな・・・。
そんなコトを思いながら春香お姉ちゃんの胸の中で沢山泪を流させてもらっていたの。
私が春香お姉ちゃんの中で泣きながら、私が夢で見続けていたことを言葉にしていた。そして、それに答えを返してくれる二人。
貴斗おにいちゃんの両親もお兄ちゃんのお兄ちゃんも今の現実ではちゃんと生きているって宏之お兄ちゃんは教えてくれたの。
そう、貴斗お兄ちゃんだけが、夢の世界でも現実の世界でも・・・。
「ユキ・・・、ユキは今、とっても悲しい気持ちでいっぱいだけど・・・、でも、ユキ、タカとお兄ちゃんが呉れたこの心臓、大切にしたいから、九年間も長い間、時間を無駄にしちゃったけど、ユキはタカトおにいちゃんの分まで、一生懸命、生きて行きたい・・・。」
「だからね、宏之お兄ちゃん、春香お姉ちゃん、ユキの体はこんなにも成長しちゃったけど、まだ心は幼いから、ユキが周りの事がちゃんと分かるようになるまで・・・、その、出来るなら、我儘なことだけど、一緒に居て欲しいの・・・、ユキが変な道に迷い込まないように、見ていて欲しいの」
「なに言ってんだ、雪菜?俺はお前の兄貴だぜ?お前が嫌がったってそばにいてやるさ。だから、そんな風な事言うなよ」
「はぁ~、あのねぇ、宏之君?少しは分別をわきまえなさいっ!雪菜ちゃん、何か悩み事、心配事があったら、いつでもお姉ちゃんに相談してね。これでもお姉ちゃん、今、心の病みを治すためのお医者さんのお勉強しているんだから・・・」
「有難う、春香お姉ちゃん・・・」
私はまだ目じりに残る泪をふき取って笑顔を作り、二人にそれを向けていた。
現実は私の見ていた夢とは大きく違っていた。
そう、私は生きているの、宏之おにいちゃんとは違う意味で大好きだったもう一人のお兄ちゃんの心臓を宿しながら。
目覚めたばかりの私にはこれから先にどんな事が待ち受けているか全然わからない。でもね、私が夢の中で見続けていた周りの大切な人達が、不幸になってしまうような道にだけは絶対進みたくない。だから、私はそんな風にならないように心がけて生きて行きたい。周りの人たちに気を配って生きて行きたい。
皆がみんな幸せであるような生き方をしてみたい。それが可能なら・・・。
「大好きな、タカトお兄ちゃん・・・、どうか、ユキのことを見守ってください」
帰って行った宏之おにいちゃんと、春香お姉ちゃんのいなくなった病室で、私は両手を左胸に当てて、一筋の涙を頬に伝わせながら、そんな言葉を小さく呟いていた。
それから、私はそれを流しながら、病室に取り付けられている窓の外を眺めた。
すると外は暗かったけど、野外照明の為に白く煌く物が外の空間にいっぱい舞い落ちている光景が私の瞳に飛び込んできた。
全身動かす事が今の私にはとても辛かったけど、私はベッドから移動して窓の場所まで辿り着くと、それを開けて、その白く輝くモノに手を伸ばして受け止めた。・・・、其れは雪。
宏之おにいちゃんも春香お姉ちゃんも今日が何時なのか教えてくれなかった。そう、今日は私の十八年目の生誕の日、二〇〇四年の十二月二十四日だったの。
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