5 死にたがりにピリオドの雨(6)

「隊長がああ言うってことは、急がなくても大丈夫なんだと思うよ」


 まるでわたしの頭のなかを覗いたみたいにメテオラが言う。


「人の顔色を軽率に読むんじゃない」

「だってルーチェってなんでも顔に出るよね」

「だからっておまえに差し出してるわけじゃない、という話をしている」


 わたしが多少語調を強くしたところで、メテオラは一向に動じない。変わらぬ様子でにこにことするばかりだ。

 ソルと話をしてから、メテオラに対して問い詰めたいことが増えてしまった。だが考えなしに問いただしたところで、この男のことだからのらりくらりと話をすり替えて逃れようとするにちがいない。


「ずるい男だ、おまえは」


 メテオラは頬の紋様を歪めるようにして笑う。ご丁寧にダブルピースまでする。やはり、まともに話をする気は微塵もないようだ。

 わたしがすっかり呆れ返っていると機嫌を取りたいのか安易に髪に触れようとしてくるので、その手からするりとすり抜けてやる。このゼロ距離も、そろそろ改めてほしいものだ。


 毎日持て余すほど時間があったので、朝昼夜の鍛錬は欠かさずおこなった。

 百年ものあいだ眠っていたが、幸いなことにほとんど衰えはない。きっとフィオーレの術式のおかげだろう。

 だが目覚めてしまった以上、自分の肉体は自分で管理せねば。シロカネのおいしいご飯を恨むことにはなりたくない。


 いよいよ明日が決行日となった夜にも、わたしはひとりアパートメントの屋上へ出て、汗を流した。体を動かしていると、腹の底に沈んだ不安や感情の凝りが体じゅうに散らばって、すこし身軽になったような気になる。


 ずっとむかし、騎士学校へ入る前にも眠れない日々が続いたことがあった。

『ねえさま、にいさま、フィオーレはふつうのおんなのこではないんでしょうか』

 まだ七つほどだったフィオーレが悪魔に襲われながら無傷だったときにも、町のみなは奇跡と喜ぶばかりで、あの子が心に負った傷のことなど見ようともしなかった……。わたしとテオリアがそばにいないと目を閉じるのもこわいと泣いていたのに。


 それでも家族以外の誰かがいるときには機嫌よくする子だった。みなが期待するフィオーレ像に応えようとして苦しんでいた。

 あのときはフィオーレが眠るそばでいつもテオリアと剣の稽古をした。そしてふたりで誓ったのだ。帝国騎士となって、フィオーレが怯えることなく眠れる世界を作ろうと。


 なまぬるい風が吹いている。上空には薄汚れた綿のような雲がところどころに散らばる。潮風にはかすかに雨のにおいが混じっていた。

 剣に見立てた棒切れを振りながら、自分の感覚が指先、剣先にまで行き渡っているのを確認する。


 晩餐会、か。どのくらいの規模のものなのだろう。招待客のすべてがエレジオなのだろうか、それとも一部の選ばれた客だけがそうなのか。知らされているのは日時と場所のみ。あまりにも情報が少なすぎる。メテオラは別段気にしているようではなかったから、いつもこんな感じなのだろうか。だとするとその場での状況判断が任務成功を左右することになる。気を引き締めなければ。


 周囲より頭ひとつ背の高いこの建物からは、港に停泊する船の灯りもよく見えた。その光を瞼の裏に宿すように、わたしは目を閉じる。

 剣を構え、呼吸に耳を傾ける。無駄な力を抜いて、剣先を自由にする。光はまだわたしだけの暗がりのなかでふわふわと浮いていた。そこへ向かって剣を振り下ろす。

 と、その途中で剣の軌道を塞ぐものがあった。

 目を開けると、メテオラが棒切れを掴んでいた。


「邪魔をするな」

「ひとりでやってて意味ある?」

「なにもしないよりは」


 メテオラの手を振り払い、わたしは首筋の汗をぬぐった。


「落ち着かないんでしょ?」

「作戦前に高ぶるのは悪いことではない」

「付き合うよ、おれも眠れないから」


 メテオラはやわらかな声をして、とても緊張しているようには見えないやわらかな笑みを浮かべる。嘘……ではないのだろうが、わたしとおなじ理由で眠れないわけではなさそうだ。


「しかし棒切れはこれしかないんだ」

「別にいいよ、おれは身ひとつで」

「……ほお? わたし相手に得物はいらないと?」

「あー……、いや、そこまでは言ってな――」

「上等だ! この勝負受けて立とう! でなければ帝国騎士の名がすたる!」


 わたしはメテオラの鼻先へ棒切れを突きつける。メテオラは深いため息をついた。


「ほんとルーチェは人の話を聞かないよね」


 呆れながらもメテオラは腕をだらりとおろし、手首をぶらぶらと揺らす。


「背中が柵や壁についたら負け、それでいい?」

「いいだろう。本気でいくぞ。おまえも絶対に手加減をするなよ」


 わたしの念押しにメテオラはにこりと微笑み、体を左右に揺らしたかと思うとさっそく拳を打ち込んできた。わたしはどうにか体を低くしてよける。だがよけた先に横から膝蹴りが飛んできた。


「ぐっ」


 棒切れで受け止めて直撃をかわし、反動を利用して飛びのく。

 コルダ殿とメテオラの打ち合いもそうだったが、やはり動きが速い。メテオラがそれほど肉体を鍛え上げていないのも、身軽さや速さを重視してのことなのだろう。


 わたしは剣に見立てた棒切れをやや長く持つ。とにかくメテオラの間合いで試合をするのはよくない。剣を持っているわたしの武器はこの間合いだ。メテオラはここを詰めようとしてくるだろうから、わたしはその隙を狙う。

 拳はそれでいい。問題は、脚だ。


「おまえは! むだに! 脚がながい!」


 続けざまに繰り出される足技を棒切れで払いながら、わたしはたまらず叫んだ。

 メテオラは攻撃をゆるめないままひらひらと手を振る。


「ありがとう、ルーチェ」

「褒めてない!」

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