第26話
冬休み明け、久しぶりの放課後。
部室棟裏の温室に訪れるのも2週間ぶりだった。年明け早々の寒波も去り、今日は寒さが和らいでいた。柔らかな西日が温室を金色に照らしている。
半開きのドアから中を覗く。いつものように、いつもの場所に先輩は座っていた。
「こんにちは。ユキノ、久しぶり」
「こんにちは。そんなに久しぶりですかね」
先週初詣で会ったばかりのような気がする。
「温室にいるユキノとは久しぶりだもん」
先輩の隣に腰かける。すると先輩はスカートの上に置いた花をこぼさないように、そっと距離を詰めてきた。わたしたちはしばらく、お互いの輪郭をなぞり合うように身体をくっつけたまま、静かに温室の空気にたゆたっていた。
わたしは冬休み最終日でバイトを辞めた。
大事なのは形じゃなくていっしょに過ごした時間だと気づかせてくれた先輩。まだ温室がなくなってしまうのを完全に受け入れられた訳ではないけど、少し怖くなくなった。
先輩はおやつを食べ終えると、すっと立ち上がった。先輩と触れていたところに冷たい空気がまとわりつき、先輩の温もりが名残惜しく思えた。
「ユキノ、今日はこの辺りの植物を植え替えしようと思うの。手伝ってくれる?」
「はい。もちろん」
温室の植物は冬休み前よりも減ってきていた。冬休み中にも先輩は植え替え作業をつづけていたのだろう。
「どんどん植物がなくなって寂しくなりますね」
「ユキノ」
先輩はとがった声でわたしを呼んだ。出会ったばかりの、棘を纏っているかのようなころが懐かしくなる声音だった。
「寂しがっちゃダメ。ユキノ、また暴走するから」
「しませんよ。先輩のおやつがなくなって寂しくなるって意味ですよ」
「もう、からかわないでよっ」
こっそりバイトを始めたことで、先輩にはたくさん寂しい思いをさせてしまった。自分だって先輩に会う時間が減って辛い思いをした。
もう先輩に隠しごとはしない。何でも相談する。わたしはそう決めた。
先輩は温室の隅にある道具箱から小さなスコップを取り出して、グレーっぽい葉色をした植物の周りを掘り始めた。根を傷つけないように、丁寧に掘り進める。
わたしは先輩が掘り起こした土をどかしたり、葉が巻き込まれないように押さえたり、先輩のサポートに徹した。下手にスコップを持って、先輩の大事な植物を傷つけてしまうのが怖かった。
作業をしながら、ふと帰りのホームルームであったことを思い出した。
「今日、高校で初めて進路希望調査を配られたんです」
「そういえば1年の今頃だったかも。まだ1年なのにもう進路かぁって思ったもん」
「進路なんて、今まで何も考えてなかったんです。でも、ひとつだけ興味のあることは見つけたんです。植物のこと、勉強したいなって」
先輩は手を止め、わたしの顔を見つめてきた。急に恥ずかしくなって、わたしは作業する手を止めずに俯いたままつづける。
「勉強したいなってだけで、具体的なことは何も考えてないんですけど」
「1年生でそこまで考えてれば充分だよ。あとは先生とか家族と相談して決めていけばいいよ」
先輩はめずらしく年上らしくアドバイスしてくれた。わたしは友達と進路について話したことなんてなかったから、少し照れくさくなって黙ったままうなずいた。
先輩は掘り起こした植物を地面からそっと掬いあげた。眠った赤ちゃんをベッドに横たえるように丁寧にバットに移動させ、次の植物に取りかかろうとする。
「先輩は?」
気づくとわたしはそう問いかけていた。
「先輩は結局どうするんですか? 卒業したら」
これを聞きたかったがために、進路希望調査の話を持ち出したのかもしれない。
先輩は進学しないと決めているらしい。それしか知らない。先輩と出会う前のわたしなら、他人の進路に関心なんてなかった。だけど、先輩が卒業したあとにどうするのか、どこかに行ってしまうのか――何も知らないことに不安が募っていた。
「あたしは……」
先輩はザクッとスコップを地面に突き刺し、答えを迷うように何度か口を開けたり閉じたりした。
覚悟を決めるように一度唇を引き結び、囁くように答えた。
「いつか決めるよ」
卒業まで2ヶ月を切ったのに、いつかなんて。
先輩は植物ののったバットを持ち上げ、温室を出ようとする。わたしは不安を抱えたまま先輩の後を追った。
先輩とこの温室にいられるのもあと少ししかない。
また少し緑が減った温室を振り返る。
寂しがっちゃダメなんて、どうしたって無理だ。
寂しさは向こうから勝手にやってくるんだから。
❊
2月になって3年生は自由登校になったというのに、先輩は毎日温室にきて作業したりおやつを食べたりしている。本来受験生と呼ばれる生徒とは思えないほど、気ままにのんびりと過ごしていた。
いっしょに過ごすわたしも何も言えず、どころかふたりの時間をありがたく享受していた。本当はずっと先輩の進路のことは気になっているのに、頭の中から追い出して気にしないようにしていた。
温室からはほとんどの植物が姿を消していた。残っているのは植え替えても先が長くない、一年草という1年以内に枯れてしまうものや、以前話題にものぼった中央の大きな木だけだ。
先輩は数少ない花の中からおやつを摘み取り、惜しむようにちびちび食べている。わたしはその隣に座り、先輩の咀嚼音を聴きながら切り出した。
「そういえば、この木のこと、先生に相談したんですか?」
「したよ。これだけは業者さんにお願いして中庭に植え替えてもらえることになったんだ」
先輩から返ってきた答えは意外なものだった。
「いつの間に決まったんですか!? もっと早く教えてくださいよ」
「だって……ユキノとのおしゃべりが温室の終わりの話ばっかりになるのが嫌だったんだもん」
先輩は頬を撫で膨らませた。黙ってバイトをしていた件をまだ根に持っているらしい。
「中庭……そっか……」
先輩との思い出が少しだけでも校内に残るのが嬉しかった。この優しい木漏れ日をくれる木が近くにあると思うだけで、温室がなくなっても、先輩が卒業していなくなっても、心強い味方がいてくれるような気がしてくる。
「植え替えされるころにはあたしは卒業してるけどね。ユキノ、どうなるか見届けてよね」
「はい。枯れないようにわたしが卒業までお世話します」
「木はそんなにお世話はいらないけど……元気でいてくれてるか見守ってあげてね」
冬至から2ヶ月経ったとはいえ、まだ日が伸びてきた実感はなく、午後5時を回ったばかりだというのにもう薄暗く感じる。先輩はおやつを食べ終えてしまったし、もう植え替えする植物もないし、帰ってしまうかもしれない。
まだもう少しだけいっしょにいたい。
そんな気持ちだけで、わたしは口を開いた。
「スノードロップがもう少しで咲きそうなんです。つぼみができ始めてて」
「ほんと? ユキノ、ちゃんとお世話してくれてたんだ。嬉しい」
「咲いたら持ってきますね。クリスマスプレゼントに何もあげられなかった代わりに」
「あの……スノードロップは卒業式の日に持ってきてほしいの。お祝いの花としてあたしにちょうだい?」
「卒業式の日にちゃんと咲くかな……」
つぼみとはいえ、まだ花びらを感じさせない緑色をしていた。あと10日ほどで咲いてくれるだろうか。花を咲かせたことがないので自信がない。
「大丈夫。きっと咲くよ。咲かせて、あたしに食べさせてね」
先輩は楽しそうにぱたぱたと足を鳴らしている。先輩の笑顔は夕日に翳り、どこか妖しく感じられた。
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